先月発売された、さだまさしさんのニューアルバム『生命の樹 ~Tree of Life~』に入っている『Tomorrow』は、今日を生きるのは大変だけど、昨日に逃げず、明日に希望を抱こうと静かに語りかけてくる歌です。これが切なく染みるのは、目を向けるのは未来と綴りながら、明日を迎えるために会いたいとするのが、作者が亡くした人たちだからでしょう。
一人目は、東京ヤクルトスワローズのマスコットだった「つば九郎」。二人目が「お母さん」。そして三人目に「オヤジ」が来るのですが、「お母さん」の次なので、「なぜ真っ先に会いたいと思わないのか」といった言い訳が示されます。
この感覚の根っこに関してさださんは、『Yahoo!ニュース オリジナル』の『RED Chair』というインタビュー動画シリーズで、それとなく明らかにしています。たずねられた単語から連想するものを答えるコーナーでした。
順番は逆ですが、「母親」に対しては間髪入れずに「菩薩」。その前に「父親」と問われたとき、ためらい交じりで「父親ねぇ」とつぶやいた後で口にしたのは「教師」でした。
なるほどなあと感じ入りました。この思いがそのまま『Tomorrow』の歌詞に表れていると気付いただけでなく、まずは男として。さらに自分も父親を亡くした長男として、「会いたい」というストレートな言葉は父親に使いたくないという、おそらく実はどうでもいい意地に深く共鳴したのです。
そんなわけで、今日は父の日。ひとつの記念日として母の日ほど盛り上がらない理由を考えたとき、我が心の師匠が答えをくれたように思ったので、こんな話をしました。
とは言え、父子の関係は各々の家庭環境だけでなく、時代や、あるいは父と息子、父と娘でも変わってくるはずです。でもきっと、子供の立場から見た父と母は、同じ親であってもまったく違う存在であり、感謝の示し方も自ずと異なることは、多くの人が共感するんじゃないかと、ただそう思うだけです。
僕が誰かに「父親」から連想するものをたずねられたら、やっぱり一瞬ためらうんじゃないかな。母親ほどに素直になれないのはなぜなんだろうね。

別の軒先でもびわがたわわ。この時期が旬なんだってね。
