予定を変更します。自由に何かを書くとして、長嶋茂雄さんの訃報を聞いた後では、他の何も頭に浮かびません。
とは言え、僕の個人的な思い出をもとに弔辞めいたことを記したところで、これと言った価値が生ずるとも思えないんですね。何より僕はその他大勢に属するただの一ファンに過ぎないから。それでも、心の奥がじりじりとうごめいて、何かせずにはいられない気持ちが抑えられなくなる。こういう衝動は、あるいは僕より若い世代も、いつか経験する日が来るかもしれません。
89歳で亡くなる3カ月前まで公式の場に姿を見せていたので、世代によって印象が異なると思います。今となっては晩年に当たる、2004年3月の脳梗塞発症以降の長嶋さんしか知らない人にすれば、自分が生まれる前に名を残した教科書の中の偉人に触れるような感覚だったのではないでしょうか。
もう少し世代をさかのぼると、2期に渡り15年間務めたジャイアンツの監督としての長嶋さんの記憶が濃いはずです。
僕はと言えば、その前を知っている最後の世代になるかもしれません。プロ野球選手として活躍したのは17年。現役引退は38歳だったので、長嶋さんの人生でプレイヤーだった時間は、そうではない時間より短いわけです。
けれど僕は、そうではない時間を生きた長嶋さんを見るときも、どうしようもなく心を動かされた現役時代の姿が重なっていました。その如何ともし難い思いの象徴が、背番号の3。ゆえに今もってどんな場所でもこの数字を目にすると、機械的に頭に浮かぶのは長嶋茂雄という名前なのです。ご本人は記憶に残る選手でありたいとおっしゃっていたようですが、少なくとも僕ら世代にとって3に意味を持たせた点で、決して忘れられない人になりました。
こういう話、世代を超えて語り継げればいいと思います。今後の命日に行われるプロ野球の試合では、全選手が背番号3をつけて出場するとか、なぜそうするのか毎年知る機会を得られるとか。そのくらいして当然だと古い世代が声を挙げるくらい、極めて特別な日本人でした。心からご冥福をお祈りします。

こんなレコードを今も持っているくらい憧れた、という話です。
