講師にならなくてよかった

少し前に学歴に関して触れたとき、「40代の初めにあった、気持ち悪いくらい話が進んだ専門学校の講師の依頼」という一文を記しました。この件が妙にじくじくと思い出されたので、勝手ながら決着をつけることにします。
最初に話をくれたのは、知り合いのフォトグラファーでした。テレビCMもやっているわりと有名な専門学校で、来季から音楽関連コースを新設することになり、その中の音楽ライター養成なんちゃらで講師を探していると。それを聞いて僕がパッと思ったのは、「安定収入が確保できるかも?」でした。さもしいでしょ、フリーランサーの性分って。
しかし、即座に二つの不安が立ち上りました。一つは、僕が音楽専門ではないこと。それを件のフォトグラファーに伝えたら、「プロのライターなら誰でもいいみたい」という答えが返ってきました。その時点でこの話は怪しかったのだけど、二つ目の不安は話さずにおきました。それは、僕に講師が務まるかという本質的な問題です。
すべて杞憂に終わりました。先方の担当者と会ったのだけど、自分なりに組んでみたカリキュラムの企画書を提出してもろくに目を通さず、それが初対面なのに「正式な契約は次のミーティングで」となったんですね。その別れ際、「次は履歴書を持ってきてください」と言われ、これが核心かと気づいた僕は、大学に行っていないと告げたんです。すると空気が一変。改めて連絡すると返されて、この話はそのまま流れました。
どう考えてもだいぶ失礼な対応でした。でも、ホッとしたのも事実です。自分でも疑っていたように、僕には人に何かを教える素養がないだろうから。職業的経験値を題材にするにしても、僕の方法論は独学による癖の強いもので、なおかつ運や縁によっても支えられてきたから、他人に共有できるメソッドになるはずがなかった。それ以上に、何かにつけ自慢話になるようで怖かった。あるいは、自分より素質のある学生に嫉妬するんじゃないかとも思った。
だから、今もって講師にならなくてよかったと思います。また、講義に割いたはずの時間をライター稼業に費やしてよかったと思っています。それが学歴による結果だったとしても、僕にできることはどこかの誰かがいつも見ているんだと悟ることができる。なので、もうじくじく思い出す必要がないから、これで一件落着とします。

クールなバッヂ。

戦時中の体験談を聞くのと同じように

いつもの立ち飲み屋。扉を開けた瞬間、顔見知りから「うってつけの先生が来た」と歓迎されました。21歳の女子大生バイトに向けて、昭和の部活の実態を話していたらしいんです。運動中の水分補給禁止とか連帯責任と称された体罰とか、「そんなの普通。ほぼ軍隊だった」と会話にすぐに入れる点で、ミド昭和生まれの僕は、確かに適任講師だったかもしれません。
でもなあ、そういう飲み屋でありがちな話題ってどうなんでしょうね。令和の学生にしたら、その手の昭和エピソードはびっくり日本昔噺みたいに聞こえるだろうし、いちいち驚いてあげるのも面倒臭いって思っているんじゃないかな。話すほうにしても、現代とのギャップを自慢しているようで、時々胸が痛くなります。
けれど、実体験を伴った時代や社会の違いを聞き合う場面というのも、実は限定的です。会社などで年若に話せば、「それを強要する気ですか?」とハラスメントまがいで訴えられるかもしれない。となれば、飲み屋で若い子に「昔はさぁ」と管巻くくらいは、せめてものご愛敬なんでしょうかね。
ただ、常に気になるのは、話を聞いた若い子たちの感想です。
圧倒的な影響力を持っている日付があります。9.11はその筆頭。「アメリカ同時多発テロ事件」が起きた2001年のその日、自分がどこにいて何をしていたかは前に書いたので、今回は触れません。いずれにせよ現場とは14時間も時差がある日本にいた僕は、事態の展開をただただ見守るしかなかった。そのときの、世界の終わりを感じさせるような不穏に怯えた気持ちは、あれから23年経っても忘れることができません。
そうした感覚は、それ以降に生まれた人たちには体感として伝わらないと思います。たとえば、昭和生まれとは言え戦争を知らない僕ら世代が、高齢者に戦時中の体験談を聞くのと同じように。けれど過去からしか学べないとしたら、昔話を粗末にはできない。たとえリアルに体感できなくても。
そんなふうに思う若者はきっといますよね。であれば、そんな若者に聞かれても困らないよう、個人的な昔話を整理しておいたほうがいいと、そういう世代になったんだと思ったりしました。ギャップ自慢もおもしろくはあるんですけどね。

名もなき路傍の花。いや、たぶん、ヤマハギ?

 

愛着の行き場

終わりを告げるメールでした。いや、仕事関連です。修正依頼に応じた原稿を提出した後、
今回を持ってコンテンツが終了する旨を綴ったメールが届きました。長文だったのは、事情を正しく伝えたからなのでしょう。10年以上続いたものの、クライアントの判断により他のコンテンツを含む全サイトの打ち切りが決定。「内容が悪いわけではなく(中身は絶賛されてきた)」という一文に、メールを送った担当者のささやかな意地が滲んでいて、なんだか切なくなりました。
そのコンテンツを企画したのが、大元のクライアントなのかグループ会社かはわかりませんが、おそらく複数の代理店等を経由し、僕が依頼を受けたウェブ制作会社に企画実行案件がたどり着き、件の担当者が人材選定を含む編集責任を負ったと推測します。
ふと思ったのは、そんな流れの中で、今回の件に関してどれだけの人が心を痛めたんだろう、ということでした。継続していた一つの仕事がなくなれば、売り上げ的には誰もが手痛いに違いありません。けれど金銭面だけなら、他の手段でも穴埋めは可能です。
問題は、仕事がなくなったあとの愛着の行き場ではないでしょうか。もっとおもしろくするためにはどうするべきか。その点は、企画実行の流れの下流にいる現場レベルの人間たちほど、試行錯誤の度合いが高まると思うんですね。そしてまた、あれこれ悩みながら長期に渡って上流へと仕事を送り届けた彼らほど、執着と背中合わせの愛着が深まっていく。それは、さらに下流の浅瀬でバタバタ泳ぐ位置にいる今の僕にはよくわかります。
いや、末端の現場レベルだけが心を痛めていると主張するつもりはありません。少なくとも僕は彼らの心痛が理解できるというだけの話です。仕事においては、上流が水を止めただけのよくある類なのだけど、行き場を失った仕事への愛着はなかなか弔われないなあと、そんなことも思いました。
「そのような経緯なので、トナオさんの記事がこのコンテンツの大トリになりました」
本件を取り上げたのは、終わりを告げるメールに記されていたこの一文のせいです。偶然だろうけれど、僕で終わるなんて複雑な気分です。下流にいると、いろんなものが流れ着くみたい。

まだ夏の雲だな。

救急車

東京消防庁のサイトによると、「救急業務及び救急医療に対する国民の正しい理解と認識を深め、救急医療関係者の意識の高揚を図ることを目的」に、毎年9月9日を「救急の日」に定めたそうです。それに合わせたわけではないけれど、先週こんな場面に遭遇しました。
日没あたり近所まで買い物に行く途中で、異様な雰囲気を発している人の群れ。歩く速さを変えないまま近づいたら、一人の女性が歩道にうずくまり、それを囲むように子供連れ自転車の主婦や複数の若者や中年男性が立っていました。
相応の人数がいたので、通り過ぎてもいいかなと。ただ、気を利かせた若者たちが脇を通るクルマを誘導するも、少しでも早く女性を安全な場所に動かしたほうがいいと気になって、やっぱり足を止めました。家を出る前に母親と電話していたのも、放っておけなかった理由です。
見た感じ70代の女性が単独で転び、アゴを切って出血。目撃した中年男性がすぐに救急車を呼んだそうです。頭を打った様子はないらしいので、女性に声をかけて抱え上げ、交通に支障のない場所へ移動。何だか後から来て仕切ったみたいになったけれど、最善策だったと思います。
そばにベンチなどがなく、地面に座りますかとたずねたら、頼りない声で「腰にボルトが入っているので立ったままで」。そうしてサイレンの音が聞こえるまでの、たぶん15分ほど、救急車を呼んだ男性とともに両脇を抱えて女性を支えていました。
震えておられました。一人暮らしなのだと聞いて、こっちの胸も震えました。落ち着いてきたら、このままタクシーで家に帰りたいと言うのです。しかし傷の程度はわからないし、一人暮らしならなおさらちゃんと診てもらったほうがいいと諭しました。僕の母親がどこかで倒れたら、見知らぬ誰かも同じことを言ってくれるんじゃないかと思って。
おそらくあの女性は軽傷で済んだんじゃないでしょうか。しかし最近は、入院の必要がない軽症で要請される救急出動が問題になっています。特にタクシー代わりで使うような意識の低さが。
翻って僕が遭遇した場面で救急車を呼ぶ必要がなかったかというと、それは違うと思うんです。転倒した本人を含み、高齢者の怪我を見過ごせなかったあの場にいた皆が安心するには、救急車の到着が約束される以外に術はなかったから。そんなふうに感じたのですが、適切な対処だったでしょうか。

予想通り、眼下の新築工事現場に覆いがかかり始めました。

 

できれば頭が悪いヤツと思われたくない

およそ昨日の続きですが、僕に人様から認めていただける学歴がないのは、ひとえに学校の勉強に興味が持てなかったからに他なりません。だから学力が育たなかった。
じゃ、何にも興味が持てなかったかというと、そうではなくて、これといったものが見つかれば、ひたすら集中できるところがあるのです。その集中できる矛先が、学生時代は勉強ではなかった。
そんな性分というか特性を自覚したのは中学生になってから。そして自覚と同時に、複数の教科に興味も持って集中できるはずはないという諦めも生まれました。そんなものが自分の中に芽生えてしまったら、覆すのは容易じゃありません。そうして僕は、他の大勢が頑張った面倒や苦しみから逃げ、勉強ができない者になっていったのです。
となれば、社会全般が求める学歴を持てないのは必然。なので、履歴に関する見方の偏りを差別だなんて思いませんでした。何よりも、そう見られる10代を過ごしたのは僕の責任だから。
ただ、社会人になってから僕を救ってくれたのも、自分の興味に向けた集中力だったと思うんです。もっとも大きかったのは、興味の説明がギャランティに結びつく、今に続く仕事を手繰り寄せられた幸運でした。とは言えこの世界にも、学歴というガラスの天井があるのでしょう。しかしそれは、各々のキャリアを始めるスタート位置にこそ影響を及ぼすけれど、走り出してしまえばどうでもよくなります。だから必死で駆け続ける。
不思議なもので、この仕事に就いてからの頑張りは面倒でも苦しくもなかった。もちろん、上手くいかなくて落ち込む場合もたくさんあります。けれど次こそはとすぐに立ち直れるので、そこに諦めは芽生えないんですよね。
いろいろもっともらしいことを言っていますが、この仕事の継続以前に生きていく上で、できれば頭が悪いヤツと思われたくないという、ある種の自己防衛本能みたいなものが働きます。おそらく、学生時代に経験した、学びに向けた興味を失う怖さが、逃げがちな僕をその場に留めようとするのでしょう。それでも、集中力を発揮できる興味の幅は相変わらず狭いままだけど。
こんな話、僕は誰に聞いてほしくて喋っているんだろうか。

せっつく興味は、こんな本を買わせます。

学歴という条件ないしは

やっぱりそうなんだね、という話です。これもまた、偶然目にした記事が出発点でした。
「学歴差別と取られかねない発言で不信任決議案が提出される」
こういう話題は、事実の断片を切り貼りして伝えられるケースがあるので、注意深く扱わなければいけません。ひとまず、経緯はこんな感じみたいです。
議会で懸案になっているらしい工場誘致に関して意見を求められた某市長は、「工場は高校を卒業したレベルの皆さんが働く」「頭のいい方だけが来るわけではない」と発言。これを聞いた議員が即座に「差別だ」「撤回しろ」と詰め寄ったそうな。親切にもネット上にアップされている議会の音声データを聞いたのですが、個人的な感想としては、「差別だ」という言葉が飛び出た瞬間に差別が生まれたと感じました。
然るべき立場の人の失言は後を絶たず、「そういうつもりではなかった」と釈明するのも毎度のこと。けれど「つもり」で話す危険性について、もっと真剣に考えたほうがいいですよね。それから、発言には当人の規定値が滲み出るものだから、件の某市長が学歴やレベルを気にしている可能性は否定できないかもしれません。
このニュースの文脈を自分に当てはめると、高卒の僕は被差別者に該当するのでしょう。差別、ねぇ。20代の頃は、大卒じゃなかったことを揶揄されたりしました。フリーランサーになった40代の初めでも、気持ち悪いくらい話が進んだ専門学校の講師の依頼が、履歴書を提出した途端に消えたこともあったなあ。
思い出せば腹立たしい仕打ちもあったけれど、僕はそれ、条件と受け止めました。理解できるのです。人材を求める側にすれば、実際に働いくまで人柄やパフォーマンスはわからないにせよ、一定の学歴を有することで安心できますからね。
ただ、既存の価値にとらわれない働き方が推奨されるようになった現在でも、学歴という条件ないしは差別が存在している事実を知って、小さな溜息混じりで「やっぱりそうなのね」と思っただけです。大人になって社会を泳ぎ続ければ、僕ですら受け入れてくる条件があちこち浮いているのにね。

まだ来るね。

 

妹の日

毎日何かしらの記念日ですが、歴史的に文化的に、よほど特別でない限り注目されないケースが多いような気もします。それでも意味と意義のため制定を実現させる方々はいて、そんな人々のおかげで毎日何かを書かんと躍起になる僕は、わりと頻繁に救われることになります。改めて感謝を申し上げます。
そんなわけで今日は「妹の日」。制定したのは、30年ほど前に亡くなられた漫画家・著述家の畑田国男さん。この方は、兄弟や姉妹による性格分類等の研究もされていました。それもあって率先して、兄は6月。弟は3月。姉は12月。妹が9月の、いずれも6日が各々の「日」と決めたそうです。兄弟姉妹にはそれぞれ象徴的な星座があり、各期間の中間日に当たるのが6日なので、以上のような結果になったと。
本日の「妹の日」は、妹の可憐さを象徴するのが乙女座という理由らしいです。だから9月の6日。もうすぐ誕生日の僕が姉妹の年下女子だったら、まさしく象徴的な可憐さをたたえた妹になれたかもしれない。いやいや、いくら妄想でもそっち方向には行き難いですよね。想像するとしたら、「もし自分に妹がいたら」が妥当でしょう。
実のところ、二人兄弟の長男である僕は、「妹がいたら」について何度か考えてみたことがあります。とは言え結局は想像の域から出ないので、「可愛い妹がいたら」などという、兄というより男性としての、些末で傲慢なイメージしか浮かばないんですけれど。
ただ、友人知人の観察からそれなりの確証を得ているのは、異性が混ざった“きょうだい”の中で育つと、異性に対する遠慮が少ないんじゃないかということ。それは恋愛観にも影響を与えると思います。
“男きょうだい”の僕の場合で言えば、若い女性の生態を知らずに育っているので、女性に対して勝手な理想を抱きがちなところがあるわけです。正確に言えば、理想というより「そんなはずはない」といった固定観念でしょうか。これに関しては、やがて方々から「そんなはずなのよ」と諭されることになります。
いやまぁ、弟にもあれこれ学ばせてもらったけれど、妹だったらまったく別の学びがあっただろうし、その期待は今生では叶わないなあと少し残念に思うのが、要するに僕にとっての「妹の日」になります。いかがでしょうか、畑田先生。

妙に惹かれてまとめ買い。特製オイルの罠だな。

耳にパンツを

何の前触れもなく身体的特徴を指摘されて、最初に感じたのは羞恥でした。部位によるのかもしれませんが。
「耳、デカくないですか?」
発言の主は、数年の付き合いがある20代後半の制作会社の女性。あるイベント取材の合間でした。その瞬間まで堅めの話をしていたんです。イベント自体の開催経緯と今後。はたまた業界の景気動向など。そんな会話の中身に沿った真面目な表情を浮かべていた彼女が、ふと顔色を変えないまま視線だけ逸らせ、明瞭な声で件の言葉を発したのです。
目に飛び込んだものをすぐに言語化できるのが女性脳の特性と聞いたことがあります。だから彼女は注意散漫ではなく、自分の脳に従った言動を見せただけなのでしょう。しかし突然「耳、デカ」と言われた僕は、訳もわからず恥ずかしくなりました。たぶんとっさに手で耳を隠したんじゃないかな。
自分の耳が大きいなんて、生まれてから今日まで一度も思ったことがありませんでした。それが羞恥の源なのでしょう。辱められた気持ちになったので、反撃のつもりで「じゃ、自分の耳を見せてみろ」と彼女に言ってみたら、やっぱり恥ずかしそうだったんですよね。これはギリアウトのセクハラなんだろうな。
いずれにしても、何気ない彼女の発言が気になって仕方なくなりました。そこで調査。僕が出くわした資料によると、日本人の成人男性の平均的な耳は、タテ幅6.31cm/ヨコ幅3.2cm。同じく女性のそれは5.91cm/2.99cm。数値がわかれば測ってみたくなりますよね。僕の耳は次の通りでした。8㎝/4㎝。まさか平均値越えとは? 彼女が目を奪われるのもやむを得ないほど、僕の耳はデカいみたいです。
別の資料によると、眉間から鼻の頭の長さより耳のタテ幅が長いと、大きな耳となるそうな。これも測ってみたら、眉間から鼻の頭までが7㎝だったので、やっぱりそういうことらしい。
この類を検索すると、大きさや形状による性格判断がたくさん出てきます。それよりも僕の耳目を集めたのは、「加齢で軟骨が薄くなると皮膚を支える力が弱まり、結果的に耳が大きくなる」という一文でした。耳の平均サイズのデータでも、男女問わず高齢になるとタテ幅で0.5~0.7㎝。ヨコ幅で0.1~0.2㎝ほど大きくなる(垂れ下がる?)事実が示されていました。
うわうわ、またしてもオチが加齢ですよ。生まれて初めて耳が大きいと指摘されたのは、僕が歳を喰ったからなのかな。そんなこと、知りたくもなかった。
「この仕事には向いているんじゃないですか? 耳が大きければいろいろ聞けるから」
これも彼女の、やはり悪意も責任もないセリフ。そうなのだろうか。加齢を軸に考えると、低下する聴力を補うために耳が大きくなるような気もしてくる。まぁ、でも、なぜかとても恥ずかしかったです。すぐさま耳にパンツを履かせたくなるほどに。

朝から溶接バチバチ。腰が辛そうだな。

労働の正解は

やっぱりそうなのか、という話です。少し前、こんな記事を目にしました。
「世界的な企業のCEOはみな同じことを言っている」
ニュースの発端は、エリック・シュミットさんというGoogleの元CEOの発言。彼は古巣の現状を、リモートワーク等の活用を始めとするワークライフバランスの推進によって、主にAI開発でスタートアップに負けていると指摘したらしいんですね。
アメリカの事情はよくわからないけれど、現在の日本で経済界の有名人がそんな発言をしたら炎上必至でしょう。シュミットさんもまた相応のバッシングがあったようで、主張はすぐに撤回されたそうです。
しかし記事では、シュミットさんに対して一方的な非難を浴びせず、これまでにも彼と同じような考えを口にしたCEOがたくさんいた事実を紹介しました。ゆえに記事の文脈は、こういうことになるのでしょう。どうやら経営者の多くは、リモートワークの効果とワークライフバランスの尊重に疑念を抱いているらしい……。
この記事、経営者と従業員では感想が違ってくるのでしょう。どんな場所でも、立場の違いは相容れ難いものですから。
僕の率直な感想は、「やっぱり頑張らないと勝てない」でした。もちろん、過酷過ぎる労働環境から逃れられない人に向けて、もっと頑張れとは言えません。そうではなく、あくまで個人の基本論として、人並み以上の成果を出して認められ、それに応じた立場と収入を得たいなら、人並み以上に働かなければならないと思うだけです。その人並み以上が、たとえしんどくても張り合いになり、やがて楽しみに育ったらいい。そう感じ取れるようになるにも運や縁も関わってくるから、頑張れの一言で済まないのは承知しているけれど。
おそらく労働の正解は、有名なCEOにもわからないんじゃないでしょうか。当然僕にも不明です。ただ、誰かの役に立つというか、誰かに褒められると働いてよかったと思えるのは、昔も今も変わりません。

可愛らしかったけれど、全色揃えてこそと思って、買うのをためらった。

 

忘れ物の罪

罪というのは、自ら犯して初めて、その深さや重さを知るのだと思い知らされました。
仕事ノートの現場置き忘れ。僕は通常の取材で、大小2冊のノートを持ち込みます。B5サイズの大ノートは聞いた話のメモ用。相当に書き殴るので、自分で書いた文字が解読不明になる場合もありますが、時に秘匿情報が記してあったり、何より原稿の源泉になる言葉だらけなので、社会的信用の見地からも極めて重要度が高いものです。
一方のA5サイズ小ノートには、取材対象のプロフィールや質問事項を書き留めておく資料的役割を課しています。そこに記された情報は、およそ誰でも調べ得るものなので、仮に紛失しても機密保持契約には反しないはず。
だからぞんざいに扱っていいのかと言えば、そんなことはありません。管理の不手際は、僕の忘れ物に気づいてくれた方に多大な迷惑をかけます。
何を大袈裟に語っているかというと、小ノートには仕事関連以外のメモも少なからず残っているから。知人などから電話で聞いた話の断片や、ここで何かを書くためのヒントになる単語。あるいは、晩飯のレシピ。あとは……。小ノートは読み返す機会が少ないので、自分でも何を書いたかよく覚えていません。いずれにしても、サイズの手軽さから生活に関する事柄までメモしているのは間違いない事実なのです。
「ノート、忘れていませんか?」
連絡をくれたのは、その日の現場担当者。親切にもすぐに送るとおっしゃっていただいたお言葉に甘えました。中身までは目を通さなかったと思います。そこに疑念はありません。ただ、表紙に自分の名前を書いているわけではないので、持ち主を確かめるくらいにはページを開きますよね。街中で財布を拾ったときと同じように。
それは、かなり気まずい行為に違いありません。まともな感覚なら、個人の秘密や奇妙な趣味などを知ってしまった後味の悪さなど経験したくないし。にもかかわらず、持ち主に返そうとする使命感のもと、できれば避けたい確認作業を実行させてしまうのが忘れ物の罪です。相手の精神的負担を考えたら重罪かもしれない。本当に申し訳ありませんでした。
善意に包まれた小ノートが戻ってきました。すぐにお礼のメールを送ったのは言うまでもありません。そうして小ノートを見返したら、確定申告の経費計算のメモがあったりして、そんなもの仕事ノートに書くべきじゃないと、改めて罪の重さを大反省しました。見つかってよかったのは自分の都合。それじゃ済まないこと、肝に銘じます。

台風が熱帯低気圧に変わった日の夕景。