連休明け

むしろ平日よりきっちりとしたお仕事ルーティンをこなした連休後半の3日間を経て、休み明け初日は某企業の取材へ。最初に会った男性に、お休みはカレンダー通りでしたかと聞いたら、こんな答えが返ってきました。
「それが聞いてくださいよ。一応平日の今日に会議をぶち込まれたから、出社しなくちゃならなくなったんですよ。しかも朝一から数字に関する会議。休みの過ごし方をたずね合う和やかなマクラさえなかったんですから……」
お立場上止むを得ず、なんでしょうね。この週末も休めなかったのはお気の毒様という他にありませんでした。
次に会った女性とは、職場における女性の活躍が主題でした。そうしたトピックとは何度か向き合ったことがあるので、慣れとは違うけれど、今さら緊張感を表に出さずに臨めます。けれど自分が男性である以上、少なからず後ろめたさのようなものを自覚せずにはいられません。
やっぱりおかしいんですよね。21世紀になって四半世紀が過ぎているのに、いまだ女性と活躍を組み合わせる話題について語らなければならないなんて。男の僕だって活躍したい。そもそも活躍に性別や性差があっていいはずがない。
なのだけど、女性特有のあらゆる負担を本質的には理解できない以上、正論を口にするのも正義に欠ける気がするのです。
というような聞き手の感情や心情もまた表に出さず、いつも通り丁寧なインタビューを心掛けました。プロなので。
いずれにしても、カレンダーがまとまった休日を示してくれたところで、様々な懸案事項はしばし棚上げになるだけ。あるいは、棚上げや先延ばしを含む休戦状態を設ける言い訳にカレンダーを利用するのかもしれないと、そんなことを考えました。
ふむ、自分に休日感がなかったら、何かを妬むような話になっているのか? いやいや、お仕事あってこそ活躍のチャンスがあるわけで、不平不満などあるはずがありません。

狭い隙間に沈もうとする真西の太陽。凝視したら目が眩みました。

コナモン

今日は『コナモンの日』だそうな。その記述を最初に目にしたとき、くまモンとか、何かのキャラクターを想像したのは、たぶん僕が関東の人間だからでしょう。
漢字を充てると、粉物。より広義な言葉を使えば、粉食。小麦、芋類、トウモロコシ、米などの穀物を挽いて粉にし加工品にする食べ方または食べ物を指します。ゆえに多くの麺やパンや菓子は、粉食ないしは粉物になるわけです。
そう聞けば関西方面の人は、何となく怒った感じで「そんなん全部、コナモンやんけ」とおっしゃるかもしれません。誤った関西弁表記へのツッコミとともに。
でも、物をモンと表するのは、人情味があっていいですよね。そう言えばホルモンの語源も、放る物(放り捨てる物)だった部位を食するようになったからという説があるし。あえて砕けた言い方にすることで、すべて身内のように接する親しみやすさの表れなのでしょう。
なのに僕は、片仮名表記のコナモンの意味がすぐにはわからなかった。それは、関東人ゆえ普段からコナモンという単語を使う習慣がないからだと思います。あるいは、大好きな蕎麦もパスタも大枠では粉食なのに、コナモンとは別物に感じているから。
じゃ、コナモンって何だ? という話になります。調べたところによると、大阪三大コナモンは、お好み焼き、たこ焼き、いか焼き。ふむ、いか焼きは食べたことすらない可能性が大。だからこそ、コナモンの聖地たる大阪への敬意と畏怖の念のもと、僕は日常的にコナモンという単語を口にしないのかもしれない……。
話は変わりますが、ここのところ少しだけ焼きそばづくりにハマっているんですね。焼きそばもまた、モンに囲われるチープでフレンドリーな食べ物ですが、いろいろ試してみても一定以上に美味しくならないし、一定以下に不味くもならない。その安定感がコナモンの特徴なのだろうけれど、決定的な答えが出ないからハマり続けるような気がします。身内って、そういうモンなのかな。
1年365日ある中で、どうして5月7日がコナモンの日なのか。5と7の語呂合わせだと気付いたのも、記述を目にしてからわりと時間が経ってからでした。ダジャレは全国的に好きなんですね。

子供の頃、夢中になったプラレール! いっしょに遊びたかった。

ゴールデンウィークの思い出

ゴールデンウィークの際立つ思い出は二つ。一つは南。
初めて沖縄に行ったのは、今から30年くらい前の、5月の2日か3日。ゴールデンウィークのど真ん中だったので、さぞ飛行機は混んでいると思いきやガラ空き。真っ最中ゆえ有働の波が落ち着いていたのでしょう。
そんな小さなラッキーを抱えて降り立った那覇空港は土砂降り。街中の天気情報板に表示された湿度98パーセントを見て、水の中にいるのかと思いました。その直後に知ります。ただ天気が悪かっただけでなく、その日が沖縄地方の梅雨入りだったと。
驚きました。首都圏に住む者にすれば、梅雨は6月のイメージだから。けれど飛行機で約3時間の場所まで行けば、天候のルーティンに1カ月の違いが生じるんですね。沖縄は遠いというより、国内の広さを思い知った最初の体験でした。
もう一つは、その後の北。
日付は忘れたけれど、間違いなくゴールデンウィーク中のどこか。記憶に「へそ」という文字が紐づいているので、おそらく富良野あたりでしょう。ふと立ち寄った公園の桜が見事に咲いていました。ほぼ満開だったんじゃないかな。
これも驚きでした。桜と言えば3月末と思い込んでいたから。これも後に調べて知ったことだけど、桜前線の北上スピードは1日20キロから30キロ。大人がゆっくり歩く速さなんですって。であれば、東京で桜が咲いてから北に向かってのんびり歩いていけば、少なくとも5月いっぱいは桜を見続けることができるわけです。いつかそういう旅をしてみたいという淡い願いもまた、富良野で5月に見た桜から湧き出たものです。
さておき、いずれのエピソードも仕事によるもの。あちこち取材に行けるのは良い商売だと感じているけれど、長い休みに100パーセント遊びの思い出がないというのは、どうなんでしょうね。今年もほぼ部屋から出ていない。こういうのも各地の天候ルーティン同様、一度ハマるとなかなか抜け出せないのかもしれません。だからどうということでもないのだけど。

近所の空ばかり見てるなあ。

立夏

ゴールデンウィークも中盤? いや後半? いずれにしても、長いお休み中の皆様はいかがお過ごしでしょうか。僕の周囲では、ドンと海外旅行をされている方もいれば、混雑を嫌ってどこにも出かけないという方もいます。
さておき、今日はこどもの日。端午の節句。そして、ここでおなじみの二十四節気では、立夏の始まり。
夏の気配が漂い始めるので、夏が立つと書く。素敵な字感です。1年を24等分する古い暦には、他に立春、立秋、立冬が用意されていますが、いずれも詰まる音の促音がありながら、立夏に限り「っ」に続く「か」が破裂音なので、弾ける感じが高まるのも夏向きと言えるでしょう。
それはそれとして、いつからか夏が来るのがうれしくなくなりました。より正確に言えば、暑くなるのが鬱陶しくなった。気温の上昇が暴力的でしょ。外出するだけでも注意が促されるし、いまだエアコン使用を面倒臭がる母親の室内熱中症が気になったり。野球の練習にしても、自分の体と相談しながら日差しの下にいるのに「お前アホか?」と呆れられたり。夏に向かうと嫌なことばかり増える気がします。
返す返すも二十四節気は、はるか昔の気候をもとに構成されているので、今となっては当てはまらないところが多いわけです。ならば忘れてしまえばいいのに、麗しい言葉が多いからつい惹かれてしまう。おそらく、節気が示す季節の表情に対する憧れが強いんだと思います。
そんなこんなで僕は、予定と異なったゴールデンウィークを消化中です。休みに入る直前に急きょ原稿執筆の依頼があり、休み明けに提出するという、よくあるパターンとなりました。お仕事いただけるならよろこんで! けれど日中の室内は立夏の爽やかイメージを超えるほど暑い! そんな不機嫌な気分をなだめるべく、これを書いております。

空はいい感じだから、外にいれば違った気分になれるんだろうな。

一撃必殺の余韻

1日空きましたが、『井上尚弥vs中谷潤人』の話です。素人ながら、相当に高度な戦いであることがひしひしと伝わってきました。ハイレベルの選手同士が対峙すると、数少ない一撃必殺のチャンスをうかがい合う試合になるのでしょう。なおかつ、間合いの詰め方すら異様な緊張感が漂っていたから、最後までまるで飽きませんでした。
それにしても慣用句の一撃必殺は、「必ず殺す」という物騒な文字が綴られているんですよね。僕らは軽はずみに使うけれど、本質的には非日常的な状況、つまりはボクシングにこそふさわしいのかもしれません。
なのにあの日の二人は、死に至りかねない攻撃を用意した試合中にもかかわらず、笑みを交わし合っていました。語彙力のない表現だけど、まるでマンガのワンシーンみたいに。それを目撃できただけも、「やがて、伝説と呼ばれる日。」と銘打たれた生配信に満足できました。
で、当日の視聴料金が税込7,150円。実は迷いました。今月末まで繰り返し視聴できるにしても、たぶん見返すことはなく、たった1回の料金としては決して安くないと思ったからです。でも、観ずにおけなかった。だからこそ簡単には終わらない、しっかり楽しめる内容になってほしかった。
ただ、何が起こるかわからないスポーツ関連の生配信に関しては、そういう貧相な発想こそが時代遅れになるんだろうと思いました。この間のWBCもそうだったけれど、無料の地上波が育ててきたコンテンツは、今後ますますテレビから遠ざかっていくのでしょう。ミド昭和生まれのテレビっ子としては残念な限りです。
その一方、有料視聴の動画配信サービス会社は、“まだタダ”で見られるテレビを上回るコンテンツを用意し続けなければならないのでしょう。そこで自分の掌を眺めながら、こう思ったのです。お金を取れるものづくりって本当に難しい……。
などと冷静な気分になったのは、生配信終了後に届いたらしいご利用内容のお知らせメールを確認した後でした。代金の請求は今月末なので、それまでは一撃必殺の余韻だけに浸ることにします。

一昨日午後3時のコントラスト。25度越えのグラウンドでした。

褒められたい一心で頑張る

明日を生きる糧と言ったら大袈裟だけど、やはり「褒められたい!」は次の一歩を踏み出すモチベーションになるよな、という話です。
3カ月を経て昨年11月に届いたカスタムオーダーのファーストミット。野球の道具ですが、耐久性に秀でた上質の革を使っているので、思った通り扱える型ができるまで時間がかかるのは覚悟していました。しかし、手元に来てから4カ月余り。相応に柔らかくなってきたものの、然るべきポイントで球を受けると弾いてしまう。もしや育て方が悪いのか? そのあたりを確認するため、購入した店に行ってきました。
「しっかり育っていますよ。正しく使っているのは見ればわかります。しっくりくる瞬間はある日突然訪れますから、このままもう少し待ちましょう」
そう言った店員さんに対する僕の第一声は「またまたぁ」でした。前にその店でキャッチャーミットを購入し、半年後に生育状況を見てもらったときも同じことを言ってくれたからです。商習慣として適切な対応とも思ったし。けれど、即座にこう返されました。
「僕らも伝えるべきはちゃんと伝えます」
うれしかったですね。店員さんの意図はさておき、褒められた気分になったから。そこで考えてみたのです。
褒めるとは、積み重ねた行いの優れた点を正当に評価すること。他方、伸びるタイプの分類として「褒めて」と「叱られて」を耳にしますが、叱りもまた一定の原則に基づいた批判でなければ受け入れ難いものになるでしょう。
いずれにせよ重要なのは、客観的な査定基準と、正しく伝える言語能力かもしれません。言い淀んだり説明が長くなるほど、褒める場合は甘やかしやおだての成分が漂うし、叱る場合は個人の怒りを感じやすくなるから。
なんだっけ? そう、「褒められたい!」でした。この件は以前、ある社長さんとじっくり話したことがあって、最終責任を負う立場ゆえ機会は稀になっても、褒められることは誰かに役立った実感になるから救われるとおっしゃっていました。実は僕もそんな感じがしていたのだけど、その方の言葉によって自分のモチベーションが言語化されたのです。
だから心を入れた取り組みは、とにかく褒められたい一心で頑張る。そしてまた、少し手を入れてもらったファーストミットをこれからも大事に育てていきます。道具を褒められるのって、家に帰ってからもニヤニヤするくらいうれしいんですよね。

不動の展示保存は、機関車にとって幸福なのだろうか。とか、余計なことを考えます。

不可思議ながらも確かな事実として

苦手な類のひとつが、いわゆる怖い話。空想癖がある臆病者なので、一度聞いてしまうと、たとえば深夜に目覚めたときに思い出して、聞いた以上の出来事がこれから起きるんじゃないかと考えてしまうのが極めて不愉快なのです。
だからできるだけ耳に入れない。それでも不意を突かれて鼓膜まで届いてしまったら、物理的に再現できない現象は信じないという論理武装で応じる他にありません。
その一方、見えたり感じたりするという人の話を、必ずしも否定はしないのです。そういう領域があるのかないのか、見えたり感じられたりしない僕には確認のしようがないから。ただ、その領域はセンシティブなので、それについて気軽に喋る人には近づかないようにします。
そんなわけで霊感とは縁遠いタイプながら、長く生きていればというか、上手く説明できない現象や状況に遭遇することがあります。これがまた奇妙で、自分が体感した場合は恐怖に怯えるのではなく、ただただ見入ってしまうんですよね。この世界にはそういうこともあるのかと納得するみたいに。
これは、自分名義の著書で記したエピソードです。仕事でアフリカのナミビアに行ったとき、最後の二泊を過ごした国立公園内のコテージで、小さな恐竜の幽霊を見ました。いや、幽霊というのは有体の表現に過ぎないのですが、話を進めます。
深夜に目覚めてバスルームのほうに目をやったら、それがドアの前を右から左へゆっくり歩いていました。夜中に部屋を出て野生動物に襲われても自己責任と念書を書かされた宿なので、場合によっては室内に大きめのトカゲが紛れ込むのかもしれません。しかしそれは、大きく丸まった背中にいくつもの突起を具えた、体長40センチ程度のミニチュア恐竜と呼ぶ以外にないフォルムでした。そしてそれが左側の壁に達したところで、すっと姿を消してしまった。
ベッドの中で一部始終を見届けた後、それが消えた壁を見に行ったのですが、あのサイズが抜けられるような穴はありませんでした。だから幽霊とする以外になかった。そして翌朝、旅先では滅多にない発熱を自覚することになるのです。
あれが物理的に再現できない現象だとしたら、その宿にたどり着くまでの数日間クルマで走り続けた疲れや、人生初のアフリカに強いられた精神的な負担が見せた幻影と説明するべきかもしれません。けれど今でもそれは、不可思議ながらも確かな事実として記憶されています。
こういうエピソードを紹介すると、「実は私も」とそっち方面につなげる方がいます。そういう展開を望んでいるわけではないので、やはり話題の持ち出しは時や場所や人を選ぶべきかもしれませんね。僕の件も、快く聞けない方がいるでしょうし。ではなぜこんな話をしたのか? 実は理由があるのだけど、今日はここまでにしておきます。

車検の台車に用意してくれたのが、軽のマニュアル車。なかなか変なクルマ屋さんでしょ。

 

懇意になりたいと思うほど

食べ歩き趣味を持たない僕の場合、飲食店探しは居場所づくりに直結していると思います。ゆえに飲食店の中でもお酒が飲める店は、酒の品揃えや料理の美味しさはもちろん、あるいはそれ以上に、ゆったり穏やかに身を委ねられる空間であってほしいわけです。
となると自分自身の好みが優先されるので、いついかなるときも一人でうかがえるほうがいい。なおかつ自分が好くだけでなく、できれば店にも僕を好いてほしい。そんな関係性を築くのはなかなか難しいものです。互いの期待値に齟齬が生じるケースは少なくないし、何より齟齬の確認も含めて時間もかかる。なので、タイパ云々が筆頭に挙げられるご時勢では、そんな関係性を求める人が少ないかもしれません。
というような厄介な条件を満たしてくれそうなお店に、ついに飛び込んでみました。ごく近所の、同じ場所にあった飲食店が閉まった後にできた居酒屋さん。風情からして和食中心で、以前から馴染みの和食屋さんを求めていた僕には絶好の店でした。なのに何度か前を通りながら、入る勇気が出なかった。懇意になりたいと思うほど慎重になるパターンもあるでしょ。
一線を超えられたのは、その店で時々バイトしているという女性に別の飲み屋で会い、なおかつ飲み屋の主人もその店の良さを語ってくれたから。いよいよ時が来たんだと悟りました。そうして扉を開けることができた。
ユニークな状況でした。客はただ一人。しかし、それが巨漢の男性で、カウンターに突っ伏して寝込んでいたのです。後に常連と判明したけれど、ファーストインプレッションが不穏だと、その後の印象は良くなるばかりだったりもします。
というより、想像通りに良い店でした。料理は工夫に満ちていて、魚の焼き具合も絶妙。これは日本酒と決め込んで、今日飲んでおくべきものをご主人にたずねたら、お品書きに載せていないという長野の純米吟醸を出してくれました。その振舞いがうれしかった。
どう思います? 飛び込み一見さんの僕は、少なからず好かれたのかしら。いずれにしても大事なのは2回目。次回までの間隔を正しく計算し、2回目なりの態度で臨まなければ。というようなチャレンジの始まりを与えてもらった4月の終わり。そして今日から5月。

5月の始まりらしい景色ですね。

僕にとっての虹は

月曜日の午後6時過ぎの話です。傘を差しながら近所まで買い物に出かけたとき、ふと西の空を見たら日が差していたんですね。間もなく雨が上がるだろうと思った途端、ソワソワし始めました。必ず虹が出るだろうからと。
虹の出現には物理的な条件があります。
1:光源としての太陽が地平線から42度以下の低い高度にあること。
2:大気中に雨や霧などによる水滴が含まれていること。
3:雨から晴れへの天候変化が比較的著しいこと。
以上に鑑みると、雨上がりの朝か夕、太陽が低い角度にあるとき、太陽とは真逆方向に虹が現れることになります。けれど寝るのも起きるのも遅い僕は、モーニングレインボーの目撃経験がありません。また、ハワイでは先祖が幸運を運んでくるという言い伝えがある夜の虹、ムーンボウも同様。ずいぶん前、ムーンボウだけの写真集を手に入れたはずなんだけど、あれはどこに行ってしまったんだろう。
それはさておき、太陽高度42度以下という数値は知らなかったものの、夕方に雨が上がり日が差すと、「これは出るぞ!」と落ち着かない気分になったのが件の時間帯でした。
慌てて買い物を済ませて通りへ。案の定、空を狭めるビルの隙間に七色の帯の断片。その時点で周囲を見渡したら、誰も空を見上げていませんでした。自宅に戻る途中、より空が開けた場所で確認したら、これがまたデカい! シン・ゴジラでたとえたら第四形態レベルだったので、いよいよスマホを向ける人が現れ始めました。
しかし、地上からは障害物が遮って全貌が露になっていない。ならばと帰宅速度を上げ、ドアを開けて西向きのベランダへ直行! そこにあったのが、下の写真の景色です。ここまで鮮明な完全半円は久しぶりでした。なかなか見事だったので、皆さんに見てもらおうと、スナップに残しました。
虹は、古から吉兆また凶兆の象徴とされてきましたが、先に示したように、物理的な条件がそろえばどこでも出現する現象に過ぎません。ブラジルの蝶の羽ばたきがアメリカで竜巻を起こすバタフライエフェクトより、またはファンタジーの怪物より、たぶん確実な理論に基づいています。
なのだけど、妙に高揚するのです。おそらく、虹を見つけたラッキーより、諸条件から虹が出ることを予測できた自分の感覚を褒めたい気持ちが強いのでしょう。そしてまた、良いことが起こるお告げだったらいいのにと、有体な期待を寄せたりもする。ゆえに僕にとっての虹は、実は傲慢のシンボルかもしれません。身も蓋もないオチですね。あんなにキレイなのに。

吉兆以外を想像したくないお姿でした。

ゴールデンウィーク中のto-doメモ

今日は国民の祝日の『昭和の日』。元は昭和天皇の『天皇誕生日』で、次に『みどりの日』となり、2007年から現在の名称に……。
というような知識は、毎日何かを必死で書こうとする変わり者、または国民なら祝日の意味をちゃんと知っておくべきと諭す頑固者が気にするだけかもしれません。なぜなら実質的には、ゴールデンウィークが始まる日といった認識が一般的だから。
暦がもたらす長期休暇を利用して、瞑想体験に臨むという人がいます。何でもいいからとにかく無事に帰ってきてくれと伝えました。
近所の飲み屋で会った人は、ロサンゼルスからサンディエゴに行くと話していました。特に思い入れのある土地ではなく、せっかくのお休みだから海外がいいかなと、それだけで選んだ場所だそうです。
夜勤もある公務員になった知人は、24時間フル稼働の部署ながら、今回はカレンダー通りに休めると言っていました。けれど、休暇が長いと出社したくなくなるので、あまりうれしくないらしい。
そんな感じでゴールデンウィークに関しては、しっかりお休みできる人々の話が前面に出がちです。しかし、誰かの休日を支えるため働く方もいらっしゃいます。観光地方面は書き入れ時でしょう。ちなみに書き入れ時は、商人が売上を帳簿に書き入れる暇がないほど忙しい時期から来ているそうです。どうでもいい小ネタでした。
さっき調べたら、ゴミの収集もルーティン通りに実施されます。ありがたいことです。この社会は、カレンダー通りに休めない方々によってちゃんと回っていることを忘れないでいたいと思います。ちゃんと休める人は、そんなこと考えなくてもいいですね。
僕はと言えば、例によって開店休業状態に入ります。予定が曖昧だった休み前の駆け込み需要が消え、従って休み明け提出の原稿書きもなくなりました。
買ったまま開封していないCDを聴き、読みかけの本を読み直し、天気がいい日があれば川沿いのサイクリング。以上が現時点で頭に浮かんでいる、ゴールデンウィーク中のto-doメモ。1日ですべてこなそうですね。

予定が飛んだので、まずはグローブ磨きから。