自己肯定感

最近になり、野球仲間と映る動画を見る機会が増えています。ひとつは少し前に話した2時間ノック受けまくりの変態練習会。もうひとつは他チームとの試合。いずれもご丁寧にYouTubeで視聴できるようあつらえてくれるので、中には自分のシーンだけを短く編集して、「これ、どうすか?」と送ってくるヤツもいます。
この世でもっとも返事に困る質問の類です。なので適当に、こういうの好きだな」と返したら、「自己肯定感が上がるんですよ」と言ってきた。
自己肯定感については、いろんな説明があります。「ありのままの自分を肯定的に受け入れる感覚」や「現在の自分を認める感覚」あるいは「自分を他人と比べることなく受け入れ、尊重すること」などなど。要は、自分を好きでいられるか否かってことだと思うのですが、一般的にはその高低が注目されますよね。
たとえば「私は自己肯定感が低いのです」と打ち明けられると、過去に自信をなくすような出来事があったんじゃないかとか、だから「私なんか」と自らを卑下するような口癖からやめてみたらどうだろうとか、あれこれ心配になったりするのだけど、それも突き詰めれば、自己評価のレベルを自分で上げ過ぎているか、または自己肯定感という言葉にとらわれすぎなのではないかと、そんなふうに思います。
僕は自分が映った映像を見るとき、決して期待するなと言い聞かせるようにしています。なぜなら、常に「こんなはずじゃない!」自分の姿がそこにあるから。これは自己嫌悪を呼び覚まします。カメラはもちろん、ともにプレイした人々にも、これほどヘタクソなオレを晒していたのかと気づかされると、YouTubeに動画の削除を求めたくなる。
ただし、上達のための教材と割り切れば、また別の視点も立ち上がってくるんですよね。それはおそらく、高さや低さに関係ない、ある意味で純粋な自己肯定感が引き起こす向上心と呼べるものになるのかもしれません。
であれば、「これ、どうすか?」と自分のシーンを切り取ってくるヤツの感覚とは何だろう。自己肯定感ではなく承認欲求? 実は自己顕示欲? いやいや、極めて単純に「見て見て!」という無邪気さなんでしょうね。それを遠慮なく放ってくる連中と野球をやるのは楽しいし、そんな仲間を持てたことで僕の自己肯定感は上がると、そういうオチです。

こんなにうねる雨雲が居座るってことは、まだ梅雨の最中ってことなのかな。

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