80年前の今日を生きた人たちを

日本人は8月しか戦争や平和について考えないと揶揄されますが、ならば8月くらいはそれについて意識を向けておこうと、あえて自分のために書きます。
1945年8月15日。その前日に無条件降伏を勧告するポツダム宣言を受諾したことを受け、天皇が国民に終戦を伝えるラジオ放送が行われました。けれど、それでぱったり戦争が終わったわけではなかったようです。
2日後の8月17日。降伏を不服とする尊攘同志会のメンバーが東京の愛宕山に篭城し、全国に決起を呼びかける騒動を起こしました。それが飛び火したのが、8月24日未明に発生した松江騒擾(そうじょう)事件。島根県松江市で皇国義勇軍を名乗る数十人が武装蜂起し、島根県庁などの主要施設を襲撃。国民や国土をさんざん痛めつけられても、まだ本土決戦は可能と考えた終戦反対派による大小の反乱は、各地で勃発したそうです。
連合国による占領支配実施が噂され始めた8月28日。日本政府の援助のもと、特殊慰安施設協会が占領軍兵士向けの慰安所を東京に設置します。慰安とはつまり売春。今では考えられないこの仕組は、戦時中の兵士による赴任地での強姦などから、日本人女性を守る目的でつくられました。戦勝国のアメリカは、公には売春を認めないことを明言していたらしいんですね。それでも日本政府が忖度する形で慰安所を設けたのは、兵士特有の行動を恐れたからではないでしょうか。
そして8月30日。連合国軍最高司令官のダグラス・マッカーサー元帥が厚着飛行場に到着。3日後の9月2日に調印された降伏文書によって、この国は約7年に渡る占領期間に入ります。
けれどきっと、働き盛りの男性がいない、子供と老人と女性ばかりの当時の日本人は、何が起きているのか理解できなかったんじゃないでしょうか。終戦の伝達によって、すぐに生活が好転したわけではなかったはずだから。
人と人が傷つけあう戦闘は終わったとしても、人々が苦しむ日々は簡単に終わらない。それもまた戦争の恐ろしいところです。僕の父親や母親を含む、80年前の今日を生きた人たちを想像してみようと思います。

7月末に撮ったミストの風景。まだもう少し続くんだろうな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA