僕の話はヒントに過ぎない

妄想が始まると止まらなくなることがありますね。ちょっと前のそれは、「もしも自分が先生になったら」でした。ドリフターズのコントみたいだ。
この場合の先生は、僕が生業としているライターに限られるでしょう。それ以外に経験や経験値や経験則を持つものが他に見当たらないからです。いつか書いたかもしれませんが、15年くらい前、知り合いの紹介で講師を探しているという専門学校に呼ばれたことがあります。あれは先方の、僕にすれば失礼な態度で立ち消えになったのだけど、その記憶が妄想の根源かもしれません。
実習の方法ならいくつも思い浮かびます。たとえばインタビューの授業なら、生徒間で聞く側と聞かれる側に分かれ、実際に文章化し、皆で吟味してみるとか。テーマは何でもかまいません。「なぜこの学校を選んだのか?」とか「10年後の自分は?」とか。ただしお題は同一がいいでしょう。ひとつのテーマでも聞き手によって引き出し方の違いが明確になるのがおもしろいと思います。
あるいは、実習課題を学校名義のサイトを通じて発表するのもいいですね。文章が上手になるには多くの人に読んでもらうのが最善だし、クレジットが記載されることで責任が身につくかもしれない。それを読んだ出版社や制作会社から声がかかったらラッキーです。
そんなこんなで、あれもこれも役立つだろうなあとカリキュラム的なものが次々浮かぶのですが、途中ではたと気付くのです。僕の経験や経験値や経験則は、他者にも有効活用できるものだろうか? これは大いに疑問です。何しろ僕は、この仕事のやり方を誰かに教わらないまま今日まで来ているので、応用を利かせるための基本も、その伝授の方法もわからない。体系化されていないんですね。すべてが当たって砕けた破片を何とか拾い集めて形にしてきた経験のみ。だから僕の話はせいぜいヒントに過ぎないだろうと。
そうしてたどり着くのは、やっぱり僕に先生は無理という結論です。そもそも他者の責任を取れる気がしません。だからフリーランスを選んだところもあるし。それにこの世界で生きていくには、結局のところ運と縁だけと信じている先生に何かを教わるほうが気の毒にもなる。それでも何だろう、先生に憧れがあるんでしょうか。だからしばし妄想を楽しんじゃったのかな。

妙に寒いので、南っぽいうじゃうじゃした植物でも見ていただこうかと。

 

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