嫌いと苦手について考えています。この二つは、似て非なるものなのか。それとも、似てさえいないものなのか。その区別がポイントになるのかもしれません。
食べ物を例にしてみます。僕は好き嫌いが少ないほうだけど、苦手で真っ先に思い浮かぶのがホヤです。まず、食べ馴染みがない。宮城あたりの人によれば、ごく普通に食卓に上がるらしいのですが、関東の家庭に育った僕にはまるで縁がなかった。
そんなこんなで、だいぶ大人になるまで目にすることすらありませんでした。何かの折に、やはり東北出身者に勧められて食べてみたんですね。見た目の臓物感がしんどいと、それとなく遠慮したのだけど「切っちゃえば大丈夫」と返され、恐る恐る口にしたら、僕には生臭さが強かった。なので、これは無理な食材と決めつけようとしたら、またあるとき、極めて新鮮なホヤを食べる機会が巡ってきたのです。これは生臭くなく、意外にイケるんだと感じました。
だからと言ってホヤ好きになれたわけではありません。結局は、克服する理由が見つからないので今でも苦手なまま。ただ、誰かの好物にケチをつけるつもりはないし、ホヤに恨みを覚えることもないんです。その感覚に鑑みると、自分は食べないという条件を設定できれば、存在自体を許容できるのが苦手と論じていいのかもしれません。
では、嫌いとは? 再びホヤを例に出すと、仮に何かの縁でとても美味しいと感じて、人に好物を聞かれたら「ホヤ!」と答えるまでになったとします。ところが、何かの手違いでホヤのせいで食あたりを起こした場合、僕は心から嘆くと思うんです。こんなに好きになったオレを裏切るのかと。こうなると、二度と交わろうとは思わなくなる。遠くから「ホヤが旬です」という声が聞こえても。
つまるところ嫌いとは、一度は好きになった経験があるからこそ生じる感情なのかもしれません。なおかつ、時間を費やした先で白が黒に反転するほどの衝撃を伴うから、記憶の定着力が強い。ゆえに心の中から消し切れない可能性が高くなるのでしょう。
え~と、男女間の話ではありません。かつて仕事をした仲間にそういう人物がいて、最近になり様々な噂が耳に入るようになったので、こんなことを考えてしまいました。正直なところ、うっとうしいです。嫌いとか苦手とかに惑わされる自分の狭小な思考が。
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