子供との接し方

友人知人の子供と会ったとき――ここで言う子供とはおよそ4歳未満ですが、あれはどういう情動なんでしょうね、仲良くなりたいなあと思ってしまうのです。これは僕の子育て未経験からきている、無知ゆえの興味に間違いないのですが、まずおもしろいのは、半分くらいは意味不明でも、4歳未満と60歳越えで会話が通じるところです。すでにそれだけ話せるなら、60歳を過ぎてまで生きる意味なんてないんじゃないかと、諦観でも悲観でなく、人間の凄みに驚異を感じてしまうのです。
しかし我ながら奇妙だと思うのは、子供だけ特別に仲良くなりたい衝動が起きる理由です。時々会う大人にはそこまでの感情は芽生えません。ましてや、その小さな指やつるつるの頬っぺたに手を伸ばそうとはしない。
子供に対する情動に関して、僕には経験値も専門知識もないので、そこはいつかプロフェッショナルに詳しく聞くとして、僕が子供に接する場合、特に注意しているのは、一定の物理的な距離を取ることです。ゆえにたやすく触れないし、ましてや抱っこなど試みないい。そしてまた会話も、彼らの持ち物や服の模様についてたずねながら、距離感を探るようにしています。
そんな態度を心掛けるのは、どうやら僕の風体が子供にはおおむね怖く映るらしいと悟っているからです。好き嫌いに遠慮がない赤ん坊に顕著で、目を合わせるだけで泣かれちゃうんですね。
いつだったか、20歳を過ぎた姪に打ち明けられました。子供の頃の僕は、でっかくておっかない存在に見えていたと。何か、残念。そんな告白もあったので、乳幼児はチラ見で我慢。それ以上の子供にも、あるいは大人より慎重に距離を測る必要があるわけです。
僕としては、極めて純粋に可愛らしい姿を見たいだけ。なのにあからさまな拒否反応を示されると、1週間くらい引きずるほどに悲しくなります。だから僕の子供の接し方は、好かれるより嫌われない術に終始するのでしょう。
でもね、そんな僕でも稀に子供のほうから好きと言ってもらえることがあります。それだけで最低でも1週間は心が浮き立つって、それもまたどういう感情なのか、まったくもってよくわかりません。もしや好好爺の域に達したか?

組み上げました。なんともギターが弾きたくなるスツールです。

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