いいときも悪いときも

ゴールデンウィークの最中、男子プロゴルファーの宮里優作選手の試合を観るため、急きょ愛知県に向かった話をしました。優勝の可能性が高まったからこそ、予定していなかった行動を取ったわけですが、それも含みすべては、優作くんを追っかける長期連載企画の取材の一環。だから意外だったというか、後々考えさせられてしまったのかもしれません。
「いいときも悪いときも、ありがとうございます」
これは、現地に着いてすぐにお会いした、優作くんのご家族にかけられた言葉。初対面ではないものの、久しぶりだったから改めてそんなことをおっしゃられたと思うんですね。けれど僕は、一時的な思考停止に陥った顔をしたはずです。なぜなら、いいときも悪いときも取材し原稿を書くのは、僕の役割としてあまりに当然だから。
けれどご家族にすれば、現在は隔月連載の記事をご自身たちが読める状況に対して、いくらか特別な感覚をお持ちなのかもしれません。それが、「いいときも悪いときも」という言葉で表されたのではないか……。
特定の選手を軸にしたスポーツの取材は、確かに難しい面があります。こちらとしては勝ってくれればハッピー。いかようにも記事を書ける幸運をもらえます。しかし、何より本人が望まぬ結果で終われば、試合直後に近づくのさえ憚れる。僕の連載企画は速報性を重視していないので、締め切りまでに話を聞ければいいのだけど、それでも調子が芳しくなかったときの切り出し方は、やはり相応の気遣いが必要になります。
けれど、たった一度の試合ではなく、たとえば1年間の様子を取材するとなれば、勝手なことを言うようですが、聞かれる側の態度が重要になってくると思うんですね。宮里優作というアスリートは、1勝するのが極めて困難な競技に挑みながら、どんなときでも真摯に僕のインタビューを受けてくれます。それは2018年から2年間のヨーロッパ遠征中も変わらなかった。ちょっと懐かしいけれど、あの時期はLINE電話を多用したんですよね。
ひとつの結論として、いかに仕事であれ「いいときも悪いときも」が成立するのは、どんなときも知りたいと思わせてくれる人柄が不可欠。そしてまた、悪いときこそ試されるのが書き手の力量。その事実をご家族に伝えられなかったことを少し悔やみながら、先ほど今回の連載記事を書き上げました。

どこから削り出されたものか、もう誰も思い出せないコンクリート塊@渋谷駅。

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