訃報に触れて常に感じるのは、様々な思いは生前に伝えるべきという悔やみです。とは言え、ただのファンだった場合は伝える術がなかったりもするけれど。
タミヤと言えば、世界トップクラスの模型メーカー。その代表取締役会長だった田宮俊作さんが7月18日に亡くなられたことが報じられました。何度か取材で静岡の本社にうかがいましたが、ご本人にお会いする機会はありませんでした。でも、できれば心からの感謝を伝えられたらよかったと思っています。
ニュースでは、1982年の発売以来、何度も大ブームを起こしたヒット商品『ミニ四駆』の生みの親と紹介されていました。それは正しい事実ですが、世代的に『ミニ四駆』に触れなかった僕にとってのタミヤ、というより旧社名の田宮模型は、精巧なスケールモデルを与えてくれた存在として記憶に焼き付いています。
いわばプラモデル。戦車、戦闘機、軍艦などのミリタリー系で目覚め、小学校の高学年からはレース用のクルマやオートバイのシリーズに興味が移っていきました。たぶん30代の前半くらいまでは、それらの新作が発売されるたび買い漁っていたんですよね。本と同じく、手つかずのまま部屋の片隅に積み上げる可能性が高いにもかかわらず。
タミヤのプラモデルでもっとも感謝しているのは、クルマやオートバイの部品名や、作動の仕組みを自然と学べたことです。これは、今の仕事に就く上で大きな財産になりました。
さらには、説明書通りに組めば完成にたどり着けるものの、自分の手を動かして何かをつくるよろこびも、僕はプラモデルで教わりました。それもまた、大人になって救われた経験でした。
そうした精巧なプラモデルの提供に舵を切ったのも、田宮俊作さんだったと聞いています。だから僕は、この方が大活躍していた時代のタミヤ・チルドレンと名乗ります。実際に母親と同じ年のお生まれだし。
いや、訃報に触れて衝動に駆られるのも浅い感じですね。なのでこれを機にまたプラモデルをつくろうなどとは気安く言えません。タミヤのそれは、相応の気合いなくして手を出しちゃいけないものですから。

夕暮れ間近のおばちゃんは、何を探していたんだろう。
