ある人が口にしてから、ここしばらく気になっていた言葉が『仲違い』。それを耳にした瞬間、違和感を覚えたのでした。なぜなら、長い付き合いがあったものの、あるいはあったにもかかわらず、仕打ちと呼ぶ他にない一方的な行為を受け、僕は彼らと決別することを決めたからです。だから字感的に仲を違えた両者の責任がイーブンに感じられる仲違いは、僕の頭の中では一度たりとも浮かびませんでした。何しろ悪いのはあっちなんだというのがこっちの内なる主張だから。
という話をある人に打ち明けたら仲違いと言われたわけです。第三者は違うんですね。
関係性の最終局面では、双方または片方に誤解が生じたことで離れ離れになったとして、そこまでは仲良しだった経緯があったんでしょ?
これは僕が想像した第三者の観点または感覚です。だから、仲違い……。当事者というのは物語の終わり方だけに意識が向きがちで、経緯に対して正当な評価ができなくなるのだとすれば、その通りなのかもしれません。仲違いの仲だけサルベージしたなら、何かに仲立ちしてもらう形で関係修復に向かうことができたのでしょうか。
あまり言いたくはないのですが、この件に関してはそれなりの結論が出ています。仲違いとされて違和感を覚えたのは、その人が僕の言い分を受け入れてくれると勝手に期待したから。つまりは精神が偏狭だから。そういう性分はこんな歳になっても変えられないみたいです。人はそれを大人げないって評するんだよな。もっと早く第三者に打ち明けていたら違った結果になったのかな。どう思います?

東京地方3月3日の日の出は6時9分。冬至から40分近く早くなっているんだって。
