だいぶ涼しく

雨の日と夜間は走らないという自主規制に従うと、秋の長雨の走りみたいな天気が続いたここ数日はランニング・ゼロ距離になります。ま、珍しいことじゃないけれど。
ようやく晴れ予報が出た昨日、久しぶりに池の公園を巡るロングの旧コースへ。30度越えの日々に採用していた“短距離で回数増”の作戦から切り替えたのは、昼前の22度くらいの気温に勇気をもらったから。こういうときは、ちょっとビビるんです。以前のように走り切れるんだろうかと。大丈夫でした。生物と環境の関係性ってのは密接ですね。涼しくなればイケる。何だかホッとしました。
ランニングに関して、指針と呼ぶべき人がいます。週2回程度話す、同年代の某社代表。仮称Aさんはストレス解消を目的に、週末20キロ超ランを20年以上続けておられます。そんなハードワークは自分にはできないので、ライバル視する気など毛頭なく、たぶんラン友にすらなれませんが、ランニング自体に共感できる部分があるのは一方的にうれしい気持ちになります。いや、全部が共感できるわけでもないかなあ。
Aさんはこの夏、街中を走っていて気になったものがありました。工事現場など高温の場所で働く人たちが着ていたベストです。それでなくても暑いはずなのに、なぜそんなに膨らんだ服を着ているのか不思議だったらしいんですね。僕はそれ、見当がつきました。昨年あたりから見かけ、今年は着用率が高まったと思しきファン付きベストです。外気をファンで体に送り込むのか、内側にこもった熱を外に排気するのか、そこはよくわからないのだけど、いずれにせよ日中の作業に従事する方々の専用ツールなのは間違いないみたい。
あまりに気になったAさんは、ランニングから戻ってさっそく調査。空調服と呼ばれる事実を知った後の行動に驚きました。
「すぐに買いました」
買ったんですか、あれ?
「地図アプリで調べた近所のワークマンで」
初めて訪れたワークマンの驚異的な品ぞろえにも感銘を受けたと聞いたら、爆笑せずにはいられませんよね。僕はこの人、大好きです。
ランニングにはかさばるので炎天下のウォーキングで試してみるとおっしゃっていました。だいぶ涼しくなっちゃいましたけど、新兵器の調子はいかがです?

スワンもまばらな池の公園。平日はこんな感じだったね。

蔵書エレジー

NHKあたりが報じたところによると、文部科学省は今年5月、全国の小学6年生と中学3年生の200万人以上を対象に、『家庭の蔵書数』を初めて調べたそうな。各家庭の経済力や文化的資本を測る指標としては、国際的な調査でもあるらしい。
その結果は、ここでは触れません。よければこちらをご覧ください。ひとまず、調査のキモはこうです。同時に行われた学力テストに鑑みると、蔵書数の多い子のほうが15~18ポイントほど正答率が高くなる傾向が見られたこと。そこでつけられたニュースの見出しが「家に本が多いほうがテストの正答率高い?」。いかにもウェブぽいよな。
とは言え、あくまで断片的な結果に過ぎないのでしょう。全科目で同様の傾向が現れたようではないし、文科省の原本には簡単に当たれなかったし、他のメディアでは伝えていないみたいだし。なのでこの件を知った親御さんは、「すぐに本を買いに行かなくちゃ!」と焦らなくてもいいと思います。問題とすべきは、経済的な理由で蔵書を増やせない家庭があることかもしれませんしね。
いやでも、蔵書ねぇ。僕が育った家は、どちらかと言えば本がたくさんあったほうだと思います。若い頃に小説家を目指した父親の、いわば夢の遺産だったんでしょうね。敬愛する作家の全集に至っては30巻を超えていました。いつだったか、どんなものかと取り出してみたものの、字の小ささと旧仮名遣いに辟易して、すぐに書棚に戻したんだっけ。もしあれを全巻読破できていたなら、あるいはテスト結果だけでなくこの人生自体も変わっていたかもしれません。変わったほうの人生を確認できないから、特に悔しくもないけれど。
教育に関してうるさくなかった父親でしたが、「本を読め」とはよく言われました。それはほとんど従えなかったけれど、「本を大事にしろ」という言い付けだけは比較的今でも守れています。そんなわけで、たぶん蔵書にカウントできないはずの、買ったままで読んでいない本も綺麗に積むことができています。「そういう意味で言ったんじゃない」と彼の岸でぼやかれるのは必至でしょうが。

急に肌寒くなったらなったで、陽射しが恋しくなる。30度以下で戻ってきて!

「言い訳していないか?」

今回のパラリンピックでもっとも見入ってしまったのは、バスケットボール男子でした。自分が小中とバスケをやっていたことと、何より日本代表の強さがその理由です。そんなこんなで予選リーグからほぼフルで日本チームの試合を観ましたが、心に残っているのは英国に勝った準決勝でした。
試合終了直前から涙がこぼれている選手がいたんですね。たぶんベテランです。メダル獲得を目標に長く頑張ってきたから、それはもう感情が抑えきれなかったのでしょう。でも、その姿を画面越しで眺めながら、僕はこうつぶやいてしまいました。まだ泣かないで。頂上はここじゃないからと。そんな勝手なことを思いながらも、つられて鼻の奥がずるずるしちゃったわけですが。
しかし、様々な経緯を一切知らないまま観戦しても、バスケ男子の強さは魅力的でした。決勝を戦った前回王者のチームUSAだって、日本代表をリスペクトした試合展開だったし。
頂点を目指して戦うアスリートに触れて、常に何を感じるかと言えば、「言い訳していないか?」という自問自答なのだと思います。持って生まれた才能よりも生きる中で培う努力のほうがたぶん最強で、あるいはひたすら努力できるのが最高の才能で、おそらく一切の妥協を許さないのが最善の努力なのでしょう。だから「お前はどうなんだ?」って自分に問いかけてしまう。そこでオレはアスリートじゃないからとボヤいてしまうのは、きっと最悪の言い訳かもしれない。
とまぁパラリンピックに関しては、特にそういう感慨がむくむくと沸き立ちます。何しろ66歳のマラソンランナーが完走しちゃいますからね。僕にしたって年齢を言い訳にできない現実を突きつけられる。これはなかなかのもんです。いろんな考えや意見とともに始まった東京オリ・パラですが、終わってしまえばやはり喪失感を覚えます。それも含めて忘れないでおこうと。

これって、2年越しで風に吹かれてたんだね。

たぶん絆

学生時代の同級生で組んだロックバンドがデビュー20周年とか30周年を迎える、という話をたまに聞きます。そういう情報、うんと若い内は「そうなのね」程度にしか感じなかったけれど、自分が学生時代から何十年も経ってから知ると、ごくシンプルに「すげぇ」と驚いてしまうのです。そんなのって奇跡以外の何者でもないじゃんと。いやまあ、だからたまにしか聞かないのでしょうが。
現時点の年齢にもよると思いますが、います? 卒業後もしょっちゅう顔を合わせる学生時代の友人って。しかも最初は勢いで手を組んだにせよ、今となっては生業を共にする仲間が。
僕にはいません。そもそも、顔を合わせずともしょっちゅう連絡を取り合う友人すらいない。なぜだろう。必要ないから? そんなことはないと思うけれど、そう書いてしまうようなヤツは相手にも必要とされないでしょうね。何かちょっと、さびしくなってきた。
実は自分のことを、グループで何かに取り組むのが好きなタイプだと思っていたんです。なので複数のメンバーが関わる雑誌の編集なんてのを好んでやったわけですが、フリーランスのライターという制作過程の部品的立場に居場所を移してみたら、これが案外性に合っていたみたいでした。要するに、自分のことは自分がいちばんわかっていないという典型ですね。
そんなこんなで一人で作業するからこそ、学生時代の同級生と何十年もいられる事実に驚いてしまうのでしょう。しかし、何十年もいられる同級生に巡り合えるなんてのは、やっぱり稀にあることじゃないよな。同じきっかけで結成しても続かず消えていった仲間たちのほうが圧倒的に多いはずだし。
こんな話になったのは、先日会った5人組のパフォーマンスグループがとってもよかったからです。互いの関係性を訊いたら、全員が口をそろえてこう言いました。
「兄弟みたいなものかなあ」
最年長と最年少で10歳ほどの年齢差があるらしいので、そう表現する他にないのかもしれません。とは言え生業という切羽詰まった面も共有するので、そこはやっぱりいろんな山や谷を越えてきたようです。その上で出来上がった「みたいなもの」の集合体から、何でも言い合えるというよりは何でも聞き入れられる関係性が感じ取れました。尊重や協調。たぶん絆なんでしょう。
何かいいなあって、憧れている自分がそこにいて、それもまた意外でした。いくつになっても羨むのかな。

とあるコントラスト。明暗の境で何を語り合っているのだろう。

何に憤っているのか

何に憤っているのかわからなくなるときがあります。関連した事象がほぼ同時に浮かび上がると、そういう混迷状況を招きますね。直近の政治と報道でそれに陥りました。
あれこれ割愛しますが、市長選の結果を受けて中央政府のリーダー交代が迫るとメディアは伝えるわけです。与党内の相関関係を軸に「誰だとこうで。誰ならああで」と、けっこう躍起になって。
反権力を掲げて政治の動向を観察・指摘するのがメディアの本筋なら、政治家の活動を随時チェックするのは大事な仕事なのでしょう。けれどそれら時事を取り上げる場面では、専門家と呼ばれる人々による、首のすげ替え裏情報の自慢大会に見えてしまうのです。それよりも、もし交代が必要であれば「誰だとこうなり、誰ならああなる」という具体的な個人評を教えてほしいと思うのです。あるいは、政治家個々の指針は国民一人ひとりに監視の責任があるとしても、メディアがその辺をテーマに取り上げるなら、国民一人ひとりが未来を考えられる具体的な情報を優先するべきではないかと。でないと、噂話をおもしろがるレベルを超えないし、つまるところ誰になっても大した違いはないと感じてしまうから。
あくまで個人の感想です。そうではない情報を伝えているメディアがあるかもしれません。
そんなこんなで、相応の取り決めによって選んだリーダーをすぐに替えようとする政治と、交代劇の表層だけを追いかけるメディアの、僕はどちらに憤っているのかわからなくなっています。けっこう身近な範囲で感染者が出ているこんな状況だから特に、わだかまりの根が育っているのかもしれません。
とまぁ、扱いにくいと感じている政治関連の話題に触れたのは、某国の日本大使の質問が耳に残っているからです。
「なぜ日本は、政治と国民にこれほど距離があるのですか?」
答えることができませんでした。それは自分にもよくわからない謎だからです。
(以上は書き置き的に記しておいたのだけど、昨日になってリーダー自ら時限的に退くことを発表しちゃいました。何かもう、って感じ)

わりと近所で発見した素敵な建物シリーズ。

「そんな頃もあったね」

ふとスイッチを入れたテレビが花火大会を映しました。それにしても花火の中継って難しそうですね。時には寄りの画も必要だろうと飛び散る火花にフォーカスするのだけど、それでは夜空いっぱいに広がる全体像がまるでわからない。なので基本は引きの画。そういう意味では地味な番組ですが、これが意外に飽きず、ぼおっと過ごす時間に適していました。
その途中で、つい気になってしまったのです。これはいつ撮ったのだろうと。次々に打ち上げられる花火だけを見ていれば、あるいはこの夏の最新映像かと思えるわけです。放映されていたのが午後8時過ぎのわりといい時間帯でもあったから、そこで再放送はないだろうという先入観もありました。
実は、2019年大会の再編集版。冒頭から見たので知らなかったのだけど、番組の最後で2020年以降2年連続で中止になったと種明かし(?)がありました。けれど途中でも最近じゃないことが推測できました。花火の合間に何度か挟まれた、アナウンサーが一般客に感想をたずねるシーン。そのマイクを差し出す距離の近いこと。そもそも誰もマスクをしていない……。
ああ、なるほどねと。およその事情を悟った瞬間、そんな頃もあったねと懐かしさが込み上げてきました。同時に、あれほどマスクを嫌っていた自分でさえ現在の状況を受け入れている自然さを思い知って、いささか切なくもなりました。
あの頃に戻れるか? 全人類の記憶と新型コロナウィルスが完全消滅しない限り、それは無理でしょう。となれば、好まざるとも様々なことを知ってしまった次の時代を過ごす他なさそうです。とは言え、何らかの対策と縁を切れないままでも土手に座って、「そんな頃もあったね」と大きな花火を見上げたい。これも、いささかの切なさを伴う心からの願いです。

富士山も麓に近づけば、コンビニの裏山になっちゃうのね。

オードリー!

8月のどこかで放送された『ローマの休日』。もう何度も観たんだけどなあとつぶやきながらも、オンエアのタイミングを捕まえた偶然がうれしくて、テレビの前から離れませんでした。
それが局の狙いと悟ったのはしばらく経ってから。以降ほぼ毎週、オードリー・ヘプバーンの主演映画が用意されました。まぁ、つられちゃいますよね。そう言えば他の作品をちゃんと観た覚えがなかったし。
僕が鑑賞させていただいたのは、『ローマの休日』の翌1954年に公開された『麗しのサブリナ』と、1967年の『暗くなるまで待って』。『ローマ』と『サブリナ』は、ある種のセット作品と言っていいかもしれません。『ローマ』のオードリーは、身分を隠して束の間の自由を楽しむ某国のお姫様。『サブリナ』では大富豪の兄弟に恋する豪邸住み込みの運転手の娘。要するに立場や地位が逆転しているわけです。
『暗くなるまで待って』は、50年代のモノクロから一転してオールカラー。盲目の夫人を演じるオードリーも映画公開時には38歳になっているし、物語自体もサスペンステイストなので、『ローマ』や『サブリナ』とはまるで異なる世界観を披露します。
それでも、という言い方はおかしいかもしれないけれど、個人的な欲望はオードリーの映画に『ローマ』の中の彼女を求めてしまうのです。それが無理なことは重々承知しています。『ローマ』撮影時のオードリーは23歳で、その若さのままいつまでもアイドル的な活動はできない。俳優としても様々な役に挑戦したいだろうし、周囲もそういう期待を彼女に寄せていく。それでもなあ……。
結論はこうです。『ローマの休日』のオードリーは、女性なら誰もが彼女のようになりたいと憧れるような、男性なら誰でも彼女に恋をしてしまうというような、唯一無二のicom(聖像)を示してみせた。鍛えられた演技力であれ持って生まれた才能であれ、それが煌めく瞬間をあのフィルムが記録したことは20世紀の奇跡とさえ思うのです。モノクロームの懐かしさも記憶の定着に貢献していますよね。実は予算が少なくてカラーフィルムを用意できなかったらしいのですが、それもまたミラクルじゃないですか。
どのシーンにもっとも心をつかまれたか? これ、言わないでおきます。

頑な蕾って、開いた花弁よりも……。

9月1日の刷り込み

今日は防災の日。そう言われてもピンと来なかったり、なぜ9月1日をその日に選んだかを知らない人が少なくないかもしれません。でもたぶん僕ら世代は少年時代に、関東大震災が起きた日であることを繰り返し諭されて育ちました。その圧倒的な怖さとともに。
関東大震災は、1923年(大正12年)9月1日に南関東を中心に発生した関東地震によって起きた災害です。神奈川の小田原や房総半島南部の震度は7。東京の丸の内でも震度6を記録。運悪く吹いた強風の影響もあり、木造家屋だらけの都心部では広範囲の火災に見舞われ、10万5千人に上る死者・行方不明者を出しました。当時はラジオすらなく正確な情報を得られなかったのも、被害の増大を招いた原因になったかもしれません。そしてまたパニックから生まれたデマによって、罪なき人々が地震そのものとは関係なく死に至らしめられたそうです。これは、僕らが子供の頃には誰も語ってくれなかったことでした。
地震が来たら机の下に隠れる。台所の火を消す。家が歪んでも脱出できるようドアを開ける等々、様々な身の守り方も教わりました。それが完璧な正解かは今もってよくわかりません。防災用の備蓄も勧められるけれど、中越地震と東日本大震災を自宅から離れた場所で体験した身にすると、「いつどこで何が」の思いのほうが強くなるし。とは言えその後に自宅へ戻ったのだから、「備えあれば」は紛うことなき古からの教訓ではありますが。
関東大震災から100年近く経つ現代の日本を生きる僕らは、この10年だけでもいくつかの破滅的な天災を知りました。それゆえ「ない」と高をくくるのではなく、「ある」と疑ってかかったほうが賢いことも学んだわけです。あるいは不幸中の幸い的な経験として。
どの立場でそんなことを言ってるんだって話ですが、地震はぞわぞわして苦手という個人の感覚を起点にしています。生まれ月なのでそわそわしたいのだけど、まずは今日を乗り越えなければと思ってしまうのは、たぶん擦り込みってやつでしょう。

机の目の前で鳴かれるのはさすがにしんどい。夏も終わるから許すけど。

それよりも情報

強制潜伏期間中にオリンピックが終わってしまい、そう言えば天候不順で試合予定が大幅に狂った甲子園も一昨日には幕を閉じました。あの智弁同士の決勝戦。そこまでの経緯を知らずに見たら、ほぼ同じユニフォームの選手だらけで困惑しちゃいますね。けれど今回が初の出来事ではないらしく、高校野球通にすれば「19年振り2度目だけど」とほくそ笑む機会になったのかもしれません。
そんなこんなで現在はパラリンピック。例によって様々な競技を眺めていますが、そこここで覚えた違和感について話します。
短時間にまとめられつつも、ほぼ毎回伝えられる、各選手が障害を負った理由。これ、要りますか? という件です。不要と断定するつもりはありません。個人的に希望するのは「それよりも」の情報なのです。たとえば陸上のトラック種目。400mを超えるとトラック上のカーブを何回か曲がることになりますが、その際のコーナリング技術とか、僕は知りたいです。陸上競技用の車いすって、前後に長いから直進安定性には長けていると思うのだけど、逆に小回りは利きにくいはず。その特性で速度を殺さずに曲がるには、どんな肉体的技術が必要なのか、車いす自体のセッティングはどうするのか等々。あるいは水泳の場合なら、肉体の前後または左右のバランス差を埋めるテクニックやトレーニング法がわかると、それぞれの泳ぎ方を見るポイントに深みが増す気がします。
あえてむずかしい話を遠ざけます。ここで僕が言いたいのは、オリやパラに関係なく、各競技を純粋に楽しみたいということなんですね。もちろん個々の選手には、競技の結果だけでは語り尽せない様々な事情がある。それに触れるのも大事だろうし、むしろ僕はそういう物語が大好きです。でも、オリやパラでこそ見ることができる競技ではまず、競技特有の興味をひく情報を伝えてほしいのです。
何というか、誰の人生も予定通りに進むわけではなく、「こんなはずじゃなかった」という崖の下で、思いがけない美しい花と出会うことがあるじゃないですか。
ここのところの注目はバスケットボール。想像以上に当たりが強くて驚きました。すでに何回も見ているので、今となっては「そういうものよね」と通を気取りながら観戦していますが。

通りの真っすぐ向こうに日が沈むこともあるんだね。年に数日だろうけど。

今日からまた

確か8月7日から音信不通になったことで、あるいは何人かの方に「アイツもしや?」と心配という形のご迷惑をおかけしたかもしれません。ごめんなさい。僕自身は大丈夫で元気です。この強制潜伏期間中に1回目のワクチン接種も済ませましたし。
5月末から6月初旬に続く今年二度目の更新不可事件。ネット世界に漫然とはびこるウィルスの類が悪さをしたらしいのですが、専門家の見解によると、過去のデータの中に残っているほころびが感染を招いたのではないかと。そこで思い切って、現状のサイトに移ってからの約2年分を含み、すべてを削除して再出発する決断をしました。重要な証言を提供する代わりに犯罪履歴を完全抹消してもらう司法取引のように。いやいや、オレは何の罪も侵していないよな。
過去の記事が読めなくなることに、自分自身はさほど抵抗を感じていないのです。これまでと同じように毎日書き続けていれば、たぶん年末までには100本を超える過去記事が積み重なるだろうから。ただ、今日初めてこれを読んでくれた方が以前の記事に興味を持ってくれたとしたら、そこは謝る他ありません。そして同時に、3ヵ月まえの更新不可で自分がどんな気持ちになったかを正確に確認する方法も失いました。それはそれで残念だけど、前に書いた内容との重複を気にしなくていい身軽さを手に入れたと思えば、ね。
いずれにせよ15年も続けてきた「毎日何かを書く」という作業は、僕にとって文字通りの掛け替えのない行いみたいです。負担じゃないと言えば嘘になりますが。そんなこんなで、今日からまた始めます。突然の移籍で新しいチームに必死で馴染もうとするベテランの気分で。

更新不可の間には「夏休みだなあ」って感じの場所にも行ってたんですよ。