因縁の17日

今日は、僕の名付け親の命日です。伊馬春部(いまはるべ)という人でした。
1908年(明治四十一年)福岡生まれ。いみじくも父親が生まれた1932年(昭和七年)に創立された、新進気鋭の舞台文化を生み出したムーランルージュに参加。喜劇を中心に脚本家として活躍し始めた当時は、井伏鱒二や太宰治などとも親交があったそうな。
戦争が始まる前年に、国内初のテレビドラマ『夕餉前』の脚本を担当。戦後はラジオに移行し、NHKの大ヒット連続ラジオドラマ『向う三軒両隣』では脚本執筆陣に名を連ねました。いわば日本の放送作家のレジェンドです。
そんな凄い方に、僕は名前をつけてもらいました。ちょっと自慢です。経緯が気になりますよね。先にいみじくもと書きましたが、実は小説家を志した若い日の父親が、伊馬春部さんの書生になったのがきかっけでした。
師の教えがよかったのか、父親は新聞の新人小説家懸賞を受賞しました。しかし、それが作家としてのピーク。長男である僕が生まれることで踏ん切りをつけ、ヤクザな稼業からまともなサラリーマンに転身したそうです。
けれど以上の流れだけでは、伊馬春部さんが名付け親になった理由が不明瞭。父親が生きている間に詳しく聞けばよかったのだけど、息子なりに大きな挫折の匂いを感じ取ったので、何となく聞き出せないままでした。
それがひょんなことから判明します。僕が物書きとして活動する中、ネットに流れた名付け親に関する記述を伊馬春部さんの娘さんが発見してくれたのです。なおかつ連絡をもらい、実際に会うこともできました。その際にたずねたら、書生に子供が生まれたら先生が名付け親になるのが習慣だったらしい。
ということは、少なくとも僕が生まれた件は先生に伝え、習慣に従うほどの関係性は保たれていたわけです。そうだったんだねぇ。長男は勝手に、文壇方面を恨んでいるんじゃないかと思っていたのだけど。
ひとりの人間と、血のつながりがある父親は、たぶん別人です。なので皆さんも、ご両親に聞いてみたいことは早めにおたずねになることを勧めます。
それでも結局わからないのは、十七男という名の由来です。誕生日の17日から取ったことくらいしか判明していないんですよね。本当にそんなに安直なのか? できれば素数の潔さを託したかったとか、驚くような真意があるといいのだけど、それも名付け親ご本人に確かめられませんでした。
ただ、1984年3月の17日が伊馬春部さんの命日である事実は、何となく因縁めいていて、僕はとてもうれしいのです。

最後に紹介するのは、塔の内部に展示された「地底の太陽」。これも顔っぽいけれど、よくぞこれほどの数の、そしてすべてカッコいい造形物を生み出したものだと感心至極です。

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