苦肉

今日は苦肉について。一般的には、ピンチの状況を覆すためにひねり出した苦し紛れの方法を指す、「苦肉の策」という慣用句で使われることが多いですよね。それはそれでいいのだけど、じゃなぜ苦い肉と書くのだろう。空腹に耐えきれず腐った肉を食うしかなかったジレンマを意味しているのか? とか、考えてみたのです。ところが本当は、かなり痛ましさを伴う言葉のようです。
そもそもの苦肉の意味は、「敵をあざむくため自分の身を苦しめる」。つまり、裏切りの計略を成功させる上で、自分の身=肉がどうなってもいいという強い覚悟を示しているとも言えます。
語源を検索中、江戸時代の川柳句集から一句を拾い上げて説明した、かつて辞典編集部長だった方のコラムが目に留まりました。
「ゆび切るも実は苦肉のはかりごと」
これは、遊女が太客に対して行う誠意の証明として、切り落とした小指を男に贈る慣習を詠んだものだそうな。そんな物騒な事実があったかどうかは知りません。しかし遊女の誠意は、あくまで商売上のものだと想像できます。そして仮に行為の真実が相手に悟られようと、おそらく遊女は心のうちを決して明かさなかったはず。そこまでの壮絶さを秘めていないと、苦肉に相当しないのかもしれない。そんなことを考えさせられました
苦肉を持ち出したのは、本日が9月29日だから。語呂合わせで行けば「苦肉の日」ってのがありそうだと思ったのですが、物事をよく知る方々によって却下されたみたいです。929を「くっつく」と読んで、「接着の日」に制定した例はありますが。
そんなこんなで、ここで何か書くため苦肉を選んだのもただの苦し紛れに過ぎす、苦肉の策には遠く及びません。とは言え、日々の中で本質的な苦肉に直面することはなかなかないですよね。誰かをあざむかなければならない窮地もまずないし。経験値で言えば、苦肉の策は急場しのぎにならざるを得なく、たいがいはカッコ悪さが露呈するものです。何にせよ、覚悟の問題なんだろうな。

昼下がりの公園。日差しの柔らかさが伝わればと思って撮ったけど、どうなんだろう。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA