二人きり

最近は、もしかすると子供の頃より母親と二人きりの時間が増えています。それは高齢に伴った通院の送迎機会に比例した結果なので、必ずしもよろこべることではありません。あるいは母親自身も、倅の世話になる情けなさが勝って、二人きりの時間を楽しめてはいないと思います。
さておき、耳は遠い癖によく喋るので、車中では自分なりのきっかけで思い出を語り始めたりします。おそらく無意識だろうけど、その多くはなぜか僕が知らない話ばかり。この間は、僕の祖母。母親にすれば姑の記憶でした。
父親の実家とは、関係性が芳しくなかったみたいです。その気配は、祖母に対して多くを話さなかった母親の様子から、それとなく感じ取っていました。そんな曖昧な印象について、母親が倅に確認したことはありません。なのに先日の母親のつぶやきは、僕が姑と嫁の関係性を承知している前提になっているようでした。
「いっしょに拝んでやってくれって言ったのよ」
数日前が命日だった祖母が母親に頼んだのは、5人か6人の子供を産んだ祖母の、上の男子。つまりは父親の長兄。会うことのなかった伯父が特攻隊で戦死した件は、祖母の家に飾ってあった、戦闘機乗り姿の遺影を見上げたときに教えられた覚えがあります。
「あんたは毎朝毎晩、仏壇に向かってるだろ。だからあの子たちの分も頼むって。でも、そちらの家とは宗派が違うんですよって言ったのよ」
運転中の長男は呆れます。そこは嘘でも「はい」と応じておけばいいのに、わざわざ断ってみせたところに、今に続く母親の勝気があるのだろうと。
果たして、母親にしても会うことのなかった義兄たちに鎮魂の祈りを捧げたかどうかについて、母親は何も言いませんでした。ただ、次の言葉でこの話題を終わらせたのです。
「お義母さんも母親だったんだね」
祖母に対して「おばあちゃん」はあっても、「おかあさん」と呼んだことはなかった気がします。なので、ちょっと心配になりました。なぜ今そんな話をするのか。もしや何かの兆候なのか……。
でも、それは口にしませんでした。暖かな日が差し込む車内の二人きりの退屈をしのぐため、ただ思いついた話をしたに過ぎないんだと。そういうことにしておきたいのは、僕の勝手な願いですが。

部屋の真下の夜間工事。ご苦労様だけど、同じ場所を何度も掘り返している気がするな。

 

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