「トナオ、捨てる」

あくまで推測の範囲ですが、英語を使うほうが楽な日本人にとって、敬語ほど厄介なものはないだろうと思うのです。何だかんだ今も年功序列にうるさいこの国では、たとえ1歳でも違えば、敬語の使用うんぬんで人間関係がこじれたりする。その点は英語を使うほうが楽な人たちも、コミュニケーションの注意点として教わっているはずなんですよね。けれど咄嗟の場面などでは敬語が出てこない。それがまた完全な日本人顔の若者だったりすると、無礼者と叱られかねない。
それはもう気の毒でしかありません。日本にいて日本語しか話さない側は、おそらく初見の所作で気づいているに違いないので、個々が直面する国際問題としても肝要になるべきでしょう。英語が話せない僕が英語圏の国に行ったときは、そうやって受け入れてもらっているわけだし。
そんなこんなで、敬語なんかないほうがいいかもと思うことが多々あります。たとえば短時間で距離を詰めたい職業上のインタビューでは、発言の中に気遣いが多いと瞬発力が鈍くなるんですよね。だから時には、というより多くの瞬間で、敬語を略した紋切り型の応答を使います。
そこで重要なのは、どんな場面でも敬意を失わないこと。あえて失礼に聞こえるような文法体系を用いようと、「僕はどうしてもあなたの話を聞きたい」と無邪気な気持ちがあれば、およそどんな人も真摯に応じてくれる。これは僕の経験則です。まぁ、誰であれひとまず敬語で話しておけば事はスムーズに運ぶという常識も、意図的な利用には適していますが。
しかし、その“ひとまず”が世界中の人から疑問視される、本音を隠した建前になることは、日本語しか理解できない僕(ら)こそが理解しておかなければと思います。だから僕にしても敬語は厄介と感じておる次第です。
いつもの立ち飲み屋に新人アルバイト君が入りました。留学先のアメリカから帰国する夏休み限定で、なおかつ人生初のバイトらしい。それだけに店が混み出したときの注文受付や、伝票記入に大慌て。常連たちは優しいので、そんな彼をそっと見守ります。
「トナオ、捨てる」
これは、誤記入した伝票を破棄するよう店主に指示されたときの彼のつぶやき。当人に聞こえたってぜんぜん良いのよ。一生懸命働いた今年の日本の夏が素敵な思い出になるなら、僕らの酒も美味しくなるから。

いよいよ彼らの季節。

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