この国の今日は、子供が習い事を始めるのに良い日だそうです。その起源は、室町時代に能の観世流を大成させた世阿弥。著書の『風姿花伝(ふうしかでん)』で、習い事を始めるには数えの7歳(満6歳)が最適とした記述が代々受け継がれ、江戸時代になると歌舞伎あたりで「六歳の六月六日」と語呂合わせを楽しむような言回しになり、広く知れ渡るようになったらしい。
習い事とは、学校外で身に着ける運動方面または文化的な技能ということでよろしいでしょうか。2022年のデータによると、小学生の72.5%が何らかの習い事に通っているとか。予想よりうんと多いと驚いたのは、僕が子育て関連にまるで疎いからでしょう。
これも無知ゆえの疑問ですが、「六歳の六月六日」はさておき、子供が習い事を始めるきかっけは、子供発信と親発進のどちらが多いのでしょうか。子供の年齢が低いほど親の誘導率が高くなるのかな。それで仮に子供が嫌がったとして、それでも何とか通わせて、後々感謝される確率はどれほどなんだろう。
嫌味な話をしたいわけじゃありません。僕も小学生のうちに、習字とソロバンに通わされたのだけれど、本当に面倒臭くてさぼりまくり、だからその後の人生に何も役立たず、親に無駄な出費をさせたことを大人になってから申し訳なく思いました。我が子の堪え性のなさをすっぱり諦められたのか、親から愚痴を言われたことはありませんでしたが。
けれど、習うって大事ですよね。これも大人になってから痛感した事実です。僕が自分発信で身に着けたいと思った運動方面や文化的技能は、すべて遠回りや横道がついて回る独学、というか我流。つまり優れた結果にたどり着くまで余計に時間がかかる道筋だったわけですが、それでも諦めなかったのは、理由もなく上達したい意欲が絶えなかったから。
すべての習い事がそうだったら、この国は運動や文化に長けた人だらけになるだろうな。いや、物事はそんなに単純じゃないか。きっと今だって、僕のように堪え性がなく、それよりもこっちが好きになってしまい、親に溜息をつかせる子が少なからずいるだろうし。

白も凛としていて、いいんですよね。
