私立の学校に通っている、近所の小学6年女児の話です。この春から中学生になるので、どこに進むかたずねたら、同じ学園の中高一貫校に通うと、そばにいたお母さんが教えてくれました。敷地も同じなんですって。
ふと、疑問をいだきました。6・3・3の12年間も同じ場所を往復するなんて、飽きたりしないのかなと。でも、直接的に問うのはよろしくないと思い、親子の目の前にぽんと置くように、「通学路は変わらないんだね」とたずねてみました。
「う~ん」と応じたのは小6。会話自体に興味がないのか、あるいは再び続く6年間の通学に実感が湧かないのか、軽く流されました。
「でもこの子、今は1本で行けるバスで通っているんですけれど、朝などは居眠りして、学校のだいぶ先まで乗り過ごすことがあるんですよ」
そうした位置確認は、学校支給のGPS搭載装置で可能になっているそうです。それを便利な時代のおかげと称えるべきか、物騒な世の中のせいと嘆くべきか。この問いかけは、ひとまず横に置きました。
「途中まではバスに乗って、電車に乗り換えるルートもあるんです」
これは、僕の疑問に気付いたらしいお母さんが検討している、新たな通学路計画。他にも、最寄りの電車の駅から一度だけ乗り換えるルートもあるけれど、そっちの路線の通勤通学時間帯は激しく混雑する上に、痴漢被害が心配なんだとか。やっぱり世の中の一部には、極めてろくでもない奴がいるんですね。
話題の中心に据えられた当人は、集中するでもなく耳を傾けていたので、僕から切り出してみました。いっそ徒歩で通ってみたらと。これは「1時間はかかる!」とあっさり却下されました。乗り過ごしのロスタイムを考慮すれば同じくらいじゃないかと思ったけれど、無駄に嫌われたくないので、ここでこの会話を閉じました。
でも、僕の疑問は解消されていません。自分なら確実に飽きるに違いなく、振り返れば6・3・3で切り替わった通学途中の風景や寄り道が懐かしく感じられるから。それが大人になる上でどれほど役に立つのかは証明できません。何しろ、あちこち寄り道したせいで“こんな大人”になった僕が、未来ある子供たちの手本になれるはずもない。
だからそもそも、親になったことも、子の心配をしたこともない僕の疑問なんて、この世界では取るに足らないものなのでしょう。この週末は共通テストがあったりして、進路という言葉に迫られる親子が多いと思います。皆さんの希望が叶いますように。

かなり久しぶりに利用した、高校時代の通学路線。懐かしさより新鮮さが勝ったかな。
