例によって、古めの大人が大好きな語呂合わせですが、8月19日は『バイクの日』。この場合のバイクは、自転車ではなく、エンジンがついた二輪車。言い換えればオートバイを指します。和製英語のそれだと8・1・9にハマりませんね。
けっこう前の1989年。当時の政府総務庁交通安全対策本部が、二輪車の交通事故撲滅を目的に制定したそうな。いつの時代もオートバイは危険と決めつける、いかにもお役所的な発想です。できれば、事故撲滅とかネガティブ方面ではなく、安全に乗れるバイク環境整備をスローガンに掲げられないものかと思ったりするのですが、どうでしょう?
すみません。オートバイを降りてしまった人間の、お門違いの恨み節になりました。20歳から乗り続けてきたオートバイを手放したのが2年前。理由はいろいろあったのだけど、乗る機会が減ったのが一番です。機械は、動かさないとひたすらくたびれていく。または、くたびれていくことに気づけなくなっていく。そんなこんなでカバーをかけたままの愛車が気の毒になり、こんな状態でも引き受けてくれる人がいるならとお別れを決断した次第です。
若い頃は、オートバイと離れることなどあり得ないと思っていました。したり顔の大人たちは、避け難い終わりを卒業などと言い換えたりするけれど、相棒と呼ぶべき存在から卒業するという意味合いが理解できなかった。
けれどそれは、諦め方や負け方を知らない若造の夢想だったのかもしれません。オートバイに興味のない方にすれば、乗らなくなったなら手放すのは当然の話でしょう。けれど僕にとってのオートバイは、移動手段のひとつとか、所有欲を満たす物とは別でした。何と言うか、ひとりで自由に街を駆け抜ける、いわば動ける自分を証明するプライドの象徴みたいなものだったのでしょう。歳を重ねれば、そういうこだわりこそ夢想に変わっていくのだろうけれど。
いやまぁ、さびしい話です。不安なのは、それ以外の相棒たちからの卒業でしょうか。思い通りに指が動かくなってギターが弾けなくなる日がくるんじゃないか、とか。諦め方や負け方を知るって、想像よりもうんと怖いです。

立派な佇まいなのに、尊敬されることが少ない建造物だと思って。
