口のだらしなさあっての厄介事

『孤独のグルメ』の主人公のような、幸福に空腹を満たすときは誰にも邪魔されず、または気を遣わず食べる行為に並々ならぬ意欲を持てたなら、僕の人生は違ったものになっていたんだろうかと思ったりします。
たとえば、移動の合間が昼前後に差し掛かった場合、乗換駅の周辺で飯を食べようかと考えると、ちょっとワクワクするんですね。なぜなら、昼飯を外で食べる機会が極めて少ないし、不慣れな町で飲食店を探すことも滅多にしないから。
そうした食活動に積極的な人は、けっこう多いんじゃないでしょうか。事前にスマホであれこれ調べたりして、そういうのはきっと楽しいのでしょう。
しかし残念ながら、僕は食活動の楽しみや幸福を享受できる感性が乏しい。どうやら、「これが食べたい!」とか「あれも食べたい!」といった欲が薄いみたいなんですね。もちろん、食べ物は美味しいほうがいいし、少なくとも価格に見合った満足を得たい。なのだけど、「じゃ何が食べたい?」と自らに問うても、「これ!」や「あれ!」がまず浮かばないのです。
そんな性質なので、「何にします?」とたずねてくれる店では、答えに窮する困惑の時間を招きかねない。それでは先方に迷惑なので、僕は常に二つの返事を用意しています。一つは、「本日食べて(飲んで)おいたほうがいいものを」。オススメとは言いません。メニューのすべてがオススメのはずだから。もう一つは、「お任せで」
いずれにせよ客の注文責任を完全放棄するので、何を出されても文句なし。ただ、もらい事故みたいに責任転嫁された店の人も、そこはプロなので間違いない品を用意しながら、それを出した理由を説明してくれることが少なくありません。そうした客あしらいというか、その店その人ならではのグルーブみたいなものに、強いて言えば食以上に僕の興味は向かいます。まぁ、何でも食べられるし飲める人間の、口のだらしなさあっての厄介事ですが。
先日、移動の合間が昼時に重なり、飯屋を探す機会に恵まれました。なのに、「これは何か違う」とか、「けっこう並んでる」とかネガティブな言い訳に支配された挙句、駅まで戻って改札間近の吉野家へ。ドアを開ける直前、我が身を言いくるめました。誰にも邪魔されず、気を遣わずものを食べる行為には合致していると。まぁ、吉野家もかなり久しぶりだったので、決して不幸ではなかったですけれど。

ひれ伏すほどの敬意を抱くのは、高所で働く人々。

 

 

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