今から150年以上前の1867年4月1日は、パリ万博が開催された日。会場は、エッフェル塔が建つ前のパリ市内。42か国が参加し、10月31日までの会期中に1500万人が訪れたそうな。
その参加国リストに、万博初出展の日本もありました。ただし、時の中央政府だった幕府だけでなく、薩摩藩や佐賀藩も個々の政府として認められる形で、独自に乗り込んでいたのです。1国3政府って、かなり滅茶苦茶ですよね。現代でそれがまかり通るなら、海外からは相当な政治の乱れがある国と思われるはず。それすらいとわないように、当時の日本国内は大きな歴史的転換点を迎えていました。
1867年を元号に直すと、慶応三年。この年最大のニュースは、今の暦の11月9日に起きた大政奉還です。徳川15代将軍の慶喜が天皇に政権を返上したことで、実質的に徳川の、つまりは江戸時代の終焉が確定しました。そういう流れをつくり、幕府に代わる新たな政府の中軸を担う気満々だった薩摩藩は、だからこそパリ万博で海外デビューを果たしたかのでしょう。
とは言え、1国3政府の日本が万博に持ち込めたのは、絵画や陶芸などの文化的品目ばかり。幕府が披露したものの中には、着物をまとった芸者がキセルをふかすだけという、聞いた限りではかなり地味な展示もあったそうな。対して諸外国は、水圧式のエレベータや強力兵器などの、文明的というか最新産業の出展ばかり。それを目の当たりにしたある日本人は、日本は万博で恥をさらしたと述べたとか。
ところが海外の人々は、特異な日本のカルチャーに大注目。しかもパリは芸術の都なので、日本の浮世絵は多くの絵描きに衝撃を与えました。モネは着物を羽織った女性を描き、ゴッホは浮世絵の模写に励んだ。これがジャポニスム。日本文化によってもたらされた一大ブームは、19世紀末から20世紀初頭までヨーロッパ全域で続いたそうな。
そんなセンセーショナルな出来事が、間もなく始まる万博で起きるかというと、開催地がどこであれ、もはや時代的に難しいと思います。だから僕は興味が沸かないのだろうか? しかしその目で確かめない限り何かを語る権利もないわけで、電車で行ける距離ならと、そんな考えに傾き始めてもいます。エイプリルフールとは無関係で。
塔方面、さすがに最後にしますが、岡本太郎さんの直筆デッサンです。
