オーストラリアが施行した世界初の「16歳未満のSNS利用禁止法」は、ここ最近でもっとも関心を寄せたニュースです。この法律、現時点で16歳未満の子供が持っているアカウントの凍結と、16歳未満ではアカウントがつくれないことを定めています。それによって所定の年齢のSNS利用が事実上禁止になる。そういう文脈なんですね。本気度の高さも興味深いところです。
SNS関連にありがちな「保護者の同意があれば」という例外を認めない。さらに、アカウントを管理するソーシャルメディア企業が重大な違反を行った場合は、最大で約51億円もの冗談みたいな罰金が科される。ただし、利用者側の保護者や子供の責任は問わない。その点に関して、子供たちを守るべき大人の矜持に強く訴える法律と言えるかもしれません。
この新たな法律の賛否や是非以前に考えてしまったのは、つまるところ行き過ぎの抑え方の難しさでした。発見と発明によって築き上げてきた人類の文明は、すべからく両極を有しています。たとえば火。凍える体を温め、調理を可能にする一方で、使い方によっては土地や住まいや、生命までも焼くことができる。それから核。生活に必要なエネルギーを取り出すこともできれば、一瞬にして地上を破壊することもできる。
SNSも同様ですよね。遠くの国の人と情報共有できるよろこびと、見ず知らずの人間をたやすく傷つけられる怖さが同時に存在しています。それらを理解し正しく使えればいいけれど、そうもいかないのが人間の性なのでしょう。だからどこかで線を引き、蓋をしなければならない。それを件の法律は、年齢制限に求めた。
本当は皆、苦肉の策とわかっているはずです。実のところ、負の側面に取り込まれているのは、16歳未満より人口が多いそれ以上の年長者たち。それでも16歳の線引きは、大人の至らなさに子供を巻き込まないための、あるいは文明史上初の大英断かもしれません。
などともっともらしく話していますが、「16歳未満のSNS利用禁止法」に触れて最初に頭に浮かんだのは、こんな感想でした。自分がその歳なら、情報のありがたさを悟れず、刺激が中毒になるのも気づかないまま、そりゃもう貪るように見ちゃうだろうと。そしてまた、本能を燃料にしてあちこち突っ走ったあの頃にSNSがなくてよかったと、安堵するような気持ちも湧きました。

転げ落ちたら水深が浅くても凍死すると思った@目黒川。
