今日は『ヘリコプターの日』。この由来、ヘリコプターの原理を図案に残したレオナル・ド・ダヴィンチの、1452年4月15日の誕生日にちなんでいるそうな。こういうのはグッときます。
ヘリコプター、乗ったことあります? 僕は取材で経験させてもらいました。ヘリコプターを所有している航空会社の社長さんを訪ねた際、「せっかくだから」と勧められたんだっけ。
男の子なんで、憧れはあるわけです。豪快なエンジンの音に呼応して胸も高まっていくのです。けれどシートに座った途端、足元がガラスの透け透け。高所恐怖症にはしんどい造りなんですよね。それでも、ふわっと浮いて、そわっと降りる、人生初の垂直離発着は感動的でした。
『ヘリコプターの日』は、全日本航空事業連合会がヘリコプターの利用を促すため1986年に制定したそうです。ですが、機体はかなりの高額みたいだし、操縦にも特別な訓練が必要で、だから利用料も高く、なおかつ日頃の整備の大変さによって、思うほどには広まっていないのかもしれません。
他方でドローン技術を活用した空飛ぶクルマの研究は、プロトタイプの段階まで来ているようです。ドローンって変わった名称だと思ってきました。英語でオスの蜂を意味する言葉で、電動モーターで回るプロペラの音が蜂の羽音を想起させたみたいです。それからドローンは、遠隔操縦する無人の物体を指すらしい。
そのドローン技術で人を運ぼうとするのが昨今の空飛ぶクルマになっているわけですが、実用化された際の空路交通法がどうなるかはさておき、「やっぱり落ちないってことはないんでしょ?」というのが僕の不安材料です。
でも、考えるんです。危険を重視してやめるか、便利を追求して進めるか。おそらく、試行錯誤は避けられずとも、後者のモチベーションを優先しなければ文明は発展しないのだろうと。ダ・ヴィンチにしても、リスクより画期的な便利を図案にしたためたはずだし。
以上の文脈では、ヘリコプターよりドローン式に肩を持つような気配が漂いますね。いずれにせよ、文明の発展には感謝しつつ、それを使わない選択が個人に委ねられる未来であってほしい。それは、歳を重ねるほど高いところが苦しくなってきた者の、ささやかな願いです。

散り始めた桜の木は、抜け感が美しい。
