つまるところ会話のセンスは、体臭と同じかもしれないと思ったのです。他人に及ぼす影響が、自分ではよくわからない点において。
で、時事に触れていくのですが、「米を買ったことがない」から始まった、すべてウケ狙いと釈明した発言で辞任した政治家のニュースに触れて、「そう言えばオレも?」となりました。なぜなら自分もここで同じようなことを書いた覚えがあるから。
いわゆる米騒動が起き始めたとき、僕は古い友人や母方の親戚から毎年お米をいただくので、世間の皆さんのご苦労がわからないと伝えました。その真意は、様々な問題は身をもって体験しないと切実には感じられない。だからこそ、人の痛みを想像して親身になれる人になりたいというものでした。さっき読み返したのだけど、確かにそう記しています。
けれど真意や、またはつもりは、必ずしも正しく伝わるとは限りません。そしてまた似たような発言であっても、誰がいつどんな口調で言ったかでも受け止められ方は違ってくる。それを左右するのは、立場もあるだろうけど、重要なのは会話のセンスだろうと。
僕が苦手なのは、会話において自分の考えだけをぶっこんでくるタイプです。それが場の空気を一変させるほど奇天烈で予想外で、つまりはおもしろければいいのだけど、たいがいはその逆。
じゃお前はどうなんだ? と指摘されるのが怖いので、僕の心掛けをお話しておきます。とにかく最初は相手の言葉に乗っかる。「ウソ?」という否定はなし。「ホントに?」という肯定のみ。ただし、乗る必要がなく無視すべきと判断していいのは、話す相手に対して敬意を欠く発言です。敬意は、政治家であれ市井の飲んべいであれ不可欠。否定なし・肯定のみも、相手を尊重する姿勢を表すものであり、それを軸にしてこそ会話は転がるというのは、僕の経験値でもあるのです。
けれどあくまで心掛けなので、いついかなるときも相手に乗っかれない場合があります。そうして後に「やっちまった」と悔やむので、会話のセンスは簡単に改善できない体臭みたいなものだろうと、そう思うのです。けれど心掛けを忘れなければ、やがて誰からも好まれる香りを発せられるかもしれない。いや、でも本当に、言葉には真摯に向きあわなければいけません。扱いを間違えば、瞬く間にセンスの芯が匂ってしまうから。

大規模改修工事で組まれた足場。誰でも登れると思ったら、ちゃんと鍵がかかるのね。
