おもしろいと賢いは同義

頭がいいとはどういうことか? これについて考えてみました。
まず、記憶の入力がスムーズで、出力が速いこと。それに長けていれば、制限時間が設けられる複数科目のペーパーテストでは、優れた総合結果を出せそうですよね。その経緯に沿う形で、高学力が求められる学校に入れた人は「頭がいい」と評される。
これはどうでしょう。たとえば、宇宙の不思議を料理のレシピで説明できるケース。あり得なそうな例ですが、要するに非日常的な難題を、日常的で馴染み深い理屈に置き換えて説明されると、機転の利き方と応用力の高さに感動しませんか? という話です。
そんな対話を可能にするには、異なるジャンルの知識を溜め込む高度な記憶力もさることながら、理解しやすい情報を選択した上で、適切な伝達法を実践できるコミュニケーション能力も不可欠でしょう。
ただし、コミュニケーションで重要なのは経験値。伝達の速度や深度は相手によって変わるから、相手を見極める観察眼や、予測不能な返事への対応力が必要です。それらが然るべき場数によって磨かれるものなら、僕が考える頭のよさとは、固定されたものではなく、柔軟な思考で広がっていく賢さを指すのかもしれません。
……なんてのは、学生時代にろくな成果を挙げられなかった過去を持つ者の、残念な戯言かもしれません。ペーパーテストはダメでも、数値で示し難い賢さなら何とかなるかもって、あまりに虫がよすぎますね。
今日の話題、現役女子高生が司法試験の予備試験に合格したというニュース記事が起点になりました。記事によれば、高1で読んだ憲法の入門書に夢中になったのをきっかけに、司法試験の予備校に入学。件の試験には、高2の2月に受かったそうな。その子に、「それはペーパーテストの結果でしょ」なんて口が裂けても言えません。僕には耐え難い勉強量だったに違いないから。でも、嫌ではなかったんじゃないかな。
話を転じます。ついこの間、弁護士を辞め、法曹とは無縁の家業を継いだ人に会いました。僕はこう思ってしまうわけです。超がつく難関試験を突破したのにもったいないのではと。けれど彼は、代を絶やせない宿命を受け入れる決断をしたと言いました。カッコいいですよね。そして、おもしろい。僕の中では、おもしろいと賢いは同義なんですけれど、どうでしょうか。

町のどこからでも見えるクレーンが、いつの間にか2機。工事も終盤? または遅延?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA