そんなわけで衆院選が終わりましたが、選挙が行われるたび、政治家になるため立候補するのは、果たしてどんな人なんだろうと思ったりします。
「政治家とは、人々の生活や社会を良くするために必要な法律や政策を考え、議論し、決める職業」
これは、政治家をキーワードに検索していた最中で見つけた、あるサイトの一文です。となれば立候補する人は、「人々の生活や社会を良くする」意欲をもった方になりますよね。その意欲を施策に変えて選挙中に訴え、個々の清き一票をいただいて当選を目指す。
いやいや、話はそう簡単ではないでしょう。意欲があろうと、どこの誰かがわからなければ票を投じてもらえない。そのための信用を積み上げるには、かなりの時間がかかるはず。
その知名度もなんとか稼げた上で、ようやく立候補に漕ぎつけ、いよいよ世間の審判を仰ぐステージにたどり着くわけですよね。それでも「人々の生活や社会を良くする」意欲を維持できる人って、どれくらいいるんでしょうか。少なくとも僕には、そこまで強固な精神力は根付かないと思います。
また一方で、心から尊敬される職業ではないイメージが拭えない気もします。僕は一度だけ、国会議員にインタビューしたことがあります。道路行政がテーマだったかな。インタビュイに会ったのは、霞が関の議員会館。「ここかあ」とか感心しながら指定の部屋で対面した議員の最初の一言が「勉強してきたのか?」でした。横柄さがあまりに想定通りだったので、うっかり吹き出しそうになったのを覚えています。議員の名前は忘れたけれど。
あくまで1サンプルに過ぎないので、政治家の皆さんすべてが「いかにも」ではないでしょう。けれど彼らが「人々の生活や社会を良くする」意欲を失わなければ、一庶民のインタビュアに対する態度は違ったものになったのではないでしょうか。
ようやく当選を果たした先で、そんな疑念を持たれながら職業をまっとうできるなんて、やはり並大抵の人物ではないのかもしれません。そうはなれない僕は、だから政治家になりたいどなたかに丸投げしてしまうんだろうな。
そんな他人任せでは日本は良くならないと奮い立つ人が立候補する。そういう循環が、僕の知らないところに存在しているのかもしれません。

月曜の朝も残っていました。これじゃエンジンが冷えすぎて、かかりが悪いに違いない。
