iPhone「ふ~ん」

この話題、どこまでいっても呆れの「ふ~ん」でしかないのだけど、2007年6月29日はアメリカでiPhoneが発売された日なんだそうです。このトピックに関しては感嘆の「ほお」ですね。なぜならAppleが開発したスマートフォンは、21世紀を代表する発明になるだろうから。
さておき日本でiPhoneが販売されたのは、本国から1年遅れの2008年。いち早く手にした人に自慢されたのをよく覚えています。その流行に敏い人たちは全員、PCからしてMac派でした。
一方で僕がPCを使い始めたのは、フリーランサーになった1990年代末。かなり遅めの導入ゆえ情報が乏しく、何を買うべきか某誌の編集長に相談したら、「文章書きが中心なら」とWindowsを勧められ、素直に従いました。
とにかく慣れなければならず、慣れてしまえば他を使う理由もなかった。なのにMac派は、僕のPCを見るたび、「こっちのほうがおもしろいよ」と声をかけてくる。正直、ウザかったです。僕は機械自体におもしろみなど求めていなかったから。なので適当な返事で本気でもない勧誘を断り続けていました。
そんなところにiPhone登場。これも最初はどうでもいい存在でした。しかし携帯端末の主流がスマートフォンに移ってからはiPhoneユーザーが増大。現在の国内シェアは約6割に達しています。
スマートフォンに関しても僕は、携帯電話のキャリアがiPhoneを扱うはるか以前のドコモだったことから、特に迷わずAndroidを選びました。業務用ツールとして支障なし。にもかかわらずまたしてもiPhoneユーザーは、僕と僕のスマホを見下すようにして、「へぇ~」とつぶやく。
それって一種の差別に違いないけれど、恐ろしいのは慣れなんですよね。僕はやがて、マジョリティにありがちな無意識の蔑視を受け流すようになった。たとえば先日見つけた、再生素材によるチープでナイスなデザインのスマホカバーがiPhone専用だったと知っても、やっぱりそうかと素っ気なく「ふ~ん」でやり過ごせてしまえるのです。
でも、実は釈然としません。そのジレンマみたいなものは、冒頭で触れた通り、スマートフォンのオリジナルたる存在がiPhoneと認めてしまったところからきているのでしょう。でも、今さら乗り換えるのも悔しい。そんな思いを抱いてしまうのが、マイノリティの苦しいところなのです。

こっちも梅雨が明けちゃうのか?

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