思いやりのノリツッコミ

時に僕の職域のインタビューに触れると、さも話すのが上手そうな気配を漂わせてしまいます。その原因は、原稿として仕上げるための良いネタをいただく話術を研鑽してきた自負が表に出るから。あるいは、相手に語らせることを大基本として、自分の感想などは対話の呼び水程度に収められる余裕を暗に自慢したいからかもしれません。
ところが、強いて言えばプライベート圏内では、仕事で培ったはずの自負や余裕がまるで生かせないことがあるのです。つまり、上手く話せなくなる。それが顕著に表れるのは、たとえばひとつの問題に対して、関わる人たちの考えが交錯する場面です。
ひとつの問題と言っても、立場や見方によって多くの側面が存在します。それがわかっていながら、耳触りの良くない状況を知らされると、自分が見えている面だけを伝えがちになる。おそらくは感情が先走りするせいでしょう。そんな場面でかろうじて僕にできるのは、問題の側面をこれ以上増やさないよう、身勝手な思いを口にしないことだけ。
そうしてすぐに後悔が訪れます。口をつぐむ時間があったなら、自分には見えない面を持つ相手を思いやる言葉をなぜ発せられなかったのかと。それは同時に、文章ならできるのにという、別の悔やみにつながっていきます。けれど対話中の相手には、文章を待つ時間があるはずもない。
必要なのは、思いやりに満ちた言葉を適切に選べる瞬発力。それが決定的に欠けている以上、話す仕事の依頼はまず来ないという確信だけでなく、言葉や文字に意識がありながら、実は会話下手という残念な事実に向き合わなければなりません。
いくつになってもそうなら、もはや改善の余地はないかもしれない。けれど、大事な問題に直面したなら、人の話を聞き過ぎて自分の考えが不明瞭になっても、何はともあれ思いやりを最優先できる人間になりたい。
そこで心掛けるべきは、ノリツッコミだろうと。まずは一旦、全面的に相手に乗っかる。突っ込むのはそのあと。それが最終的に人の笑顔を引き出すなら、お笑いの伝統技法を改めて学ぶべきと痛感しました。「文章を書けるなんて凄い」とか言われることがありますが、普通の日常では上手に話せたほうが好かれると思います。

様々な雲が同時に現れた、昼と夜の長さが同じだった日の空。

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