僕らが真に間抜けでない限り

あり得ないこと、というものがこの世にはあるけれど、あり得た瞬間にそれはあり得ることとして、来るべき未来が想定する範疇に収まっていきます。そう考えると、時間が経つほどに実現の可能性は膨らんでいくわけだから、何でもあり得ていくんだなあと、未来は忙しいなあと思います。
そのすべてが、僕らの日々を豊かにしてくれるものだったらうれしいですよね。手元にあるスマートフォンはその代表例ですね。つい数十年前まで電話が持ち運べるなんてあり得ない話だったし、インターネットを日常的に利用するなんて夢にも思わなかった。
しかし残念ながら、あり得ないことをあり得ることにした不幸な例もたくさんあります。それを思い起こさせるのが、8月6日の広島。そして9日の長崎。
あり得ないことというのは、あり得なさをイメージできた時点であり得る芽を生んでいるのかもしれません。人間という生物に、その想像と創造は止められないのでしょう。けれど僕らが真に間抜けでない限り、あり得てしまったことを再びあり得ないこととして刈り取れるはずです。そうであってほしいと、そうでありたいと、願うばかりです。

昼間にクルマで行くのは久しぶりだった、絵画館前の銀杏並木。盛夏に緑が燦燦。

雷の記憶

東北や北陸に大雨を降らせた雲がやがて南下すると報せた、夜も遅いニュースを見た頃には僕の町でも雷鳴が轟いていました。そして、時折の閃光。こうなると野次馬根性が思考を支配します。虫が入るかもしれないのにベランダに飛び出ては、次の稲光に期待したり。
幼い頃は雷が大嫌いでした。遠慮の気配がまるで感じられない爆音がおっかなくて、両腕で耳を塞ぎながら頭を抱えてうずくまるしかなかった。その傍らで母親は洗濯物を取り込むわけです。雷鳴に合わせて悲鳴を上げる我が子に目もくれず。そういう瞬間に子供は、自分が大きな力に守られていると悟りますよね。とにかく頼もしかった。
やがて愚息にも知恵がつき、雷の基本原理と落雷から身を守る術をどこかで知ると、あの強大ながら身近な自然現象に感動するようになりました。さっきまでの青空のどこに抗いようのないパワーが生まれるのか。ウルトラマンだの怪獣だのとともに育ちましたから、光と音の圧倒的なパフォーマンスにリアル円谷プロを感じたのかもしれません。
そんなふうにして僕が雷に畏敬の念を抱き始めたのと、たぶん引き換えだったんじゃないかと思います。何が起きても動じなかった母親が、届く雷鳴を耳にして「キャァ」みたいな、女学生っぽく叫んだときには、決して大げさではなく時が止まった感覚に陥りました。母親に女学生ってのは後付けの表現ですが、いずれにせよ母親にも怖いものがあると知った瞬間、今度はオレが守らなきゃと健全な考えが浮かぶ以前に、親子関係の確実な変化を悟りました。何がどうということではないのだけど。
そんなこんなで雷が近づくと、そのときの光景を必ず思い出します。何だか亡き人を偲ぶみたいな文脈になりつつありますが、母親は元気です。ご心配なく。
などと懐かしい記憶に呑気に浸っていても、目覚めに遠雷が響いているのは果てしなく気分が滅入ります。やはり雷は、いくら突発的とは言え夏の夕方以外の出番は控えていただきたい。そう思った今朝でした。

黄色いクルマに先導されるのは珍しい経験。この先に落下物があるそうな。

意味なんてない創刊日

もう誰も知らないでしょうが、今日8月4日はTONAO TIMESの創刊日です。スタートしたのは2006年。驚くことに16年も、僕は毎日ここで何かを書いてきたことになります。本数にしたら5800本以上? 笑っちゃうな。
いやいや、ここと言っても元々の形はずいぶん前に壊滅し、現在のページになってからもウィルス攻撃で何度か更新不可に陥りました。直近の復活が昨年の8月末。それ以前のデータはすべて消えました。だから「17年目に入ります」と言ったところで、それを証明するのは困難です。証言してくれる人は何人かいるでしょうが、それにしても今日が創刊日であることを知っている人はいないでしょうね。何しろ多くの方に助けられながら、僕が勝手に始めて今日まで続けてきたものだから。
「何のためにやるの? お金にもならないのに」
創刊準備をしていた頃、多くの人にそう言われました。元より稼ごうと思っていなかった僕は、やりたいからやるという、幼い返答しかできませんでした。意味があるのかないのか。それもよくわからない。ひとまず自分には、本業のための文章筋トレという、説得力がありそうな言い訳を用意しました。それだって、本当に筋力アップしたかは見定めようがありません。
本音の部分と言うべきか、筋トレですから今日は面倒だなあという日もあります。本業で必死に頭を巡らせ文字を出し尽くしたときには、これ以上書けないと突っ伏しそうになった日も数え切れません。
なのに、たとえば更新不可が続いたときは、「今日は書かなくていいんだ」という安堵が沸き上がる一方で、「今日も書けないんだ」という寂しさがその上を覆うのです。だから更新再会を誰よりも待ち望んだし、トラブルに襲われても辞めようとは一度も思わなかった。
何なんでしょうね。一つだけ意味が生じたとすれば、ズボラで飽きっぽい性格なのに、やると決めたらやり続けられる根気を自分の中に確認できたことでしょうか。無駄にしつこいとも言えそうだけど。
そんなわけで、およそ自分のために毎日何かを書いているわけですが、よかったら明日からも、意味なんて考えなくていいタイミングでここを読んでやってください。よろしくお願いします。

有名なレクトショップの人が好意だけでつくってくれたステッカー。まだ何枚かあります。

 

僕のヒューズさん

我がオンボロの、クーラーうんともすんとも言わなくなった問題。クルマ屋さんに持っていったらその場で直してくれました。やっぱりプロはスゴい! ヒューズが飛んだと推察した僕も少しは偉い。それが当たったからと言って何ができたわけじゃありませんが。
ヒューズが何者か知らない方は、飛んだと聞かされても「どこへどうやって?」と宙を見上げるかもしれません。ヒューズは、電気回路上の安全弁。何かの拍子に規定数値以上の電流が流れると、その先の電装部品にダメージを与えないよう自ら切れてその生涯を終える、小さいけれど重要な使命を担っているパーツです。
新しいクルマにも備わっています。けれど最近はコンピュータが全面管理しているので、何か異常があればヒューズを切る前に問題個所に電気を送らなくなるそうな。ただ、問題個所を知るにはコンピュータのデータを解析しなければならず、それはそれで面倒らしい。要するに今のクルマは、壊れ難い分だけ直しにくく、昔のクルマは壊れやすいけれど直しやすいと言えるのかもしれません。どうなんだろ?
そんなわけで僕のオンボロは昔のクルマですから、今回のクーラートラブルに至ってはヒューズが飛んだ、つまり切れただけで済みました。ただし、根元から焼けるようにして逝ったので、新しいヒューズを差し込むだけでは済みませんでした。そこでクルマ屋さんは、ヒューズボックス自体を外し、その裏側からバイパスとなるケーブルを追加し、クーラー用のヒューズケースを新造してくれました。すべて手作業で。大汗をかきながら。僕は心の声を漏らすわけです。あたながいてくれるからこのクルマに乗れるんだと。
「もう辞めたいよ」
なら、オレもこのクルマを諦める。
「いや、夏だけはそういう気持ちになるよ」
そうだよね、クルマ屋さんの労働環境は僕が知る限り何十年も変わってないもんなあ。なので、こうお願いしました。もし辞めるなら3カ月前には連絡をくれと。急に電話して「もうやっていない」と言われたら、僕は心底途方に暮れるからと。
「とか言っているうちに、毎年秋になるんだけどね」
僕のオンボロがスクラップにならないよう頑張ってくれる彼は、僕にとってのヒューズさんです。いやいや、飛んだり切れたりしないでね。

こんな写真では、僕のヒューズさんの偉大さは伝わらないんだけどね。

悲劇と喜劇は

悲劇は突然やってきます。先週土曜日の昼過ぎ。気温は軽く30度を越えている中、我がオンボロのクーラーがぷつっと死にました。ええ、クーラーです。皆さんがよくご存じの、快適な車内環境を醸成してくれるエアコンではなく、冷却だけに全力を尽くす健気な装置。僕のクルマには、それが最初から備わっていました。というか、あえてオプション装着を依頼しました。エアコンが付けられる設定がないからです。文句はありませんでした。元より英国製の働くクルマなので、「別にクーラーなくてもいいじゃん」という剛毅な設計は否定すべきではありません。それでもクーラーをつけたのは、高温多湿な日本の夏季に不可欠な装備だったから。
これまでにもクーラーのトラブルはありました。そのすべてはクーラーガス切れ。どこかから少しずつ漏れているようだったので、それも一度、時間と費用をかけて根治治療をお願いしました。けれど完璧には直らず、しかし梅雨が始まる頃にガスをチャージすれば一夏は涼しく走れるので、まぁ良しとしてきました。これは故障ではありません。風物詩ってやつです。
ですが今回は、クーラー自体がうんとすんとも言わない。ヒューズが飛んだのか、コンプレッサーの不具合か、現時点で原因はわからず。
「走れば涼しいじゃん」
そのときの同乗者は、それを未体験のサプライズと感じたのか、全開の窓から吹き込む風に髪をくしゃくしゃにしながら笑い飛ばしてくれました。悲劇と喜劇は紙一重ですね。先々を考えて沈む僕を横目で見ながら、「これはこれで楽しい」と。いい人でよかった。
そう、僕は先々を心配したのです。まず、火曜日に予定されている母親の眼科の付き添いをどうするか。クーラーなしの送迎は、マジで高齢者を殺しかねない。となれば、誰かにクルマを借りるか、レンタカーを利用するか。はたまた診察日をずらしてもらうにせよ、やはりクルマの手配は避けらない。
あるいは、月曜日に見てもらう約束をしたクルマ屋で、すぐに直っちゃえばすべてが取り越し苦労になるかもしれない。だが、1年で4カ月ほどしか使わない装置とは言え、クルマ自体が26年目を迎えているだけに、今回のクーラートラブルには致命的なカタストロフィの予感が……。
いわゆる怪我&病気自慢みたいに、笑ってもらおうと思って書いています。クーラーなんてものが自動車に備わっていることを知らない人には、歴史の逸話になってもいいです。けれどやはり僕は今も沈みがちで、なおかつ気分とは裏腹の大汗覚悟でこれからクルマ屋に行ってきます。そう、代車を貸してもらえることになりました。不幸と幸いも背中合わせですね。

意味不明なまま、なぜかそそられる看板です。

運動不足脱却に向けたランニング中の考察

おそらく、個人の自由意志だけでは解決できないのかもしれない。となると、午前0時半というクレイジーな開始時間であれ、何人もが集まり、また集めるための幾ばくかの責任を負っていたアイスホッケーの強制力はかなり貴重だったのだろう……。
そんなことを炎天下で走りながら考えました。たった一人の検討会の議題は、運動不足。目下最大の悩みの一つです。そんなこと考えながら走らなくてもいいじゃないかというご意見もありましょうが、シンプルな運動を続けるときに何かしら思考を巡らせると、ランニングの単調さが気にならなくなります。問題があるとすれば、激しく暑い時間帯に外へ出たことですね。
さして考えずともわかっているのは、僕がランニングをするタイミングに欠陥が潜んでいる事実です。条件は、午前中に急ぎの用事がなく雨が降っていないこと。予定の組み立てに融通が利くフリーランスなので、この条件は緩々になるはずなのですが、これが案外そうもいかず。あるいはそこに他人との約束が生じてくれば、そもそもの予定からして優先順位が変わってくるのではないか?
辞めて1年半以上が経つアイスホッケーがそうでした。最盛期は毎週。後半は1週おきで年間の練習時間が決まっていましたから、その前後、特に深夜2時終了後の午前中には仕事を入れないよう心掛けてきました。
趣味のために仕事を後回しにしていいのかとお叱りを受けるかもしれません。でも、いくらかの犠牲を払ってでも敢行しないと、たぶん大人の趣味は長続きしない。これはアイスホッケーをやり続けた上での結論です。だから誰かが趣味を始めたいと言ったら、そのための時間は強制的に奪うしかないとアドバイスします。ま、チームが消滅しちゃった今、そのアドバイスに説得力はありませんが。
いずれにしても、運動不足だよなあとボヤくだけでは運動になりませんから、かなりの強制力と他者に対する責任を持つ趣味を獲得するのが、この悩みから脱却する唯一の方法だと思っています。それから、楽しさね。現状では、不定期ながらチームメイトが練習場を確保してくれる野球にすがっております。

この時期の正午ごろは、ウザったいほど影のオレが近い。

あの形のままで

またしても日付ネタで恐縮です。平安時代初期に編纂されたという『続日本紀』(「ぞくにほんき」ではなく「しょくにほんぎ」と読ませるなんて、日本語は傲慢でいかん)には、今から1241年前の(現在の暦に直した)今日、富士山の噴火による降灰の記述があるそうです。日本最古の噴火記録らしいですが、灰もさることながら富士山が火を吐く瞬間を見た人もいたんでしょうね。さぞおっかなかったことでしょう。
400年から500年のサイクルで大噴火を繰り返す富士山が最後に噴火したのは1707年。それ以降の姿が、僕らがよく知っている富士山ということですね。その宝永大噴火から今年で315年。400年までにはまだ少しあるけれど、1万年前から火山活動を行っているそうなので、100年単位まで律儀になってくれるかどうか……。
一方、桜島が警戒レベル5の噴火を起こしたのは約1週間前。今もって活動が盛んですから、山の形はしょっちゅう変わっているのかもしれません。書いていいのかわからないけれど、桜島が強大な噴火をしたことで、富士山周辺の方は「こっちもか」と心配しているという話を又聞きしました。それは気分的ではなく、相応の予兆的なものがあったとかないとか。その辺の曖昧さが又聞きのよくないところですね。とは言え、鹿児島の桜島と静岡・山梨の富士山はかなり距離がある。でも、地球単位で見れば遠方と判断してくれるかどうか……。
昨日のマルデン島もそうですが、自然は人間が発見するよりずっと前からそこにあって、だから活火山が嫌なら他に住めばいいと思ったりもします。しかし人間は、いろんな形で自然から恩恵を受け、また利用し、すぐそばで生活します。初めて桜島に行ったとき、住宅街の道路の端に積もった火山灰を目の当たりにして、人間のたくましさに感じ入りました。
それでもなお、できれば噴火はしてほしくないし、富士山はあの形のままでいてほしいと願います。それもまた傲慢なことだと承知していても。

スマホの中から見つけた、個人的直近の富士山。やっぱりキレイよね。

発見の傲慢

今から197年前の1825年7月30日。英国のジョージ・バイロンという人が、太平洋のほぼど真ん中に浮かぶ無人のマルデン島を発見したそうな。約39㎢の小さな島で、標高は低く植生も乏しいながら、バイロンさんが上陸した際にはかつて人が暮らした形跡があったらしいんですね。
それは興味深いのだけれど、僕個人はマルデン島に対して縁もゆかりも、これといった興味もありません。ただ、発見という表現に傲慢さを感じるだけです。だって、人間が見つける以前から島はそこにあったわけでしょ。であれば発見なんてどの顔で言えるんだろうと思うわけです。ましてやバイロンさんの3年前には捕鯨船の船長が島を確認していたそうで、あるいは先に住んだ人もいたっていうじゃないですか。ましてや、不毛の孤島ながら渡り鳥の休息地になっていた可能性も否めないらしい。
でも、発見の名乗りを上げると国家が自分の領土として主張できるようになる。そこで英国は、1957年にマルデン島を水爆実験場に選んだ。今は自然保護区になっているそうですが、わずか65年前にはそれほどの愚行がいとも簡単に行われました。
現在はおそらく、この地上または海上で未発見の場所はないのでしょう。実際に足を運ばずとも衛星からすべて確認できるのだろうし。けれどどこかに鳥や魚だけしか知らない島があることを知っている人がいたら、発見者と名乗り出ないことを希望します。人間はそこまで傲慢じゃないと思いたいから。
それはそれとして、昨年と今年訪れた奄美大島に台風5号が接近していると聞きました。台風慣れしているはずの方々に対して、1度や2度の訪問者が心配するってのも傲慢な話かもしれませんが。

勝手に懐かしがる奄美大島。

無敵感って

時代劇に出てくる典型的な悪徳商人みたいな声色で言われました。「タムラさんも来ますよぉ」
その方は、電話で話す10分ほど前に、コロナ感染による7日間のホテル療養から帰宅したばかりと教えてくれました。ある企業の然るべき立場に就かれているので、普段から健康管理に気を遣われていることは知っていました。だから感染は意外だったけれど、そんな人でもなっちゃうのが現状なのでしょう。
「それでも罹っちゃうんだから、タムラさんもね」
その口調が、妙に楽しそうです。感染しても37度程度の熱が2日で治まり、療養中も元気だったこと。何より、隔離が明けて無敵になった感じがうれしいんだとか。いささか自棄っぽい気もしますが、これで当分は感染リスクに怯えなくてすむのは間違いないのかもしれません。
一方、こんな状況下でも風邪によく似た症状の、コロナとは別の一度聞いただけでは覚えられないウィルスに感染する人もいるそうです。3ヵ月ぶりに髪を切ってくれた店長美容師の子供がそれに罹って、自分も熱を出したらしい。
「無敵感、コロナ感染した私の父にもあるみたいです。孫に電話してきて、じいちゃんはもう大丈夫だから遊びにおいでって、勝手なことを言うんですよ」
お父さんは70代だそうです。以前は高齢者感染の重症化が喧伝されていました。3度のワクチン接種が効いているのか、ウィルス自体がそういう特性なのか、とにかく軽微でよかった。
となれば、ここはいっそ、無敵感の獲得に向かったほうがいいのだろうか? これまでの人生、病気に対して無防備ではあっても、何も恐れない無敵さを味わったことはないし。
いやいや、軽微なだけで症状は出るし、場合によっては隔離も必要となれば厄介この上ない。いすれにせよ、感染者数過去最多更新のニュースを聞くたび、最後まで逃げ切ってやるという決意は大事にしたいと思います。ホテル療養中は酒が飲めないらしい。それはイヤだな。

水平対向エンジンは、やっぱりシブい。

 

苦手意識という先入観

先入観を持たないこと。または棄てること。これは取材に臨む際の、いわゆる心構えのひとつです。実を言えば、僕がインタビューでお会いする方はほぼ初対面なので、そもそも先入観を持たずに済みます。
けれど時には担当者から、「噂によると地元の大物らしいですよ」とか、「気難しいって聞きました」とか、先入観よりも恐怖感を植え付けるような情報が入ります。でも、それらは周辺の人たちの先入観であって、僕のじゃない。であれば、余計なことを考えず会ったほうがいい。そもそも会わなければ何も始まらないし。
そんな感じで先入観を扱っているわけですが、再び会う方の場合には、素振りか言葉のチョイスか、要するに何かしらの記憶によって苦手意識が芽生えるケースがあります。これはなかなか消せない。時間が経っているから大丈夫だろうと高をくくってみても、やっぱり残っている。何でしょうね。そこには単なる相性を超えた、自分には受け入れ難い齟齬が断層ののように立ちはだかっているのかもしれない。
問題は、苦手意識がある人に限って不都合が生じてしまいがちということ。苦手になった理由を調べて、そこに触れないよう注意しているにもかかわらず、今度もまた普段は起きないトラブルが発生する。不思議ですよね。
自分にも原因があるのは間違いない。それを承知で言えば、これだけ先入観を持たないよう努めている僕を苦しめるということは、相手にも相応の問題があるはず。そんなふうに割り切らないとやれません。そうそう、割り切っちゃおう。そして、相手に苦手意識を悟られる前にトラブルを解消して先に進もう。でないと他の仕事に余計な先入観が混入しかねない。とまぁ、様々な連鎖とその切断を繰り返しながら、たぶん誰もが今日を生きているんでしょうね。

今日は真夏っぽくないポクポクした雲が浮かんでたな。