今日はどんなことが起こるんだろう

今も昔もけったいな事件は起きます。1950年4月19日は、鉱工品貿易公団横領事件、俗称「つまみ食い事件」が公になった日。
鉱工品貿易公団は、1947年から1951年まで存在した、スズ、鉛、銅など非鉄金属類の貿易に関する公務を請け負った団体でした。戦後間もない当時の日本はGHQの占領下にあり、そのGHQが民間貿易を禁じたことにより、件の公団が設立されたそうです。
そう書けば、焼け野原の中で日本の貿易復興を目指して汗水たらしていたように聞こえてきます。しかし非鉄金属類が高騰していた時代背景を受けて、一部の人間が好き放題に悪事を働く場所になっていたらしいのです。
鉱工品貿易公団職員とその妻が、公団の公金1億円を横領。逃げ切れないと考え、今から75年前の今日になり逃亡先から出頭。AIによると、1950年の1億円は2025年の1兆8000億円に匹敵するそうです。日本中が極貧生活を強いられていたので、言うまでもなく想像を超えた横領額は大きな話題になりました。さらに耳目を集めたのは、逃亡していた職員の妻が元ミス東京だったということ。まったくもって事実は小説より奇なりですね。真実に基づいた映画をつくるとしたら、元ミス役は誰が適任だろう。
この事件は、出頭してきた2人以外に37名が横領の罪で書類送検され、鉱工品貿易公団の悪名を拭い切れないものにしました。それ以上に記憶に残ったのは、横領に関する公団総裁の発言です。
「あれくらいは女中のつまみ食い程度」
権利を有する者の社会認知度の低さ、というより発言のセンスのなさもまた、いつの時代も変わらないのかもしれません。そんな呆れを象徴するかのように、この騒動は「つまみ食い事件」と呼ばれることになったそうな。
「つまみ食い事件」で検索すると、2022年に起きた、留置所の容疑者用弁当を4年間も盗み食いしていた警察官の事件が出てきます。被害額は、鉱工品貿易公団のそれよりはるかに小さく、まさにつまみ食い程度に過ぎないでしょう。けれど、テレビドラマの中の誰かが訴えたように、事件に大きいも小さいもない。何より、けったい具合は同程度と言っていいかもしれません。
ちなみに、GHQの最高司令官だったダグラス・マッカーサーが、「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」と発して軍を退役したのも、1951年の4月19日でした。今日はどんなことが起こるんだろう。

ビルの屋上って混沌としているのね。

スミレさん

知らないほうがよかったかも、と思うことは案外たくさんあります。
たとえば、アスファルトに咲く花。歌詞として歌われていますね。涙の数だけ強くなれると励ますための見本として。しかし本当にアスファルトに咲く花は、多くの涙を耐え忍んできたのか? これが必ずしもそうではないらしいです。
まずは、どこに種が落ちるか。植物の成長に不可欠なのは、光と水と二酸化炭素。それさえ摂取できれば、いわゆる野に咲く花はどこでも育つことができるそうな。それを前提条件にすると、風や昆虫などによってたまたまアスファルトの隙間に種が運ばれても、つまりは草原のような土の上でなくても、植物は成長できるわけです。
とは言え、人工物のアスファルトに囲まれていたら、さすがにしんどいだろうと思いますよね。ところが、それもちょっと違うみたい。確かに、人やクルマを通すために敷かれたアスファルトの上に種が落ちれば、多くは潰れてしまうはず。けれど運よくわずかな隙間に転がり込めたら、周囲にライバルが少なく、アスファルトの上にたまった雨水を独り占めできるので、生存競争の勝率が一気に高まるらしい。
一方、人やクルマの往来が激しい場所であれば、踏み倒される可能性も高くなります。となれば、傍若無人な人間文明に影響されない場所との生存比率が気になりますが、おそらく植物はそんなの関係ないんじゃないでしょうか。とにかく生きて、先祖代々続いてきた種を守る。その使命感を果たすためなら、どこだって咲く……。
以上の話は、アスファルトに咲く花を目の当たりにしたところから来ています。後で調べたらスミレでした。紫色の花弁があまりに可憐なので、「健気にもこんなところで」と心が動いてしまいました。けれど本質を感じ入るなら、可憐さや健気さよりも、たくましさやしぶとさなのだと気付かされた次第です。同時に、あれこれ思考する人間の勝手さも思い知りました。スミレさん、なかなかにタフな花でした。

こちら、見た目は土っぽいけれど粗目のアスファルトに咲くスミレさんです。

 

お弁当

SNSでたまにお弁当の写真を見かけます。掲載の意図は測りかねますが、それが立体イラストみたいなキャラ弁だとなぜか照れ臭くなります。いやいや、決して批判でありません。もし自分がお昼時に弁当の蓋を開けたとき、眼下にアート作品が広がったら、一度ひとまず蓋を締め戻してしまうと想像するだけです。
一方、奇抜さや華やかさはなく、強いて言えば茶系を感じるお弁当写真だと、世代的にも安心感があって、美味しそうだな、こういうの食べたいなと思うんですね。そういう一見地味な様相でも、実は料理的に手が込んでいるとしたら、その点を掲載者は誇りたいのかもしれません。
それらのお弁当は、およそ子供用なのでしょう。そうでないとこの先の話が進まないので、ここは一旦、誇るべきは誰かのためのお弁当ということにしてください。
で、誰かのためのお弁当写真に触れると、つくり手のプライドは、食べる人がよろこぶ姿を想像する力に支えられていると思わされるんですね。アメリカあたりの映画では、通学前の子供にピーナッツバターを塗っただけの食パンを持たせるシーンが出てきます。「まさかお弁当?」って驚くのは、それが日本人のお弁当概念から外れているからですよね。そして同時に彼の地には、僕らが知るお弁当文化が乏しいことを悟るわけです。
僕にとってお弁当と言えば、真っ先に浮かぶのは母親がつくってくれたそれです。確か中学校からはお弁当で、毎日ともなれば感謝が薄れていったというより、当たり前と思うようになりました。その無慈悲さを、今になって猛省します。つくり手のプライドを尊重するなら、仮に社交辞令であっても「今日も美味しかった」となぜ伝えなかったのか、本当に悔やまれる。
そんな後悔は、お弁当に対する憧れへと昇華しかけています。もはや皆無なんですよね、誰かが自分のためにつくってくれる機会は。もしよかったらどなたか、さして手間をかけずとも手づくりのお弁当をお願いします。僕は心底よろこべる自信を秘めています。

アリーナ!

神様の手は

実に24回目の来日公演だそうです。エリック・クラプトンの武道館ライブに行ってきました。ここ数回はお仕事関連のご招待という役得をいただいておりますが、初日はたぶん初めて。しかし何にせよ、神様のほうから東京に来てくれるのだから、これほど有難いことはありません。
そんな崇め奉る気持ちに胸を膨らませながら、例によって九段下駅から坂道を上っていったのだけど、今回に限り、「外さなければ」と自らに誓った見方というか前提がありました。この3月30日におなりになられた、80歳という年齢です。
確かに年齢は、ひとつの基準として使い勝手がいいのかもしれません。しかし、それだけで多くを語られるのは、ご本人にとってかなりウザいと思うのです。それは、60歳越えで野球に張り切ると「なんで?」と呆れられる僕にはよくわかります。楽しむために、動けるだけ動いているだけ。思ったように動けないのは歳のせいかもと嘆きながら。それでもやれるうちはやりたい。やらせてくれる仲間がいる限り。
そこはエリックさんも同じじゃないでしょうか。そもそも長旅に耐えられなかったら、海外公演などやろうとは思わないだろうし。
だからこそ、来てくださったご厚意を思えば、何かに囚われた見方や前提は捨てなければいけません。少なくとも武道館の入り口までには。
なのだけど、あれは一種の挑発行為だったのかな。ネタバレになりますが、今回の祭壇、いやステージの上には、6台の大型モニターが備わっていて、エリックさんの全身やバストアップだけでなく、ギターを弾く指先まで鮮明に映し出す演出が施されていたんです。であれば、そんなつもりは捨てたはずでも見ちゃうわけです。指はちゃんと動くのかしらと。
完全な取り越し苦労でした。神様の手は、まだまだ音楽を奏でられる。いや、まだまだという判断自体が冒涜なのだと反省しなければなりませんね。
それでもやっぱり、凄いなあと感心せずにいられませんでした。結局のところ年齢を忘れることはできなかったけれど、80歳でもあれだけ見事なライブを披露できるなんて、年若にしたら希望という他にありません。神様だからこそできる体現なのでしょう。たくさんのご利益を授かりました。
追加公演があるようなので、ご参拝されたい方はぜひ!

まさにメッカでした。

ダ・ヴィンチにしても

今日は『ヘリコプターの日』。この由来、ヘリコプターの原理を図案に残したレオナル・ド・ダヴィンチの、1452年4月15日の誕生日にちなんでいるそうな。こういうのはグッときます。
ヘリコプター、乗ったことあります? 僕は取材で経験させてもらいました。ヘリコプターを所有している航空会社の社長さんを訪ねた際、「せっかくだから」と勧められたんだっけ。
男の子なんで、憧れはあるわけです。豪快なエンジンの音に呼応して胸も高まっていくのです。けれどシートに座った途端、足元がガラスの透け透け。高所恐怖症にはしんどい造りなんですよね。それでも、ふわっと浮いて、そわっと降りる、人生初の垂直離発着は感動的でした。
『ヘリコプターの日』は、全日本航空事業連合会がヘリコプターの利用を促すため1986年に制定したそうです。ですが、機体はかなりの高額みたいだし、操縦にも特別な訓練が必要で、だから利用料も高く、なおかつ日頃の整備の大変さによって、思うほどには広まっていないのかもしれません。
他方でドローン技術を活用した空飛ぶクルマの研究は、プロトタイプの段階まで来ているようです。ドローンって変わった名称だと思ってきました。英語でオスの蜂を意味する言葉で、電動モーターで回るプロペラの音が蜂の羽音を想起させたみたいです。それからドローンは、遠隔操縦する無人の物体を指すらしい。
そのドローン技術で人を運ぼうとするのが昨今の空飛ぶクルマになっているわけですが、実用化された際の空路交通法がどうなるかはさておき、「やっぱり落ちないってことはないんでしょ?」というのが僕の不安材料です。
でも、考えるんです。危険を重視してやめるか、便利を追求して進めるか。おそらく、試行錯誤は避けられずとも、後者のモチベーションを優先しなければ文明は発展しないのだろうと。ダ・ヴィンチにしても、リスクより画期的な便利を図案にしたためたはずだし。
以上の文脈では、ヘリコプターよりドローン式に肩を持つような気配が漂いますね。いずれにせよ、文明の発展には感謝しつつ、それを使わない選択が個人に委ねられる未来であってほしい。それは、歳を重ねるほど高いところが苦しくなってきた者の、ささやかな願いです。

散り始めた桜の木は、抜け感が美しい。

 

身の程知らずの侍

『侍タイムスリッパー』という映画を観ました。例によって、プライムビデオです。
幕末の京都で武士道を貫いていた会津藩士が、いきなり現代の京都にタイムスリップ。何もわからない場所に落とされた中、時代劇撮影所で斬られ役として生き抜こうとする、というのが本編のあらすじ。
物語の展開にタイムスリップを使うのはありがちだったけれど、時間の壁抜けを迫られた人物が歴史的英雄ではなく、なおかつ現代でも裏方的なポジションを与えられた点が興味深かったんですね。
それからこの映画は、2600万円という低予算の自主製作ながら、数々の映画賞を受賞したことでも注目を集め、興行収入が約10億円に届こうとしている、というのも話題になっています。そんな情報があったから、僕も出会えました。そしていつも残念なのは、やがて大ヒットする作品を最初に気づけないこと。だから、映画好きとは口が裂けても言えない自覚があります。
さておき、ふと目にした『侍タイムスリッパー』の評価では、「無名のオジサン役者ばかりでしんどい」といった声がありました。そもそも低予算なので有名な役者を起用できなかったのは承知されているのだろうけど、そういう意見に触れると、ぎくっとなります。この作品に対する僕の好感は、お前も嗜好が凝り固まったオッサンだからと指摘されたように感じたからでしょう。
けれど個人的には、世代も性別も入り乱れた物語が好きです。何よりも、老人は老人らしく、子供は子供らしくといった旧来の分別を鮮やかに破壊してくれたら気持ちいい。仕事であれ趣味であれ、何か一つの軸を頼りに、年齢を越えて共感できる例を疑似体験してみたいから。
しかし実社会では、言い訳や弱音を慰め合えるグループに属するほうが楽なのかもしれません。身の程を知るという点においても賢そうではあるし。どうなんだろう。それはつまんねぇなと思ってしまう僕は、身の程知らずの夢想家なんでしょうか。
え~と、自分の話はどうでもよくて、『侍タイムスリッパー』が一定の評価を得たのは、それでも時代劇が好きという純粋な情熱を受けたオーディエンスが多かったからだと思っています。よかったら、ぜひ。

清潔感に拒絶されるような、僕には不慣れな地上9階の廊下。

 

すべては「そんなことよりも」

人には様々な才能があるけれど、それを最大限引き出すのにもっとも重要なのは、ただ純粋に好きであり続けられる力です。そんな事実を再確認させてくれた本でした。
話題になったので、僕も手を伸ばしました。鈴木俊貴さんの『僕には鳥の言葉がわかる』
著者の鈴木さんは東京大学の准教授で、自らの研究で動物言語学という新しい学問を創設された方です。1983年生まれなので、今年42歳になられるようです。
動物言語学の創設に至ったのが、観察によって発見したシジュウカラの言葉。そう書けば、街中でも見かける全長15センチほどの鳥が言葉を使うなんてねぇ、と首を傾げたくなりますよね。そのあり得ないと思うことを、あり得ると思ってひたすら観察し、数多くの実験を試みて、一切の反論を封じる論文を学会に発表したのが鈴木さんです。
これも伝え方の問題で、研究の意気込みだけをすくい上げると、野心に満ちた尖った人物に感じさせてしまうかもしれません。そうではないことは、エッセイ仕立ての文体から朗らかに感じ取れます。
本書に潜む最大の求心力となるのは、シジュウカラには言葉があり、言葉を使って生活を営んでいるという新発見もさることながら、シジュウカラの生態を知りたい情熱です。それがもう呆れるほど伝わってくる。シジュウカラに顔が似てきたと言われてよろこぶなんて、最大賛辞で変態級という他にありません。
それから、森に分け入る長期間の調査をまったくいとわないのが凄いんですよね。鳥の鳴き声に意味があると気付いた学生時代、軽井沢での3か月間のフィールドワークは、残り1カ月を白米だけで凌いだらしいんです。町まで歩いて買い物に行く往復2時間が調査の邪魔になるからと。それをうれし気に書いている。
その後も繰り返し森に入るのですが、研究に不可避な行為だからか、後半では調査の身体的苦難に触れなくなります。しかし調査自体はいつでも、こっちの言葉はわからない小鳥相手だから、気の遠くなる忍耐が必要だと思うんですよね。
すべては「そんなことよりも」なのでしょう。純粋に好きになれる才能を持つ人だけが、誰も知り得なかった事実を世に知らしめていくわけです。心が震えます。

ベランダからシジュウカラ。キレイな声で喋ってたから。

美味しいチャーハン

なぜかわからないけれど好きな食べ物のひとつがチャーハンです。炒飯という漢字を充てますが、個人的にはカタカタのほうがしっくりきます。また、どうあっても店の味が出せないと知っていながら、自分でもつくってみたくなる料理でもあるのです。
チャーハンのつくり方はYouTubeが教えてくれます。まずは卵とご飯のかけ合わせ方。これも「プロが伝授」とか「最強の一品になる」という魅力的なタイトルのもと、様々な方法が動画で紹介されています。
僕はすでに、3種類の方法を試しています。最初に挑戦したのは、フライパンにご飯を投入する前に、ボウルの中で溶き卵とご飯を混ぜ合わせるというもの。その時点で麗しき卵かけご飯になるので、つまみ食いが止まらなくなります。
次は、溶き卵をフライパンで加熱した後でご飯を入れるオーソドックスなスタイル。中華料理は火力勝負と聞きますが、溶き卵に一気に火が入るほどフライパンを温めるのが、なかなか難しいです。
最近試したのが、フライパンで目玉焼きをつくってからご飯を投じる方法です。白身に焼き色をつけると香ばしくなるらしく、また半熟以前の黄身にご飯を混ぜるのが何だか裏技っぽくて、かなり気に入っています。
そんなふうにあれこれ試したくなるのは、間違いなく「パラパラ仕上げ」に憑りつかれているからでしょう。そして、自分がつくるチャーハンがパラパラにならないから、呪われるまま様々な方法を探し続けているのでしょう。
しかし、冷凍ご飯のストックがない日に我が思考を見つめ直してみると、チャーハン=パラパラがどれほど重要なのか、それよりもパラパラだからチャーハンが好きなのか、よくわからなくなります。
懸念すべき最大のポイントは、僕はいまだに自分でつくったチャーハンを美味しいと思えていないことです。そうなる理由は、パラパラ仕上げの方法にこだわる前に、チャーハンの何が美味しいか、自分なりの結論が出せていないからでしょう。あらゆるものづくりで迷宮にはまり込むのも、それが原因です。
脱却する策は、たぶん二つ。食べ歩き調査を怠らないこと。もう一つは、試食をしてもらうこと。文章も同じで、他者の評価を受けることで技量が上がっていきます。
何を言っているんだか、それこそよくわからなくなりましたが、僕が求めているのは、自分でつくったチャーハンに満足できる夜が来ることに他なりません。

昨日のガード下、振り返ったら無法の旗印。

 

自称~かなりしんどい答え合わせ

自称って、ねぇ。実際の事件については触れませんが、今回のような奇妙な事象が起きると、この社会における自分の呼ばれ方について考えてしまうのです。
たまに想像して怯えませんか? 何かの理由で逮捕されてしまった場合、記者が取材を申し込む自宅周辺の人たちが、自分について何を語るのだろうかと。おそらく最初は、かなり曖昧に「どんな人物でしたか?」と聞かれるはず。その結果、「会えば挨拶してくれますよ」とか、「滅多に顔を合わせませんね」というような、プライバシー保護という字幕付きのよく見る映像が流れるわけです。
「まさか」と驚いてくれるケースもあるでしょう。しかし、答えた方にかばう意識があっても、「まさか」の落差こそ犯人らしいと受け止められていきます。そこは伝える側の思う壺ですが。
そんなふうに半ば一方的に素性が説明されるとき、かなり影響するのが職種だと思うのです。身分は免許証などで判別可能。ゆえに住まいもすぐに確認できるだろうから、誰もが怪しむ住所不定にはなりにくい。しかしフリーランスライターなんてのは、まともな社会人を証明するにはかなり分が悪い自覚があります。
ずいぶん前ですが、皇居周辺を歩いていて警察官に職務質問されました。僕の何が彼らの琴線に触れたかはわかりませんが、とりあえずビールと言うような感じで職業をたずねられるわけです。?偽りなくフリーランスのライターと答えたら、途端に怪訝な浮かべ「フリーター?」と聞き返されました。
呆れつつも怖かったです。もし今ここで逮捕され、何かの拍子で報道でもされたら、僕は「自称フリーター」と呼ばれるかもと思ったから。母親は嘆くでしょう。知り合いの同業者は腹を抱えて笑うだろうな。
とは言え、個人的にはフリーランスライターの社会的認知度を上げたいとは思いません。もとより一般には理解され難い職種であることは覚悟しているし、それでもこの仕事が必要とされる場所がある事実を承知しているから。まぁ、ヤクザな稼業ですよね。
だからこそ、周囲に迷惑をかけず、品行方正な暮らしぶりに努めなければと思います。できているかどうか試されるのが不測の事態だと、かなりしんどい答え合わせになりそうですが。

有楽町のガード下。正午でこの雰囲気が出せるとは!

 

心の中は祝意と謝意に

語呂がいいのか、4月10日は記念日が多いようです。『ヨットの日』とか『四万十の日』とか。ふむふむ。しかしその手の記念日は、特別な縁がない限り、何かで調べないと気付けません。
他方、特に縁はなくても一方的な思い入れのある人の誕生日などは決して忘れません。そんなわけで今日は、さだまさしさんの73歳のバースデイ。年齢まですぐに言えるのは、僕とジャスト10年違いの切りのよさと、いやまぁ長年のファンだからです。
ファンとしての熱量を語ることはしません。そりゃ、気恥ずかしいから。ただ、前にも触れた気がするけれど、端くれながら物書きを生業にできたのは、10代の初めにさださんに出会えたおかげなので、言葉では言い尽くせない恩を感じているのです。
まずは、日本語の素晴らしさを歌詞で教えてくれたこと。そして、LPのライナーノーツに記された曲に関する短い文章がおもしろかったこと。それらに触れ、そんな文章を書くことが仕事になったらいいなと思ったのです。相当に漠然とした思いでした。小説家という職業は知っていたけれど、ライターなんて商売はまるで知らなかったから。なのに、いつの間にか、なんですよね。人生はわからないものです。
これも前に書いた記憶がありますが、10代の頃に感化される音楽家や小説家はおよそ10歳年上、というのが僕の体験的な説です。若造の無鉄砲な反抗心や寄る辺なき不安を理解した上で、希望と現実の在り様を示すことができるのは、10歳くらい年上の言動である、というのがこの説の論拠です。また、10代から10歳上の20代の表現者が、人生の中でもっとも感性が鋭い時期を迎えるのも、様々な例が証明するところでしょう。
奇妙というか不思議に感じるのは、生涯に渡って憧れ10歳年上の関係性が続くことです。そのために欠かせないのは、発信者の発信と、受信者の受信の継続に他なりません。それは職業や趣味を越えて、ともに生きていることが最大の条件になりますよね。
だから何が言いたいかというと、僕が10代の頃から歌い続けているさだまさしという人はもちろん凄いけれど、10代の頃から聞き続けている自分もそれなりに凄いぞってことです。こんな話はバースデイプレゼントにふさわしくないけれど、心の中は祝意と謝意に満ち溢れているのです。

霞んでますね。