よっぽどネタがないんだなと呆れられるのを承知で、今日も野球の話から。
メジャーリーグではオールスターゲームが終わりましたが、年に一度の祭典でも、あるいはシーズン中の普通のゲームでも、折に触れ親子について語られます。かつてメジャーリーガーだった父を現役メジャーリーガーの息子が試合に招いて、場合によっては始球式などで一緒にプレーするなんてケースもあります。親子の絆を尊重するのは、おそらくアメリカの家族関係の理想形なのでしょうね。
日本はどうだろう。親子ともどもプロ選手であっても、退いた親はしゃしゃり出ないのが美徳とされがちでしょうか。あるいは七光り的な周囲の見方を気にして、子供のほうが親を避けたりするのだろうか。
さておき、かつての父親が息子に望んだのはキャッチボールでした。これも今はどうなんだろう。野球よりサッカーがいいとか、あるいは家の中でゲームとかに変わっているのかな。いや、男児なら野球と決めつけること自体が時代じゃないと批判されるのかな。
それでもとにかく昔は、父子のキャッチボールはひとつの典型で、そこは男同士、フィジカルでわかり合おうじゃないかという暗黙の了解が存在していたのは事実です。
それを子供ながらに知ってはいても、僕は自分の父親とキャッチボールしませんでした。父親から誘われたことも、僕が求めたこともなかったと思います。親子関係に問題があったわけじゃないけれど、ウチはそういうものだと理解していたんじゃないでしょうか。
この件に関して、恨みや妬みはありません。ただ、件のメジャーリーガー親子の美談を耳にするたび、今でも少しだけ憧れを抱いたりします。
そうして、自分には父子のフィジカルな経験などなかったと思いながらハタと気付けば、小説家志望だった父親とは異なりつつ、僕もまた文筆業に就いている奇妙さが可笑しくなるときがあります。文章キャッチボールみたいな訓練などなかったし、「物書きになれ」や「なる」といった会話も皆無でした。ただ、若い頃の父親の苦労を知っている母親が、「なんでまた息子もヤクザな世界に……」とぼやいたのはよく覚えています。
わからないものですね。血は水より濃い的な絆が、それこそ暗黙のうちに同じ道をたどらせるのかもしれないし、逆に血筋に対して異様な反発を覚えることがあるかもしれません。いずれにしても、息子に招待された元メジャーリーガーの父親が幸せそうな表情を浮かべているのを見ると、やはりDNAの影響をよろこぶのは親のほうなんだろうと思います。
今日の話、父親と息子に終始してしまったのは、母親と娘の関係性を知らないからです。どなたかエピソードをお聞かせください。

水辺の景色は麗しいけれど、コンクリート護岸だと時に匂うのかな。









