まぶしい人の言葉

実は触れないでおこうと思ったんです。イチローさんの野球殿堂入りスピーチ。何というか、年を追うごとに言動の的確さが増していくようで、そのまぶしさに目が開けられなくなってきたところがありました。決して否定や揶揄ではなく。
けれど例のスピーチは、殿堂入りした人ひとりに対して20分以上の時間が割かれるというじゃないですか。大勢の聴衆の前で質疑応答もなく、ソロで話し続けるのはかなり大変な作業に違いありません。それをイチローさんがどうこなすかは、レンズ濃度がもっとも高いサングラスをかけ、まぶしさに耐えながらも見なくちゃいけない。そんな妙な義務感に苛まれてしまいました。
練りに練った原稿でした。スピーチの中でも準備の大切さを語っていたから、英語の発音を含め、何度も読み返しと書き直しが行われたのは想像に難くありません。そしてまた、数分に1回は笑いを取りに行くのも、実に彼らしかった。
「自分にとって野球は、何が大切かを見極める価値判断の方法を教えてくれた」
「私が認めてもらえた記録は、小さなことに徹底的に注意を払いながら19シーズン続けてきたこと」
これらは、あらゆる立場や場所に響く普遍的なメッセージですよね。イチローさんがそうした言葉を発するのは予想通りでもあるのだけど、何度聞いても納得してしまうのは、人並外れた努力を続けた先で獲得した歴史的記録があるからです。それなくして、業績や人格を称える殿堂入りは果たせないし、そもそも人が耳を傾けることもない。
つまるところ、いかなる準備や努力を惜しまなかったとしても、誰もがイチローさんにはなれない。なのに当人は、野球という枠に留まらない普遍性に満ちた言葉を発する。これをどう聞けばいいのか?
僕はこう思いました。特別な招待によって20分も登壇する機会はまず訪れないけれど、然るべき時に備えて、せめて自分に向けたスピーチ原稿は用意しておこうと。それを中身あるものにするためには、妥協や諦めを笑いに代えつつ、自分を納得させる業績を精査しておかなければと。
なんて大仰なことを考えさせられてしまうわけです。あまりにまぶしい人の言葉は。憧れるしかなくなっちゃうよな。

混ざりたかったな。

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