当事者ゆえ

日本で初めて新型コロナウイルスが確認されたのが2020年1月15日。今は何でも検索できますね。厚生労働省が同年1月16日付けで発表した報告書が見つかりました。
中国・武漢に旅行中の1月3日あたりから発熱した、神奈川県に住む30代の男性が1月6日に帰国。当日に医療機関を受診し、10日に入院。15日には症状が軽快し退院。
一方、滞在地がコロナウイルスの発生源と目されていた地域だったことから、当該患者の検体を国立感染症研究所で検査したところ、1月15日20時45分頃、新型コロナウイルス陽性が判明――。
この件は、各メディアで伝えられました。僕もニュースで知ったはずが、その時点ではまだ対岸の火事のような気分でいたんじゃないでしょうか。報道される事柄は、常に遠くで起きるものと思いがちだから。
しかし、その後の展開が想像を超えていったことは、皆さんもご承知の通り。なのだけど、書き始めてから気軽に触れちゃいけない難しさを感じた上で、あくまで個人的に、6年前の報告書を見た実感を記します。
「そんなこともあった」でした。その軽さは、国内初感染者が見つかってから3年余りのコロナ渦中、僕の身近で亡くなった人がいなかったことから来ています。そうではない方であれば、今日の僕の記事にはまったく別の思いが湧くでしょう。そんな事実、改めて掘り起こす必要はないと叱られるかもしれない。
ただ、もし僕と同じような感覚を抱いた人がいるとすれば、コロナ渦中は互いに何らかの影響を受けながらも、当事者ゆえ事の重さを正しく測れないんじゃないかと、そんなことを考えたのです。
では、誰なら客観的な測定ができるのか? 素人判断ながら、何世代か後の非当事者じゃないでしょうか。これに関して頭を巡るのは、司馬遼太郎さんのエピソードです。日本国民が激動に巻き込まれた昭和の戦前・戦中・戦後を生きながら、その渦中にいた自分では、昭和を冷静に見つめ切れないとおっしゃいました。あれほどの方がそう言うならと納得した記憶があります。
それはそれとして、決して起きてほしくはない類似事態に迫られたら、当事者としての経験を生かさねばなりませんよね。それもわかっているのだけど、もろもろ直近すぎるせいか、6年前の報告書に対する感覚の曖昧さが自分でも解せず、主観的なまま書き殴った次第です。
これは蛇足に属しますが、ごく稀に「マスクせずに外出しちゃっていいのか?」とハッとなるときがあります。極めて軽微ながら、コロナ禍の精神的後遺症かもと思ったりします。

3月並みの気温になると言われても、まだ冬であってほしいと思ったりする。

人生のツケとは

憂鬱という画数が多い熟語は、このときのためにあると思えてくるのです。久しぶりの歯痛。まったくもってアイツは忘れた頃にやってきます。後悔や不安を両手に携えて。
まず、後悔について。どうも虫歯になりやすいみたいです。なのに日常的なケアに正しく向き合わず、治療も痛みが治まったら途中で投げ出す始末。若い頃は、そんな体たらくを繰り返していました。
それは人生のツケになる。ツケとは売掛金と同じなので、いつか必ず回収に迫られる。
だから若い人には、「ちゃんと言ったからね」と釘を刺すように諭すのです。歯はちゃんと治しておかなきゃだめだと。そこそこ歳を重ねても立派な人生訓は語れませんが、歯にまつわるツケの代償に関してだけは、押し売りしてでも経験談を伝えたくなるのです。こんな悔やみは味わわないでほしいから。
そして不安は、後悔と入れ替わりで沸き立ちます。人生のツケは、まるで時限爆弾。ここ10年は、その起爆装置がある日突然作動することを思い知らされてきました。なおかつ破裂すると、想定外の出費に迫られる事実も体験してきました。ゆえに爆弾が疼き出すと、「今度はいくらかかるんだ?」と怯えてしまうのです。
そんな後悔と不安の化学反応で発生した憂鬱は、先週の金曜日に始まりました。当日は予定があったので、ひとまず様子見。翌朝になれば痛みが引くことを祈ったものの、気持ちが悪い違和感は消えず。連休明けの昨日になって、かかりつけの歯科医院に向かいました。
診てもらう以外に打つべき手立てはありません。だけど、正式名称を知らない歯科医院の椅子に座ってもなお、僕の全身には憂鬱が伸し掛かっていました。なのに思考だけは、拷問のようにぐるぐる回ります。治療はきっと痛いんだろう。1回じゃ治らないんだろう。今回はいくらかかるんだろう……。
え~と、治療は痛くなかったし、1回で治してもらえたし、費用も想定をはるかに下回りました。破裂は極めて小規模。おかげで憂鬱は一気に解消。しかし痛みは、かつての体たらくが生み出した時限爆弾との関連性が否定できなかったようです。こんなものがあといくつ隠されているんだろう。ツケの回収は終わったと、嘘でもいいから誰か言ってくれないかな。

眺める少年野球は微笑ましい。次に練習する僕ら大人の草野球は、どう見えるんだろう。

特攻服をまとった新鮮な才能

「昨年の話」と前置きしたくなりますが、たった1カ月前。近所のお母さんからうかがった、娘のクリスマスプレゼントのトピックです。
iPhone 17 Proか、グッチのバッグ。以上がサンタさんへのリクエスト。この場合、娘が何歳だと「なるほどねぇ」と思えるのでしょうか。高校生? それでもませてる気がするけれど、彼女は小学2年生。「どこでそんなもの覚えてきたんだろう?」は、お母さんの率直な疑問だったようです。
この件を聞いたのは12月の初め。次に会ったのがクリスマス直後。そのときの小学2年生は、黒の特攻服をまとっていました。特攻服、わかります? 喧嘩上等や夜露死苦といった漢字の刺繍が入った、ヤンキー暴走族がお気に入りの服です。でも、実物に触れる機会は滅多にないし、目の当たりにするとコントの衣装に見えちゃうんですよね。なのに彼女は、とても誇らし気でした。
「最近になってヤンキー漫画にハマった影響だと思うんですけれど、どうしてもと泣いて頼まれたから仕方なく……」
小2には明確な理由がありました。僕が会った翌日に子供向けの演劇ワークショップが開催されるという。それに参加する上で、彼女なりに目立つため、金文字の刺繍入り特攻服が必須だったらしいんですね。スマホやブランド物からの振り幅が異次元です。子供用が存在するのも驚きでしたが、ここに小2の伯父の証言が重なります。
「ヤンキー漫画のスピンオフストーリーを、自分で勝手に書いているんですよ。これが案外おもしろくて、8歳にしては凄いなあと」
ぐっときちゃいました。もしや彼女は、ワークショップを経て役者と脚本家を両立させたいのかもしれません。いずれにしても、創作に意欲的なんて、赤の他人ながらうれしくなります。そうした興味がまっすぐに伸びていったらいいですねとお母さんに言ったら、こう返されました。
「もし娘が作家を希望したときには、タムラさんの弟子にしてください」
いやいや、若くて新鮮な才能こそ大事にすべきなので、自分はマネージャーになってがっぽり儲けさせてもらいますと答えました。
僕のただ今の興味は、小2のその後。ワークショップでどんな体験をしたか、ぜひ聞きたいと思っています。会った瞬間も特攻服を着ていたら、めちゃくちゃワクワクしそうです。

低湿度の美点のひとつは、空気を澄ませて夕空がきれいになることじゃないでしょうか。

 

自分事に

「休み明け直後に三連休なんて」とか、繰り返される異論はただの愚痴へと陳腐化するのが世の常です。
そんなわけで、今日は成人の日。だからと言って、自分の二十歳を振り返ったり、それから40年以上も過ぎた現在の心境を述べるのも陳腐。ならばこの祝日に何を書くか考えたら、数年前の成人式が頭に浮かびました。
2022年は姪が二十歳の年。ゆえに成人式は2023年の1月。なのに素敵な振袖を着るのは式の2か月前と聞かされて、「何だそれ?」と言い返した覚えがあります。
ホテルで着つけてもらって、記念写真を撮る。そういう仕組みがあるそうですね。振袖はその場限りかと思いきや、式の当日に同じものが着られるという。おやと首をひねった伯父は、姪の父親である弟に疑念を伝えました。それじゃよろこびが分散しちゃうんじゃないのかと。
「今はそういうもんなんだってよ」
彼の返答に疲労の色が滲んでいたのは、それらの仕組みに相応のコストが嵩んだからだったようです。でも、仕方ない。両親直系の田村家としては初の女児だから、むしろ積極的に祝っていただかねばなりません。
「二度も着られるからいいでしょ」というのは、弟の後で同じ疑念を伝えた姪の返事でした。そこは女子だからというか、彼女に限れば、娘として可愛がられるのはごく自然なことと受け止めているようです。悪くはない。しかし、やっぱり女の子の父は苦労が絶えないんだと、ようやく弟に同情することができました。
ホテルでの撮影会からしばらく経った頃、晴れ着姿の写真が送られてきました。和傘などの小道具を使い、背景を変えたいくつかのカットを眺めて、ほおほおと独り言ち。伯父らしい気分を味わわせてもらいました。
そのときも思ったのですが、そうした一連の流れを体験すると、成人の日が自分事になりますね。そしてまた、成人の日が自分事になるのは、二十歳の当人だけではなく、二十歳まで見守った家族かもしれないと思ったりします。そんな感慨を抱く人が、今日はたくさんいらっしゃるでしょう。おめでとうございます。
僕の自分事に関して唯一残念なのは、晴れ着の姪の家族写真に伯父が不在であること。母親なんて、澄まし顔で写っているんですよね。まぁ、陳腐な愚痴だからいいんだけど。

これも光源が珍しかっただけの、特に意味のない写真です。

そんな姿は眩しい

最後まで目が離せなくなりました。昨日の高校サッカー選手権準決勝、尚志と神村学園の試合。
それにしても、今の高校生は上手いですよね。その技術力の高さは、サッカー経験がない僕にもわかるほど。一昔前なら、ボールのあるところに人が集まって、足元でガチャガチャやり通しだった気がします。だから、高校サッカーそのものに興味がなかった僕は、正直なところ観るべき対象になりませんでした。
そうした感想は、あらゆる高校生のスポーツに共通していました。けれど現在は違います。特に団体競技のレベルは著しく上がり、上から目線を承知で言えば、観て楽しめるものになりました。僕の言う一昔前とは、上達するための情報量がまるで違うんでしょうね。より良い試合をする道筋で、遠回りをしなくて済んでいるのかもしれません。
ふと思うのは、今の高校生はスポーツ以外の分野でも、かつてより優れているに違いないということ。いわゆる学力方面は、勉強の様子や試験会場の場面がテレビ中継に向かず、アクティブな印象が乏しいテスト結果を示す他にないですもんね。けれどきっと、スポーツ同様に情報量の多さによって、僕ら世代がまるで知らなかった学びの方法を身に着けているのでしょう。いやもう、今時の高校生とは会話にならないんじゃないかな。年長者が切り札にしたい年齢分の経験値だって、AIあたりが精密な予測をしてくれそうだし。
さておきまして、1対1の果てにPK戦で決着がついた尚志と神村学園の試合を見届けてしまったのは、呆れるほどの運動量が理由でした。終盤に至り、追加点を取ったほうが逃げ切るという切羽詰まった局面ではあったものの、激しく攻守が入れ替わる中で、すべての選手がひたすら走り続けていた。肉体はまだまだ成長するだろうし、プロレベルなら何ランクも上のフィジカルモンスターがごろごろいるに違ない。けれど、洗練され切っていないからこそ表現できるがむしゃらさは、高校生だけのものなんだろうな。
そんな姿は眩しいです。直視できないほどだから実像を追いかけたくなるというか。さらに凄いのは、勝ったチームは1日置いて決勝戦に臨む事実です。若さは、回復力に現れます。今の僕に彼らのエネルギーが注入されたら、あちこちガタが来てる肉体が弾け飛びそうです。なので決して憧れず、その眩しさをこの世のものとは思わず見守ります。

スマホじゃ無理とわかっていながら撮ろうとするのは、毎度光源の美しさに魅せられるから。

二人きり

最近は、もしかすると子供の頃より母親と二人きりの時間が増えています。それは高齢に伴った通院の送迎機会に比例した結果なので、必ずしもよろこべることではありません。あるいは母親自身も、倅の世話になる情けなさが勝って、二人きりの時間を楽しめてはいないと思います。
さておき、耳は遠い癖によく喋るので、車中では自分なりのきっかけで思い出を語り始めたりします。おそらく無意識だろうけど、その多くはなぜか僕が知らない話ばかり。この間は、僕の祖母。母親にすれば姑の記憶でした。
父親の実家とは、関係性が芳しくなかったみたいです。その気配は、祖母に対して多くを話さなかった母親の様子から、それとなく感じ取っていました。そんな曖昧な印象について、母親が倅に確認したことはありません。なのに先日の母親のつぶやきは、僕が姑と嫁の関係性を承知している前提になっているようでした。
「いっしょに拝んでやってくれって言ったのよ」
数日前が命日だった祖母が母親に頼んだのは、5人か6人の子供を産んだ祖母の、上の男子。つまりは父親の長兄。会うことのなかった伯父が特攻隊で戦死した件は、祖母の家に飾ってあった、戦闘機乗り姿の遺影を見上げたときに教えられた覚えがあります。
「あんたは毎朝毎晩、仏壇に向かってるだろ。だからあの子たちの分も頼むって。でも、そちらの家とは宗派が違うんですよって言ったのよ」
運転中の長男は呆れます。そこは嘘でも「はい」と応じておけばいいのに、わざわざ断ってみせたところに、今に続く母親の勝気があるのだろうと。
果たして、母親にしても会うことのなかった義兄たちに鎮魂の祈りを捧げたかどうかについて、母親は何も言いませんでした。ただ、次の言葉でこの話題を終わらせたのです。
「お義母さんも母親だったんだね」
祖母に対して「おばあちゃん」はあっても、「おかあさん」と呼んだことはなかった気がします。なので、ちょっと心配になりました。なぜ今そんな話をするのか。もしや何かの兆候なのか……。
でも、それは口にしませんでした。暖かな日が差し込む車内の二人きりの退屈をしのぐため、ただ思いついた話をしたに過ぎないんだと。そういうことにしておきたいのは、僕の勝手な願いですが。

部屋の真下の夜間工事。ご苦労様だけど、同じ場所を何度も掘り返している気がするな。

 

1周回る手土産孝

今年に入って十日も経たないのに、2026年しょうもないネタのベスト10入り確実な話をします。
年末年始はご挨拶の場面が多いので、手土産を携える機会も増えますよね。いい大人なのに儀礼的かつ作法的な事柄が苦手な僕は、その手土産も悩ましさの対象になります。
ちゃんとされている方は、場面や機会、あるいは相手を慮った上で、何を選ぶかを第一に考えるんじゃないでしょうか。僕だって考えないわけじゃありません。でも、あれこれ頭を巡らせる過程で、手土産自体ではなく、持つか持たざるかの選択に思考の軸が傾いていくのです。
たとえば、元日に仕事仲間から誘われた1月3日のライブ。考えました。業務的なつながりがある会ながら、そこは三が日だし、何か持っていくべきかもと。けれど、ライブは各方面から大量の差し入れがあるものだし、何より誘ってくれた仲間のほうが業務的な縁が深く、となれば僕はオマケみたいな存在だから、下手に出しゃばらないほうがいいと判断しました。
で、予想通り、誘ってくれた仲間は自社製品をたくさん持ち込んでいました。僕はその後ろに立っていたので、連れてこられた子供のようだったかもしれません。相手はそんなこと気にしちゃいないでしょうが、微かな居たたまれなさを覚えました。
続く1月7日は、連載企画の本年最初の取材。これも悩みましたが、編集長が同行なので、一ライターとして立場を慮り、手ぶらで行きました。
そしたら、逆に頂いちゃったんですよね。手土産に関して絶賛試行錯誤中の僕にすると、悩ましさが深まる瞬間となりました。
難しいものですね。儀礼や作法について無駄に考え過るあまり、1周回って不正解寄りの結論にたどり着いてしまうのでしょうか。
手渡されたのは、立派なサイズの大福4個。手土産に和菓子は最上級の正解だと思います。賞味期限が当日だったので、もう何と言うか、美味しく頂きました。

つぶあん好きながら、手土産には上品なこしあんが適しているのは学びになりました。

日本語が書けなくなった?

日々生きていれば直面が避け難い困り事は、できるだけ早く解決しておかないと、やがて精神に巣食って解消が難しくなる悩み事に移行しかねない。それを知っていても、僕はあるケースにおいて、どっちつかずの放置に追いやりがちです。
ここところ急浮上した困り事は、悪筆または乱筆。ですが、実を言えばそれほど困っていませんでした。僕の仕事は文章書きながら、成果物はいわゆる活字になるので、肉筆が醜悪であろうと関係ない。ましてや現在は、PCに打ち込む時点で活字になってくれるし。
ただし取材に関しては、今もノートに手書き。録音を聞き直すのが面倒という第一の理由で選んだ方法ですが、厄介事がないこともない。すべての言葉をメモできないのは了解済みなので、重要な言葉だけ拾うようにしているのだけど、書き殴りが甚だしい。その中には、時に自分ですら判読に時間がかかる文字もどきが混じります。それを相手がのぞき込むことがありますが、見ないほうがいいと思うんですよね。「読めるの?」って不安になるだろうから。
形になって伝わればいいと勝手に判断した、小学生時代の書き順学習拒否。それを土台にした取材時の速記まがい。以上によって僕の悪筆・乱筆は取り返しがつかなくなりました。けれど先述の通り、肉筆を晒す場面がほぼ皆無なので、何事もなく済ませてきたわけです。ところが母親が渋い顔を浮かべて、これは参ったなあと。
耳がどんどん遠くなるので、大事な連絡事項は筆談に。なのに僕の字が読めないらしい。いつもの癖で急ぐのがダメなのかと、できるだけゆっくり丁寧に書いても、眉間に「?」を示す。そこでPCを持ち込み、画面を200%以上に拡大する手段を取りました。やはり正しい活字は、的確な意思疎通を実現してくれます。
にしても、僕はいよいよ日本語が書けなくなったんだろうか? そんなふうに悩みかけたところで、先日の取材メモに怪しい個所が現れました。検索しても出てこない珍しい方言です。原稿から外せない重要な単語なので、恥を忍んで改めて相手に聞き直したら、僕のメモで間違っていなかった。こうなると「ほらぁ」って親の仇を打ったように自信を回復して、この先も放置を続ける気がしてなりません。

本日の東京タワー。寒風にも震えず建っていた。

 

ガリレオとマリウスの今日明日

16世紀から17世紀のイタリアに生きたガリレオ・ガリレイ。彼のトピックで有名なのは、1世紀ほど前にコペルニクスが提唱した地動説の徹底的な支持と、それによるローマ教皇庁からの有罪判決でしょう。キリスト教が絶対とする天動説に異論を唱えると、裁判で終身刑が言い渡される時代でした。「それでも地球は回っている」というのも、ガリレオの言葉として知られています。
ガリレオが地動説の確定的な証拠を発見したのは、自作の望遠鏡でのぞいた木星。そこに4つの衛星を確認し、地球を中心にして回らない星の存在を知ります。その、後にガリレオ衛星と呼ばれる星々を見つけたのが、今から416年前の1610年1月7日でした。
ところが、「オレのほうが先に見つけた!」と異議を唱える人物が出現。それがドイツの天文学者、シモン・マリウス。彼も望遠鏡で衛星を発見していたものの、暦の違いで明暗が分かれました。
ガリレオが1610年1月7日とした際の暦は、1582年10月15日に切り替わったグレゴリオ暦。1年を365日とする、僕らが今も活用しているものです。一方でマリウスが使っていたのは、グレゴリオ暦の前のユリウス暦。それをグレゴリオ暦に当てはめると、マリウスが主張した日付は1610年1月8日になったそうな。
たった1日なんて、どうでもいいじゃん。ってことにはならないんでしょうね。でも、ガリレオの判決が間違っていたとローマ教皇庁が認めたのは、わりと最近の1992年です。350年以上もかかって無罪になったなんて、あまりに気の長い話という他にありません。
他方で、マリウスはどうだったんだろう。自分の名前が衛星につかなかったのはさぞや悔しかったはず。しかし、衛星の発見で地動説に傾いた形跡はないらしい。あるいは、ガリレオがローマ教皇庁から最初に厳重注意を受けた1616年には存命中だったから、我関せずを決め込んだのかもしれない。ここらあたりは不明です。
もうひとつ日付で興味深いのはガリレオの命日。これが、1642年の1月8日。マリウスにすれば忘れ難いグレゴリオ暦のその日だったことに、科学的証明は成立しないだろうけれど、歴史には心がざわつく事実がたくさん潜んでいるなあ、という話でした。この話題、今日と明日のどっちがふさわしかったのかな。

梅かと思ったら、春と秋に花をつける冬桜かも。そう言えば10月頃にも咲いてた。

 

さっきすれ違ったチャリンコ少年から

「蓋を開けてみればやっぱり」が、今年の箱根駅伝の一般的な感想かもしれません。あるいは、「それでも実は」といった部分を明かす裏話や秘話が出そろえば、「そりゃ強いはずだ」とわかった風を装えるでしょう。けれど本当は、まるでわからないことばかりだと思ったんです。
たとえば、青山学院大で5区を担当した4年生の黒田朝日さん。その走りは、自ら「シン・山の神」を宣言するにふさわしい驚異的なものだったけれど、青学が箱根駅伝で初の総合優勝を果たした2015年1月の彼は11歳でした。
同年から4年連続優勝を遂げる過程で、駅伝における青学の知名度は一気に上がっていきます。が、少なくとも初優勝した年に早生まれの小学6年生が、その年の駅伝中継を観ていただろうか? いや、黒田さんのお父さんは学生時代に3度の箱根出場経験を持っているそうだから、お正月は家族で日テレに釘付けだったかもしれません。ですが黒田少年は、中学に上がるとバスケットボール部に入るのです。陸上競技を始めるのは高校生になってから。
何が言いたいかというと、彼は青学が初優勝したとき、後の自分が「シン・山の神」を宣言する姿を想像できたかどうか。これは、直接聞いてみれば答えが判明する、今はわからないだけの疑問でしょう。それよりもまるでわからないのは、いつしか有名になる子供の現在の所在です。
「そんなの、わかるはずがねぇよ」という話かもしれません。でも、こう考えるとワクワクしませんか? それは僕の知り合いの子供かもしれないし、またはあなたの家族の中にいるかもしれない。その子たちが周囲に気づかれないまま、今回の駅伝に触発されて「シン・山の神」を超えたいと思ったかもしれない。何しろ生きてさえいれば、あらゆる可能性は無限大だから。
実のところ人生は、わからない偶然とわかった必然を繰り返しながら一篇の物語を編み続けるものなんですよね。なんて大仰なことまで考えたのは、さっきすれ違った、チャリンコを猛然と漕いでいた少年が「そうかもしれない」と勝手に想像したからです。何年か後に「そうだ」と実証できる確率は極めて低くても、「そうだった」ならかなり楽しいことになるなあと思って。

こちらは先週末の渋谷のライブハウス前。今年は正月から、順番をちゃんと待つ日本人の律義さに感心し通し。