自己顕示欲を晒すような話ですが、自分の名前が17日の誕生日由来ゆえ、どんな場所であれこの数字を見ると、「オレの」となってしまうわけです。僕だけにかけられた呪いかもと密かに憂いでいたら、数字名前の人は同じ感覚を持っていることを知りました。二三男さんという方は、街のパーキングで「230台駐車可能」という看板を見かけると、「俺の駐車場は立派!」と納得するそうです。何だかホッとしました。
そんなわけですから、誕生月はさておき誕生日が同じ人に対しても、勝手にシンパシーを抱いてしまうのです。その始まりは、山口百恵さん。伝説の歌姫と呼ぶにふさわしい方の誕生日が1月17日。そういうのは「スター名鑑」みたいのに載っていて、あの百恵さんも17なのかと、10代前半だった僕は、かなり強引に親近感を手繰り寄せたりしたわけです。それでどうなるものでもないのですが。
他方で1月17日は、1995年に阪神・淡路大震災が起きた日でもあります。不謹慎の類でしょうけれど、そのときに思いました。百恵さんはどう感じたんだろうと。天災に見舞われる日付なんて、誰にも予測できません。なのに、よりによって自分の誕生日と重なるなんて、その年以降も祝う気分など持てないんじゃないかと、僕はそれが気の毒になりました。
いや本当に、勝手ですみません。1年365日いずれも、誰かの誕生日であり、誰かの命日なので、自分事との符合を考えていたらきりがなくなります。だから、それはそれ。これはこれ。
ただ、自分の中にぶれようがない基準点のようなものがあると、それを起点にいろんな物事とつながったり、忘れられなくなるというだけの話です。大谷翔平選手に憧れたんだと思われようと、ユニフォームの背番号は17以外にないと頑なになるのも、僕の基準点がぶれない証拠と言えるかもしれません。って、これは引き合いに出す例じゃないですね。
その後の大きな地震災害で忘れかけられているところもありますが、阪神・淡路で亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。そしてもちろん、百恵さんのお誕生日もお祝いさせてください。

出会うのではなく、自分から見つけに行っている気がしなくもない。
