一生物

ふと、「一生物」という言葉が降りてきました。まるで天才のひらめきみたいな言い様ですが、毎日何かを書こうと必死になっていると、目や耳に飛び込んだ情報の尻尾をつかまえようとする無意識の習慣が染みついているだけだと思います。
そんな話はさておき、一生物について考えました。GoogleのAIは次のように述べています。
「一生使えるほど品質が良く、長く愛用できるもの。具体的には、流行に左右されない普遍的なデザイン、高い品質と耐久性、そして経年変化が楽しめるもの」
異論はありません。付け加えるとしたら、AIが示す一生物の条件を満たすのは、およそ製品。そしてそれは、相応に高価。これは案外大事で、たとえば身の程をわきまえず手に入れるという行為が伴ってこそ、かつて経験し得なかった満足感が得られると思うのです。そこには世間の価値基準も絡んでくるから、人から「一生物になるね」と褒められて初めて、自分でもこれが一生物なんだと確認することができたりします。
「経年変化」の記述にも同意しますが、それを楽しめる期間が自分の生涯より先に終わってしまったら、果たして一生物と呼べるんだろうか? 重箱の隅を突くような指摘でしょうけれど、経年劣化で使えなくなるものは外すべきかもしれません。
もうひとつだけ個人的な条件を提示すると、身の程をわきまえもせず衝動的に手に入れた高価な製品であっても、リセールバリューを気にするようなものは一生物と呼ばないでいただきたい。時折「いつか手放しても高価で買い取ってもらえるから」という購入動機を耳にするけれど、僕はそれ、酷く悲しくなります。
一生物とは、自分の一生の終焉までそばにいてくれるもの。あるいは、他の誰かが引き継ぎたくなるほど愛ある使用に耐え得るもの。こんな気持ち、AIにはわからないかな。
以上を総合すると、僕の場合は、やはり2本のアコースティックギターになります。そこで、老婆心ながら特に若い方々にお伝えします。できるだけ早めに一生物に巡り合ってください。そのほうがともに楽しめる時間が長くなるから。ただ、そこは出会いなので、自分ではどうにもできないところがあるけれど。
ちなみに僕の2本のギターに関しては、リセールではなくリユースを真面目に考えています。わりと魂的な問題として。さしておもしろくない人生でも、僕の一生に関わってくれたものですから。

右が23年前。左が3年前に出会った一生物たち。ともに暮らせる時間の長さがねぇ。

 

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