「自分には書けない」

物書きだのライターだのと偉そうに名乗り続けておりますが、「これは自分には書けない」と溜息をつくような文章に出会うことがあります。断っておきますが、これは優れた小説家に向けた感慨ではありません。文筆家の作品に受けるのは、書物として世に出るためのルールやマナーをよくよく了解したプロの領域における感銘です。
本業の作品は、わかりやすく言えばちゃんと試合になっているのです。サッカーでたとえると、プロは技術レベルが高い上に然るべきポジションの取り方を熟知しているから、まず見ていて安心するし、展開を楽しませてくれる余裕を与えてくれます。対して幼い子供たちのサッカーは、おおむねボールが転がった先に全員で群れていく。逆サイドのスペースはがら空きなのにと思っても、そっちに目をやる気配はまるでなし。気づけばゴールを守るはずのキーパーまで群れに突進していったり。
ここまで話せば気づいていただけると思いますが、僕が「自分には書けない」とのけぞるのは、いわば子供のサッカー的文章です。決して上手とは言えず、毎回同じテイストで表現できる安定感もなさそうだし、読点の打ちどころも滅茶苦茶で、場合によっては句点すらないまま最後まで突っ走る。
それでも読めてしまうのは、あるいは心を揺さぶられるのは、何かを伝えたい思いが筆を持つ腕を、いやキーに触れる指を突き動かすからだと思うのです。そういう文章は、SNSの長めのメッセージで時折見かけます。読者が特定されるケースが多いので、まるで目の前のボールしか目に入らないように、伝えたい気持ちが集約しやすいのかもしれません。
もちろんプロの自覚と責任を持っている僕にしても、伝えるべき事柄を正しく記す文章を書くよう努めています。だた、内容は違えど書く作業を続けていると、飽きることはなくても過去の繰り返しを避けようとして技巧に走りがちになる。それがね、適当にまとまっているけれどおもしろいのかというと、どうなのかなって。
そこが誰でも書けてしまう文章の奇妙さ。プロでやっていくのは難しい。だから楽しいという帰結の縁を、きっと今後もうろうろするのでしょう。素人さんの突拍子のなさ、きっともう僕の抽斗にはないんだと思います。

ガソリンスタンドの解体作業。消防士が駆け付ける場面がありました。何だったのかな。

日本人の誇り

ホームラン王確定を受けて記念切手セットを発売する日本郵政の手際の良さに、なぜか苦笑いが浮かびました。いつ誰が「準備しとけ」と号令をかけたんだろうね。
そんなわけで、大谷翔平選手がメジャーリーグのアメリカン・リーグでホームラン王を獲得しました。日本人選手初ということで、メディアは快挙とか偉業といった言葉を使いながらこの朗報を伝えています。そしてまた、日本人の誇りでもあると……。
何がどう日本人の誇りなのか。そうした表現を用いる根底には、どうにも卑屈な精神が見え隠れしてしまいます。いやもちろん、「日本人がメジャーでホームラン王になれる日が来るなんて」という感想は全面的な賞賛を意味していると思っているのです。けれどその裏側には、「日本人には無理」という諦めのフックがありませんでしたか?
言語や環境の違い、あるいは運動で優位性を発揮する体格等々、小さな島国に住む日本人が海外に出ていくときには、不利と呼んでいい障壁がいくつも立ちはだかります。けれどもはやこの時代、出ていきたい人は出ていきます。なのに、海外で働いていると聞けば、反射的に「凄いですね」などと口にしてしまう。僕にもその感覚はあります。
一方で、よく行く飲み屋には日本の会社に勤めるアメリカ人がいて、たぶん彼は日本に来たことを「凄い」とも「誇り」とも思っていないはずです。世界の見え方に差異があるのかもしれません。おそらく多くの日本人にとって、いまだ世界は広く遠く、そして手強い存在なのでしょう。
だからこそ同じ日本人として、大谷選手は誇らしい。まぁ、そうなんだよなあ。つまるところどんな競技でも、海外で活躍する日本人選手が興味の軸になるのは間違いないところです。
ただ、もう少しだけつべこべ言わせてもらえば、僕が大谷選手に向けた「日本人の誇り」に違和感を覚えるのは、規格外と思っているからです。そもそも身長が193センチで、なおかつ運動能力に優れた日本人が稀ですよね。となれば彼は、アイルトン・セナやマイケル・ジョーダンのような、世界中の人々の注目を集める存在と捉えるべきではないか。あえてセクションを設ければ、野球界の誇り。そんな人を「日本の」と括ってしまうのは、あまりにおこがましくないか?
……そうか、わかったぞ。ここでの誇りとは、間違ってもおにぎりが嫌いとは言わない大谷選手を独占できる権利、または愉悦が日本人にだけあるということなんだな。英語のprideには「傲慢」や「自惚れ」のニュアンスも含まれているし。
あれこれくどくど語っていますが、僕だってうれしいんですよ。素直じゃないだけです。

秋めいた風情に添う落ち葉か。それとも夏の暑さにやられた枯葉か。

身軽への希求

ほぼ1カ月前、いわゆる断捨離の対象として蔵書の整理に触れました。そのときは、「実現できたらいいなあ」くらいの淡い期待に留まっていたのですが、思い立ってこの週末から実行に移しています。
目標は、横並びで二つ置いてある縦180×横90×幅45センチの本棚の一つを空にすること。さらに、その空いた本棚自体を不用品として回収してもらうこと。そのために最初に行ったのは、言うまでもなく手放す本の選択です。けっこう頑張りました。惜別の念だの、もったいないなどという感情を噛み砕きつつ、そうして収め替えた中サイズの段ボール箱は9箱。少なくはないと思いますが、多いと言えるかどうかはわかりません。ひとまず、それが第一段階。
次に取り掛かったのは、蔵書にすべきと判断した本が、残す一つの本棚に収まり切るかの確認作業です。本のサイズなど計って進めたほうが効率的なのかもしれませんが、現時点では物理的にざっくり収めながら目標の進捗を見ています。で、これがどうもギリあふれそうなんですよね。
では、本棚を二つ残すか? それに関する自分の回答はNO。なぜ今回に限ってそこまで意志が明確なのか? どうやら今の僕がもっとも望んでいるのは「身軽になりたい」という思いらしいんですね。らしいって、自分の意思なのに曖昧な表現ですが。
実は先月、引っ越しを検討していました。もろもろの事情が重なって今回は見送ったのですが、実際に引っ越しをしたなら断捨離的作業は不可欠だったという結論が背中を押しているところもあります。
けれど「身軽になりたい」という今の気分は、それとは違う、何というか直感的なものです。来るべき引っ越しのタイミングに向けた準備を始めたのかもしれないし、あるいは自然と身辺整理したくなるのは何かのお告げなのかもしれない。どうなんだろ。
いずれにせよ、これまであまり経験してこなかった身軽への希求に素直に従い、黙々と作業を進めております。いやまぁ大半の本を捨てても、それ以外で手放せないものもかなりあるので、どこまで身軽になれるか怪しいものですが、目標に向かってもう少し頑張ってみます。

ノウゼンカズラで合ってるのかな。この時期でも南国っぽい彩の花が咲くんだと思って。

制度導入の日

10月1日は数多くの記念日を抱えています。コーヒーの日。日本茶の日。メガネの日。ネクタイの日。補助犬の日であり浄化槽の日でもあり、地方的には都民の日。闘魂アントニオ猪木の日にもなっているらしい。
さておき個人で注目すべき2023年の今日は、インボイス制度が始まってしまう日ということになります。この話題、ここでの扱い方が悩ましいままです。僕のような個人事業主にとっては生活に直結する大問題なのだけど、そうではない人たちもたくさんいるし、それよりも103万円の壁に代表される扶養控除問題を注視している方もいらっしゃるでしょう。そして何より、感情のままに政権批判を繰り返すのも何か違う気がします。
なので今日のところは、インボイス制度導入に関する僕の心持ちだけお伝えすることにします。
当初は2023年3月に始まるとされたこの制度について、僕があれこれ心配になり始めたのは昨年末でした。お世話になっているクライアントに迷惑をかけちゃいけないという思いのもとに。
制度の詳細を調べてわかってきたのは、消費税の不可解な在り様でした。3パーセントの税率で消費税が導入されたのは、1989年(平成元年)4月1日。この新たな税の仕組について僕らが受けた説明は、「社会保障のため」でした。それならばと思った国民は多かったと思います。しかし実際には、消費税で得た財源を社会保障にあてがうための専用の財布は用意されませんでした。ゆえに、他の目的にも使える。それを許す記述はどこかにあった。でも、僕らはそれを見落とし、この社会が豊かになるのならと、後々10パーセントまで上昇する負担を受け入れてきました。
そんな罠っぽい方法を許してしまった結果、僕であれば新制度の厄介さに直面することになったのです。まぁ、消費税やインボイス制度に関しては、それ以外にも多くの疑問がありますが。
前にも書いたけれど、あれこれ譲る形で自らに反省を促すとすれば、あらゆる問題は自分事になって初めて深刻さが理解できるということでしょうか。僕らがこれからすべきは、クライアントとの相談です。制度なのにそんな余地が残されているのがおかしな点ですが、それくらい奇天烈な仕組です。
それから、2024年1月に始まる電子帳簿保存法と併せ、多くの企業や個人が混乱する予測がある中、インボイス制度がどうなっていくかを見守ること。なかなかに面倒ですが、やめてはならないものだと思っています。日曜日なのに、こんな話題ですみません。

ふと見上げた中秋の名月。佳きおぼろ。

 

蒸気機関車と幼い我が子

1969年9月30日、総武本線の無煙化達成。無煙化とは蒸気機関車の廃止を指していますが、こんな史実に触れると感慨深くなります。それは、こんな思い出に端を発しています。
僕が4歳――たぶん1966年くらいまで住んでいた家は、総武本線のすぐ脇に建っていました。総武本線というのは、東京駅から千葉駅を経由して銚子駅まで伸びる路線です。僕の家があったのは、さらにドメスティックな話になりますが、津田沼駅の少し手前でした。ただ、その家で過ごしたことは、千切れたセロテープの端ほどしか覚えていません。
けれどひとつだけ、映像に近い形で残されている記憶があります。家のすぐそばの線路に蒸気機関車が走っていました。D51かC61だったかはわかりませんが、とにかく大きな黒い塊で、貨物車を引っ張っていたはずです。
日本中の鉄道で電化が急がれていた時代ですから、蒸気機関車が走る本数も時間もすでに限定的だったのでしょう。年子の弟と僕はそのタイミングを熟知していて、蒸気機関車が来るたび線路脇に立って手を振りました。そんな健気な兄弟の存在に気づいた車掌さんが、通り過ぎる刹那お菓子を入れた紙袋を放り投げてくれたのです。そうした互いに名も知らないささやかな交流は、僕がその家を去るまで続きました……。
……などという牧歌的で郷愁に満ちたエピソードが本当にあったのだろうか? そんな疑いを持つようになったのは中学生くらいだったと思います。何しろ上記のような動画的記憶には、蒸気機関車を見送る兄弟の背中がシルエットになって映り込んでいるのです。現代の幼子であれば、繰り返し見るスマホのムービーが自分の記憶にすり替わることがあるかもしれません。けれどこれは昭和中期の話。だから僕の記憶は、自分の都合のいいように編集したものなのでしょう。母親から繰り返し聞かされた逸話をもとにして。
そんなわけですから、総武本線に蒸気機関車が走っていた事実に直面するたび、いまだ手応えはくたびれたクッションをつかむみたいに不確かですが、あれは噓ではなかったんだと奇妙な安堵感を覚えるのです。
明日は、蒸気機関車と幼い我が子のエピソードを語った母親の誕生日。本人は覚えているのかな。1年の中でも特に好きな9月が終わっていきます。

前に同じ場所で見た柿が色づいていました。渋くなければひとつくらい……。

儲かる

ある取材のテーマが投資でした。そっち方面に疎かったので、ひとまず基礎知識程度は予習しておこうと、手軽にネット検索などして臨みました。
原稿を書く際にも、耳慣れない専門用語の再検索を行うわけですが、ネット側はこう思ったんでしょうね。「こいつ、よっぽど興味があるんだな」と。
そんな安直な性格に触れるたび苦笑いが浮かびます。付き合ってあげてもいいけれど、取材のテーマに興味があるのは原稿を仕上げるまで。なので、その後はスルー。しかし投資関連はなかなかの粘りを見せました。
「儲かる」
この一言の粘着力が想像以上に強かった。たいがいは「この世に上手い儲け話などない」と跳ねのけられます。たとえば自分の職域でも、これまでに何度も美味しそうな仕事の話が現れました。そのほとんどは、せいぜいレシピまで。食材を買い込んで料理をして、皆で食べ合うところまでたどり着いたためしがない。なので経験上、せめてキッチンに立ち包丁を持つまでは、「実現したらいい」程度で聞き流すようにしています。
にもかかわらず、取材で投資の話に触れたせいか、「儲かる」に目が留まってしまいました。ネットも悪い。次から次へと類似情報を送り込み、「投資=儲かる」の洗脳に躍起になるから。
そんなふうに意識が偏り始めると、「儲からない」や「危ない」という常識的かつ現実的な注意喚起が目に入っても周辺視野へと流してしまうようです。少し前に書いた錯視の原理そのままに、それとなく見えているつもりで実像をとらえきれなくなる……。
「これはいかんなあ」と苦い笑いに戻れたのも、実はネットのおかげでした。著名な知識人が“確実な投資”のレクチャーをするという、どこから見ても騙りの呼びかけが出始めたのです。やはり「儲かる」の周囲には魑魅魍魎が巣食っているのかと思った瞬間に微熱が冷めました。
おそらく「オレはそんなのに引っ掛からない」と高を括った時点が欲の掻き始めかもしれません。いやまったく、今の自分は確実な取材で地道に一文字ずつ書く以外、金を稼ぐ術はないというのにね。

こちらは昨晩の齢13.1の月ですが、今晩は中秋の名月。しかも満月に当たるそうな。

 

南中高度は下がってます

週末に長い距離をランニングする方がおっしゃっていました。
「先週末に秋めいた空気を体感して、改めてわかったことがある。この夏に走れなかったのは体力が落ちたのではなく、あの酷い暑さのせいであり、それほどに人間は気候に左右される生き物なのだと」
まったくもって同感です。僕もこの間の日曜日は野球の試合で外にいました。しかも午後5時スタートだったので、グラウンドに吹き渡る風に明らかな季節の変化を感じましたから。そういうのは、どんな時期でも気候を察知できる、特に野外の運動習慣があってこそ得られる感覚なのだと思います。決してお薦めはしませんが。
幸いなことに、地球の表面がどうあれ、太陽という自ら光を発する恒星との関係性は変わりません。なので、南中高度も1年の中で確実に変わっていきます。南中高度とは、東から上った太陽が西に沈むまでの経路の中で、太陽の位置が真南に達したときの地上との角度。わかりにくい話なので、東京地方の角度を示しますね。
夏至/78度 春分・秋分/55度 冬至/32度
同じ面積でも大地に対する日射の入射角度が90度に近いほど、単位面積あたりの熱量は多くなるので大地は暖まる。ゆえに夏場は暑くなり、冬場は寒くなる……。
って、やっぱりややこしいですよね。しかし、そのあたりを確認しようと検索したら、中学受験の理科のページがヒットしました。小学校高学年って、こんなこと勉強してるのね。
いやまぁ南中高度など知らずとも、太陽の位置が変わっていく様を知ることはできます。僕はそれを日中のランニングで確認します。
むむむ? 僕が夜や雨に走らないのは、日差しの角度、または影の長さで季節の移り変わりを知りたいからだろうか。何より、地球と太陽の関係性までが変わっていないことを確かめたいから? どうなんだろ。後づけっぽい気もするなあ。
まだ夏日がやって来るそうですが、安心してください。東京地方の9月28日の南中高度は52.5度。数日前の秋分の日から3度近くも下がってますよ。

ほおら。昼前なのに、もうこんなに影が長い。

この社会に社長しかいなくなる未来

ある電話取材で、こんな情報を耳にしました。皆さんもきっとご活用なさっているマイクロソフトのオフィス系ソフトにAI機能を導入した、『Copilot』という新製品が発表されたそうです。
たとえばExcelなら、ChatGPTと同様に書き込みで指示を送れば、表をグラフにつくり変えるのは一瞬。出来上がったグラフを折れ線や棒に代えたいとか、別の色にしたいと頼んでも文句ひとつ返さず瞬く間に作成。これは数年前、ChatGPTを開発したOpenAI社にマイクロソフトが多額の出資をした成果なのだとか。
「これが普及すれば、部下に修正をする時間が削れるばかりでなく、部下がいらなくなっちゃうかも」
新製品情報を教えてくれた方のブラックジョークです。それを受けて僕の頭の中には、次のような冗談めかした文言が浮かびました。
(AI技術がもっと広まれば、僕のような物書きは早晩不要になっちゃいますねぇ)
そう言おうとして、やめました。「そうか!」とその方に気づかれてしまえば、僕は食いっぱぐれてしまうから。いやいや、とっくに気づかれているな。
昨日書いた『ワープロの日』にそれとなく近い話です。文章作成において、タイプライターもワープロもPCにその座を譲り、次にそれをAI機能が奪い、僕らのような文章書きに特化した職種が消失する日は遠くないかもしれない。その可能性が高いと思うのは、皆さんが僕らにかけてくれる言葉の中に答えがあります。
「私には文章なんて書けない」
ひとまず賛辞として素直に受け止めますが、このセリフを聞くたび、僕はぐっと息を吞みます。なぜなら賛辞の前には、「日本語の読み書きはできるのに……」という、口にはしない自負が潜んでいるはずだから。
読み書きができるなら誰にだって文章は書ける。ただ、望まれる仕上がりに達するには相応の習熟が必要なだけ。そこに労力を割いた者が文章書きの仕事を依頼されているのですが、その時間的コストをAIが解消しようとしているわけです。
「恋愛小説が得意な作家の文体でタイムリープ的な要素を盛り込みつつ、最後の1ページでどんでん返しが起きるサスペンス物を!」
などという無茶な書き込みもAIはあっさりこなし、読んだ人が「これ、いいじゃん」となるかもしれない。いや、なっちゃうんだろうな。
そんな近未来に対抗する手立てが僕にあるだろうか。おそらく、表現の個性化を極めるよりも、インタビュー現場の空気づくりとか、会話の流れをあえて覆すような突拍子のない質問を懐に忍ばせておくとか、生身の人間ならではの物理的な技を武器にするのが妥当だと思います。
しかし、物書きだけでなく、部下が不要になればこの社会には社長しかいなくなるんですよね。そんな明日は嫌だなあ。でも、なっちゃうのかなあ。

引き続きガソリンスタンド解体現場。やはり地中には巨大タンクが埋まっていたんだな。

ワープロありき

今日はワープロ記念日だそうです。ワードプロセッサーを略してワープロ。どのくらいの世代までがその恩恵に預かったんだろう。2000年頃から生産されなくなったらしいので、その10年くらい前に生まれた人たちは、ワープロがどんなものか想像もつかないんだろうな。
1978年9月26日。東芝が世界初の日本語ワープロ『JW-10』を発表したのが記念日の由来。東芝の開発者と新聞記者が雑談した際、「日本の記者は欧米の記者にくらべて記事を書くのが遅い」という話になったそうな。その原因が道具の違いにあると推測した開発者が、おそらくタイプライターを範とした電子式の原稿執筆マシンの構想を打ち立てました。
そうして完成した『JW-10』は、ほぼ机。卓上にキーボードとモブラウン管のモニターとプリンターが備えられ、今となってはわずかという他に10MBのハードディスクと8インチフロッピーディスクドライブを内蔵。重量220キロにしてお値段630万円。そんな代物、誰が使うんだと思ってしまうほどの重厚な佇まいでした。
開発でもっとも苦労されたのは、まさに世界初の達成に不可欠な日本語入力方式。『JW-10』が採用したのは「かな漢字変換式」でした。日本語はなかなかに厄介な言語です。漢字と平仮名と片仮名が同居している上に同音異義語も多い。なおかつ外国語も顔を出してくるから、キーを押すだけで適切な言葉を選択するのは至難だったはず。
たぶん発売直後の『JW-10』は、多くの課題を抱えていたでしょう。その解決を未来にゆだねる形で一歩を踏み出し、80年代半ばには現在のPCサイズまで小型化した家庭用ワープロが普及。やがて文章作成ソフトを収めたPCが登場し、ワープロは新しいプロダクトに役割を譲ります。
テクノロジーの進化に伴い、かつての華々しいイノベーションは古ぼけ、姿を消していくのが常です。文章作成にしても音声入力が発達し、そこにAIが関われば長文だって生成してくれるようになります。
ただ、ややこしい日本語を可能な限り正しく再現しようとした「かな漢字変換式」が今もスマホあたりで生かされていることを思うと、その難解な領域へ最初に乗り出した開発者には尊敬の念が堪えません。日本におけるワープロ以降のイノベーションも、すべてワープロありきだと思います。その点を肝に銘じて、今日もキーボードを打ちます。

日曜日は秋空。こんな風情を見せて、また暑くなるのは許さん。

 

愛の花

久しぶりにテレビの話を。朝ドラ『らんまん』がいよいよ最終週を迎えます。今作、僕は好きでした。実在した植物学者の牧野富太郎さんの人生をカバーしたことで、物語に骨太感が出たことがひとつ。
それから、俳優陣がよかった。作品名そのままの爛漫さを醸す上で、槙野万太郎には神木隆之介さんが、万太郎に寄り添った槙野寿恵子には浜辺美波さんが最適役だったと思います。爛漫って、別角度から見たらアナーキーなので、他人には無秩序としか感じられない生き方を通す我の強さを、この二人はそれこそ爛漫な笑顔で包み隠した。そこに惹かれました。結局、テレビであれ映画であれ、僕は人が見たいんだなあと改めて気づかされた次第です。
いやまぁとにかく、浜辺美波さんというか寿恵子に魅せられました。朝ドラでは珍しい今回の男性主役は、恵まれた環境で育ったせいか生活を営み続ける大変さを知らないというか、自分の研究に必要な金作をすべて妻に託しました。普通に考えたら、こんな夫からは即座に逃亡しますよね。劇中の寿恵子は早くに亡くなった長女を含め5人の子供を出産しましたが、リアルな妻の壽衛(すえ)は13人も産んでいます。それでなくても日々困窮しているのに、「何してんだ富さん」と呆れたくなります。
にもかかわらず寿恵子は爛漫に生きた。植物に熱中する万太郎に絆され、夫の夢を自分の夢にすることができたから。ふむ、本当だろうか? その答えは、あいみょんが歌う主題歌に潜んでいると見ています。
放送で毎回流れる『愛の花』のAメロにこんな歌詞があります。
「私は決して今を憎んではいない」
僕は当初、この一節に違和感を覚えていました。私とは誰のことで、憎んでいない今とはいつなのかと。しかし寿恵子が登場し、万太郎と暮らす苦労のほとんどを背負った生き様を知って、この歌の中の私が誰で、今がいつなのか、ありありとわかりました。歌詞のすべてを読むと、さらに切なくなります。そんな主題歌を用意した点でも、このドラマは主人公の妻なくして成立しなかったドラマですね。だから浜辺美波がいい……。
まだまだ話したいことはたくさんありますが、最後にひとつだけ。『スエコザサ』というタイトルで始まる最終週。実在した富太郎さんに対して万太郎という名前を備えつつ、妻には異なる漢字で同じ読みにした理由が判明するはずです。そうでなければ愛の花が咲く瞬間を伝えられないから。って、制作側の人間でもないのに意気込んでるな。終わっちゃうのがさびしいのにね。

感化された挙句、こんな本を買ったのは先月のことでした。