「昔の話をするのは楽しいね」
先日お会いした、僕より一世代上の方は最後にそうおっしゃいました。その言葉を耳にして一瞬戸惑ったのち、それはそうだ、僕だって楽しかったと納得したのでした。なぜタイムラグが生じたか? 束の間、「昔はよかったよね」と混同したからです。
一人で仕事をするようになり、共に働く年下がいなくなった40代からは、特に若い人に向けて昔話をしないように注意してきたのです。今と昔をくらべてどうこう言う大人には決してなりたくなかったから。ウザいじゃないですか。今と昔は何もかも違うのに、一方的に懐かしがられたほうは返答に困るでしょ。
にもかかわらず年下は、時に指導や訓示につながる話題を求めてくるのです。そういう場合はどうしたって自分の経験を元にするしかないから、うっかり昔話を出さないように気を遣わざるを得ない。かといって当たり障りのない普遍的な回答じゃ物足りないみたいだから、「そういうこともあったねぇ」程度の懐古に留めます。けれど留めたほうは何だか話し足りない気分にもなる。だから僕なんかに指導や訓示は求めないでほしいと密かに願っているのです。口うるさい先輩に仕向けないでくれと。
そんなわけで僕にとって「昔はよかった」は禁句。けれど冒頭の「昔の話は楽しい」は、それとは別なのだと気付きました。何が楽しかったかというと、ボーダーラインは40年くらい前になるのかな。当時は海外情報が異様に乏しく、専門誌ですら日本に伝わるまで2カ月かかるのは普通。だからこそ必死でむさぼった情報が昨日のことのように思い出せるのが愉快だったのです。もちろん今となっては狭い世界でしか共感されない情報あるいは記憶であっても、それを交換し合える仲間と語り合える喜びは、単なる懐古主義ではないのだろうと。
「どっちも大して変わらないじゃん」とか思われるのかな。ま、いいや。僕の中では昔話に関して「よかった」と「楽しかった」の区別がついているから。それにしても、中学生頃までに覚えた知識って、自分でも驚くほど鮮明によみがえるんですよね。当時から知っていれば出世に役立つ別の記憶を刻んだのにね。

ふと目をやった景色にも陽射しの違いが感じられる今日この頃。
