節目

今年が始まって90日目。というより、多くのところでは今日が年度末。1年12カ月の暦に合わせたら、大晦日ってことなのでしょうか。なら、もはやじたばたせず、ゆっくり過ごされるのかしら。違う? 最後までバタバタしている?
すみません、呑気なことを言って。年度末や新年度という世間一般の節目との関わりを断ってずいぶん経つので、この時期の気配というか、想像するにかなり慌ただしい気分をすっかり忘れております。学校に通う子供がいたら違うんだろうな。
そんなこんなで節目のない生活を送っていますが、たとえば今日3月31日を機に、それでいいのだろうかと考えてみたりするわけです。近似値の代用品はありますね。原稿の締め切りは、仕事1本あたりの節目と言っていいかもしれません。けれどそれは、連載企画以外はランダムにやって来るので、節目というよりゴールに近いものです。じゃ、違うか。経済的決算の節目であれば、確定申告がそれに相当するのでしょうか。ふむ、不謹慎のそしりを受けるやもしれませんが、それも僕にとってはゴールが控えた一つの作業に過ぎず、1年分の日記を閉じるような感慨はないというのが実感です。
となれば、オレは日々をだらだらと消費しているだけなのか? 世間一般が持ち得ている節目がないことを再確認すると、そんな不安に苛まれそうになります。昔は、世間と違うことにどうでもいい誇りを感じたりしましたが、最近はそれで本当にいいのかなと、ささやかな疑問を抱いたりもします。歳を重ねて、寂しさが募ったのでしょうか。
そうね。いずれにしても年度の節目なら、今日はお別れの日でもあるから、少しくらい切なさを感じていいのかもしれない。お前の節目じゃないだろ、とか、ツッコまないでください。

近所満開。しかし桜は曇り空と同化しやすいよね。

拝啓 エリック・クラプトン様

今日は78回目の誕生日ですね。おめでとうございます。ご本人にとってはまったくもって大きなお世話でしょうが、今でもステージに立たれていること、尊敬という言葉では言い表せません。勇気をいただくというのも有体の常套句で気が引けますが、とにかく年若としては「まだまだやれるんだ」という生きる希望を勝手に授かっている次第です。
思い起こせば、私がクラプトン様――まどろっこしい呼び方なので、失礼承知でエリックさんとさせていただきますが――を意識したのは、かの有名な1992年のMTVアンプラグドでした。もちろんそれ以前から、世界三大ギタリストに挙げられるエリックさんの存在は知っていましたし、ヒット曲のほとんどは耳にしておりました。ですが、あなたが本格的なプロ活動を始められた60年代の私はまだ子供でしたし、また70年代以降の活躍に関しても、未成熟だった自分の感性では理解できずにいました。
90年代に入り、MTVアンプラグドでようやく響くようになったのは、取りも直さず自分が好きなアコースティックギターを抱えておられたからです。その当時はエリックさんのファンの間で、そのアンプラグドが一種の分水嶺になりました。要するに、それ以前と以後でファンの質が量られたのです。「アコギのクラプトンファンはにわかだ」というような感じで。とは言え、その分水嶺をまたいでからファンになったとしても31年目ですから、今さら何をか言わんや、ですけれど。
そして、件のアンプラグドから10年目の2002年。高校時代から憧れていたマーティン・ギターを40歳でついに手に入れるのですが、選んだモデルがエリックさんのシグネチャーモデルでした。これまた失礼千万な話ですが、エリックさんのファンだったから選んだわけではなかったのです。そのルックスやスペックが、当時の自分に激しくヒットした。ただそれだけなのですが、20年が経ち、いい感じでやれてきて、これを手にしてよかったと心から思っています。
4月には4年ぶりに来日されますね。こちらでは、「海外アーティスト初の武道館100回公演」という記録が謳い文句になっておりますが、エリックさんにとってはそれほど意味を感じておられないでしょう。あるいは10年以上前、最後のワールドツアーと銘打たれた際の日本公演チケットを手にするも、仕事で行けなくなりひどく落ち込んだ後でも何度も来日され、いささか裏切られたような気持になったことも、ご本人には何も関係ありません。いずれにしても、今回の武道館もうかがいます。もはや神仏に参拝するような心持で。
それまでは、いやそれ以降も、ぜひお元気でお過ごしください。あなたの視野に入らずとも、お会いできるのを心から楽しみにしております。   敬具

20年前に買ったギター、エリックさんのサイン入りです。

桜が満開になったことも、春の甲子園が始まったことにも

断るまでもなく毎度私事ですが、忙しさ、いや人気のピークがいよいよ落ち着き始めました。この後に書く原稿を仕上げれば、ひとまず締め切りの連続から解放されます。
他の同業者がどうやっているかはわからないのですが、僕の場合、取材時には手書きのメモを取ります。それを見返しながら赤ペンで要点をまとめて、書くべき内容を整理してからPCに向かいます。そして当然のことながら、取材が増えればそのメモが溜まっていき、見返す時間が取れないまま手つかず状態となる、いわば仕事の残高が嵩んでいきます。
それだけ仕事をいただけるのは有難いことです。下世話なことを言えば、仕事の残高はやがて預金の残高に代わりますから、多ければ多いほどいいに決まっています。
ただ、極めて贅沢な話をさせてもらえば、仕事の残高は精神的なプレッシャーも膨張させていきます。そういうものを抑え込んでこそプロフェッショナルという自覚はあるものの、締め切りに追われるまま次から次にやっつけていくような雑さに侵食されないか、今度はそれが気になり出します。力量はさておき、雑な仕上がりは避けなければなりません。何より目の前の1本の原稿は、次回の依頼につながりますから。
では、どうやって乗り越えていくか。綿密なスケジュールを立て、ひたすら1本に集中していく。分業が叶わない仕事ですから、そのパターンをひたすら続けていく他にありません。そういうとき、僕は自分に向けてこう問いかけます。果てしなく暇だった頃を思い出せと。よほど不安だったんでしょうね。この問いかけは呪文のようによく効きます。
そんなふうな日々を過ごしていると、瞬く間に月日は過ぎ去り、桜が満開になったことも、春の甲子園が始まったことにも気づけなくなります。それはだいぶ残念だなあと。いや、違うな。それでもどうにかして余裕を捻出できる精神的タフさが、僕にはまだ足りないのかもしれない。
昨日の午後の雨上がり。ふとベランダから空をのぞいたら虹がかかっていました。数分で消えてしまう小さな奇跡を発見できたことがうれしかったです。部屋からではなく散歩中だったらもっとうれしかっただろうとか、そういうことは言わないでおきます。

こちら、正直者には見えるという昨日の午後の虹。だいぶ低いところで弧を描いていた。

自らパンツを下ろしていく

これは、一つの節目を機会にお話を聞いたある社長さんの、原稿からこぼれたエピソードです。その方は、決まりきった会食パターンを繰り返すお付き合いのオッサンたちより、自分の会社の若い社員とご飯を食べに行きたいんだそうです。それほどまでに社員が好きなのは、彼らなくして会社全体の成長はないから。
「今の子にはけっこう熱いところがあるし、60歳を超えた自分でも共鳴できるものをたくさん持っているんですよ。たとえば最近の歌がそれを象徴していて、意外にもわかりやすい歌詞で感情に訴えかけてくるものが支持されるじゃないですか」
このコメントを掘り下げる時間がなく、それ以上詳しく聞けなかったのが原稿から落とさざるを得なかった理由なのですが、後にあれこれ考えてみて、そこにはその方の特徴、ひいてはリーダーとしての姿勢が表れていると思ったのです。
まず、単なる若者への迎合ではないこと。何より社長は経営の責任を負いますから、会社の未来にとっていくら若者たちが大事とは言え、彼らの好きにさせておくばかりでは早晩立ち行かなくなります。その点は了解した上で、件の社長さんは胸襟を開くというより、自らパンツを下ろすくらいの勢いで、皆の感覚を取り入れようとしているのではないでしょうか。
重要な点は、その行為がわざわざ上座から降りていってやるというような、偉ぶりや大仰さを感じさせないことではないでしょうか。それはたぶん、高いところにいてふんぞり返るとまでは言わずとも、下々の社員まで気を遣わないのが既存の社長像だとしたら、その方の存在感は“社長らしく”ないんでしょうね。そんな“らしさ”を持たずとも、誰にとっても幸福な成功を手繰り寄せられるなら、それは一つのサクセスストーリーとして世間の手本になるかもしれません。
リーダー論に関する書物はこの世にたくさん出回っていて、そこからリーダーのあるべき姿を学ぼうとされる方は少なくないかもしれません。けれどきっと、頭で理解するより体で覚える知識のほうが大事で、あるいは本を読むより体で何か学ぶために時間を割いたほうがいいのかもしれません。となれば優れたリーダーは、個別の境遇や経験によって育つ他になく、ある意味で残酷な結末ですが、結局は個々の人間性だろうと、そんなふうに思います。
そしてまた、会社員でも、ましてや社長でもない僕が共鳴できたのは、年上こそが自らパンツを下ろしていく姿勢でした。こっちが年長っぽい態度でいると、年若から近づいてきてはくれませんからね。それはかなり寂しいことなんです。

電車1本の重みを思い知らされる。

一粒万倍日とか

古い暦に刻まれているという特別な日。そのひとつが、一粒万倍日。語源は素敵です。一粒の種籾から何万粒ものお米が獲れることから、大きな飛躍を意味しているそうな。そんな日が、今年は留意しようと決めた二十四節気の節目に訪れるとなれば、僕も気にしたほうがいいのかなあと思ったわけです。
ちなみに、直近の一粒万倍日は明日の3月28日。なぜ1日前にお知らせしたかというと、あれこれ準備しやすいと考えたからです。この類のラッキー特異日は何かと金運とつながっていて、新しい財布を買ったり使い始めたり、あるいは宝くじを買うのによいとされておりますね。
ただ、一粒万倍日は1年に60日くらいあるのです。誰がラッキーを振り分けてくれるのか知らないけれど、なかなかに太っ腹ですよね。「いや、一粒万倍日に天赦日が重なると最強なのよ」とおっしゃる方もいるでしょう。こちらは天が万物の罪を許す(赦す)日だそうで、年に数日しかなく、今年の一粒万倍日+天赦日はわずか3日。直近では6月4日にやってきます。
「いやいや、さらに寅の日や大安が重なったら無敵よ」と胸を張る方がいらっしゃるかもしれません。そうなると、指を折って点数を数える麻雀みたいだよなあと少し呆れつつ、これまた金運上昇を暗喩する虎の日を調べてみました。自分の干支でもあるし。そうしたら今年の誕生日に重なっていました。これは忘れないな。街角で万札がぎっしり詰まったスーツケースにつまづくかもしれない。
さて、どうでしょう。昨日のここで思ったようにはならない件に触れましたが、一粒万倍日とか天赦日とか虎の日だからと思ってしまえば、勝手な期待に失望する結果に陥るのかもしれませんよね。そもそも暦を基準に日本国民全員に運を振り分けたら、一人当たりのそれはとっても小さいんじゃないか。だから、存外・望外の幸運は、特に何も思わなかったときにこそ降ってくるのだと謙虚に構えているのが得策かなと。
いやいやいや、もう無理ね。自分の誕生日と寅の日が重なっていることを知ってしまったし、皆さんにも明日が一粒万倍日と伝えてしまったから。強欲が鎮まる気がします?

職人の背中は雄弁である。

思うようにはならないよな

思うようにいかないことはたくさんあります。たとえば仕事の本数が増えてくると、それは加速度的に増していくような気がしますよね。
ということはですよ。仕事の中には初めから、思うようにいかない成分なり物質みたいなものが含まれていると考えたほうがいいのかもしれません。ならば仕方ないとあきらめるのか?
それが悔しいのは、となりの誰かは思うようにいっていたりするからです。あるいは自分の過去の成功体験も、こんなはずではないと執着する気持ちを助長するのでしょう。
そこでまた振り出しに戻って、思うようにいかない理由に頭を巡らせてみると、およそたいがいの場合、仕事を進めていく人間同士の関係に立ち返ることになります。なぜあの人はこう動いてくれないのだろう、とかね。
そんなふうに相手に不信感を抱くとき、方々の指南書では、まず自分自身にできる最善を尽くせと諭してきます。でも、他者に責任転嫁しないなんて理屈はよくわかっていて、どんなにベストを尽くしても望んだ結果にたどり着けないケースは散々経験してきました。その繰り返しによって、ひとり大きな溜息をつきながらも様々な事柄を飲み込む器用な気持ちの切り替え方も覚えました。
だから思うようにいくことなんてないと自らをいさめつつも、次の機会ではまた誰かに期待してしまうのは、人は人をあきらめきれないからだろうと、そんなふうに思います。どうですか?
一方、人以外の理由でうまくいかないときは、意外にすんなり割り切れたりします。それがこの週末の天気。部屋に籠ってばかりで、久しぶりに街に出たら桜の見事なこと。土日にお花見を計画されていた方も多かったでしょう。僕は、昨日の土曜日が今月最初の野球でした。雨が降ると河川敷のグラウンドは使えなくなります。WBC直後だっただけにひどく残念だけど、自然相手なら思うようにはならないよなと、今日もっともお伝えしたかったのはそれでした。

ものづくりの街として有名な燕三条。実は燕市と三条市に分かれているってご存じでした?

時空を超えた種蒔き

ジブリ作品を1本も観たことがない人がいるように、WBCに関してまったく関心が及ばない日本国民もいるでしょう。そんな方々に「人生、損しているよ」と揶揄するような視線を向けてはいけませんね。いいんです、興味を持った者だけが得を感じれば。
そんなこんなで、おそらく今週いっぱいはあちこちでWBCの余韻が続くと思います。試合中には知り得なかった情報も入ってきていますから、あ~だこ~だと語りたい気持ちを刺激してもくれます。
僕にしても、結局のところはこうして何かを書こうとしているわけですが、もっともおっかないと思ったのは、優勝のインパクトでした。秘話や裏話の類が届いていますよね。もちろんそれは、試合を見届けた人にとって待望のトピックスなのだけど、もし優勝していなかったらすべては言い訳に聞こえてしまうのではないか。あるいは美談になり得る話題自体が封印されたままになるのではないか。だから、「勝ったからこそ言える」というのは、とてつもなく重大な条件なんだなあと。
それから、優勝の余韻はこの数日内で自然と消えるとしても、選手たちの大活躍に触れた子供たちの記憶は一生ものになるかもしれないということ。現に今回の日本代表メンバーの中には、2006年または2009年の日本優勝に刺激され、いつかはWBCに出たいと願ったかつての野球少年がたくさんいたらしいじゃないですか。それもまた優勝という偉業でないと、そこまでのインパクトは与えられなかったのではないかと。
時空を超えた種蒔きなのだろうと思いました。おそらくWBCに参加したどの国のチームも、未来ある子供たちに何かしらの好影響を及ぼしたはずですが、今回の日本ほど発芽確率の高い種蒔きはなかったかもしれません。
決して簡単ではないけれど、一番になるって大事ですね。そういうの全部を他人事にしていました。だって、まず邪気だらけですから。何しろ今からメジャーリーガーになれるはずもなく、抱ける夢にしてもコンパクトにならざるを得ません。この歳でも、何かに素直に憧れてもいいんでしょうかね。

名もなき路線より。

 

狸親父の未来図

今の暦で言えば1603年3月24日。当時の暦なら慶長八年二月十二日。徳川家康が朝廷から征夷大将軍に任命されました。これを江戸時代の始まりとするそうです。家康が61歳のときでした。今の僕とほぼ同い年とはね。
大河ドラマでも家康をやっていますが、先日放送分の時間軸は1560年代半ばのようで、征夷大将軍になるまでまだ40年ほどあり、なおかつ羽柴秀吉と対峙する長久手の戦いですら20年近く先なんですよね。75歳まで生きた人なので、その生涯を年末の最終回までに描き切れるのか、勝手に心配しております。
さておき、家康が江戸に入ったのは1590年。一度は弓を引きながらも家臣となった秀吉の命でした。当時は湿地だらけだったらしいんですね。すでに都市として整っていた鎌倉や小田原に入ることも選べたのに、名もなき荒野に居を構えると決めたのは、広大な平地にインフラ整備の可能性を感じたからだといいます。
そのあたりは『ブラタモリ』が詳しかったのですが、ひとつ大きな都市計画を挙げれば、利根川の付け替え工事は壮大でした。その頃の利根川は江戸湾に直接流れ込んでいて、度重なる洪水の原因となっていたんだそうです。その河口を銚子に変更。言葉にすれば簡単ですが、あの国内最大規模の一級河川の流れを変えるなんて、思いつくだけでクレイジーです。しかし家康は、1594年にこの大事業に着手し、死後の完成に期待しました。実際に30年かかったそうです。
そうした将来に向けたいくつもの取り組みによって、何もなかった土地は世界有数の大都市に発展し、後の日本史で江戸と呼ばれる時代を構築したわけです。家康としてはどうなんだろう。徳川時代のほうが納得するのかな。
本日、何に感心しているかというと、僕が今暮らしている東京は、狸親父のあだ名を持つ人が描いた未来図なんだな、です。かつて湿地帯だった場所に今日みたいな雨が降れば、なおさらじめじめしたのかと思うと、何だかしみじみとした心持ちになります。

塀の角に桜の木があった家。何が起きたんだろう。

マスクであれ新幹線であれ

マスク着用が個人の判断に委ねられて10日間ほど経ちましたが、皆さんの周囲はいかがですか。僕は外出に際して、まずランニングではほぼつけなくなりました。買い物に行くときの自転車も同様ですが、マスクをあごの下にずらして、「安心してください。ありますよ」というセコいスタイルです。店ではマスク着用者が多いという予想の下の対応ですけれど。
ちょっとおもしろいと思ったのは、装着率が相変わらず高いままながら、スーパーマーケットでマスクをしていない人のほとんどが女性であることです。お化粧に関してマスクを外せない女性が多いと聞いていたけれど、そのあたりどうなんでしょうね。
近所以外だと、電車でもマスク着用率は変わっていないみたいです。とは言え、この10日間で公共交通機関を利用したのは月曜日だけで、なおかつ行きは空いている早朝だったから、正しい傾向を測れるものではありませんね。そもそも僕は一般的な生活様式の外で暮らしているので、マスクに関して語れる権利はなかったのかもしれない。
そこで話題を切り替えます。月曜日は上越新幹線で新潟へ。用意された車両が「TRAIN DESK」でした。サブタイトルが「ワーク&スタディ優先車両」。だからと言って特別な仕様が施されているわけではないのだけど、移動時間を仕事や勉強のために使いたい人に向けたサービスみたいです。チケットを手配してくれた人に、「それに乗って居眠りしたら先生に怒られるのかな」と言ったら、キョトンとされました。すみません。
という「TRAIN DESK」なれど、同じ車両の別の席に座ったフォトグラファーの周囲は、スキー客と思しき若者たちがいて、終始喋っていたそうです。先生も叱りにこなかったらしく、少なくとも彼らにはJRの意図が届いていなかったみたいですね。マスクであれ新幹線であれ、気遣いは大事だなと、まぁ、そういう話です。
国内感染者の日報、最近はあまり目にしませんが、どこかで誰かが調べてはいるのでしょう。芳しいから伝えなくてもいいやとなればうれしいです。あと、WBCには触れません。気遣いや常識を超越した結果に、僕が語れることはなさそうですから。

こういう案内がシート裏にあるなら、乗るまで知らない人が多いってことかな?

結果より動機

気がついたら立ち上がり、万歳をしていました。すみません、WBCの話です。いやしかし、あんなによろこぶ自分が可笑しかった。それはきっと、こうなってほしい展開を信じられた結果だと思うんですよね。
皆さんが昨日の試合を見た前提で話しますが、こんなことを感じませんでしたか? 先に点を取り、さらに追加点を挙げながらも、メキシコチームはどこかおびえていた。点差で勝敗を決める競技はまず間違いなく、先取点を奪ったほうが有利です。その先の展開上も、あるいは精神的にも。
そういうアドバンテージを有利に使えなかったというより、アドバンテージ自体が負担になっていたのかもしれない。それは紛れもなく、突き放しても食らいついてくる、追う者の気迫に押されたせいだと思います。だからメキシコチームの選手たちの立場になってみれば、「なぜ自分たちは負けたのか」ではなく、「なぜ負けなくちゃいけなかったのか」という、まさに悪夢という他にない状況を強いられたのではないかと。そのあたり、ロジカルな分析はできないんでしょうね。数字が示す実力で劣っていたわけでもないから。
似たようなことは、僕らの日常でも起こり得ます。単純に言えば、精神的に気圧されるような状況です。そんなときでも大事なのは、現状の把握かもしれません。いかなる場面でも油断や楽観視は禁物かもしれませんが、勝っているなら自信を持ったほうがいい。自分たちは今、相手より強くて有利な立場にいるんだと。そしてまた相手が自分たちを上回るには、まず追いつかなければならないのだから、その間に勝ち抜く作戦を練って実行すればいい。
とは言え、勝者のメンタルを奮い立たせるのは、特に僕ら日本人は難しいと思います。そこはメキシコ人の陽気さが強気を支えるのだろうと勝手にイメージしたけれど、人間の本質的な部分に国民性や人種は関係ないのかなと、そんなことを思いました。
「すべては日本が勝った余裕から来る結果論だろ?」
そう言われてしまえばそうかもしれません。けれど昨日の試合は、最終的な結果より様々なシーンでの動機に意識を向かせてもらえた点で、とても素晴らしかったです。ま、日本が勝利していなかったら、まったく別の内容を書くことになったでしょうが。さておき、これを読んでもらった頃には決勝戦が終わってるんだろうあ。

どんな場所でもきっちり役割を果たすんだなあと思って胡蝶蘭を見ていた。