やっぱり、歳末

自分のクルマがあるのにというケチな性格によって、普段からあまりタクシーを利用しません。ただ、この時期の飲んだ帰りに乗らざるを得なくなると、なぜか歳末の気分が高まります。それはたぶん、凍えそうな道端で空車を待つときの焦燥感とリンクするからじゃないでしょうか。
さておき、先日の午後11時過ぎに止まってくれた運転手さんとは、10分少々ながら興味深い会話ができました。
「ここから○○通りに入るルートでよろしいですか?」
地図アプリが進化したせいか、道に詳しくないタクシードライバーが増えた実感を持つ中、その人は即答でした。このあたりをご存じですかと聞き返したら、3カ月前までは川向こうの街で社用車の運転手をしていて、この界隈まで来ることがよくあったと教えてくれました。
たいがいは会社のお偉いさんが乗る社用車。その運転手からタクシードライバーに転職するキャリアがあると知れば、あれこれ聞かずにおけなくなる性分がむくむく立ち上がります。そうして口を突いて出た質問が、「社用車とタクシー、どちらがいいですか?」
「タクシーは一期一会ですからね」
この返し、実にお見事。目的地までのルートは即答だったのに、今度は含みを持たせるセリフを用意するあたり、かなりの強者に違いない。そこで僕は、一期一会という言葉を一旦飲み込んで、毎日同じ人を乗せるほうが気苦労が多いですかとたずねてみたのです。
「まぁ、いろんな方がいますから」
あるいは、いろんな方が原因で社用車の運転手をお辞めになったのかもしれない。というのは、あくまで想像の域。しかし、12月の夜の町で穏やかにクルマを走らせる人の斜め左後方には、諦観のようなものが漂っていました。
「人を大事にしない会社のトップなんて、ろくなもんじゃないですよね」
これは、あえて偏らせた僕のセリフ。返ってきたのは、聡明な響きを伴ったこんな言葉でした。
「おっしゃる通りです」
タクシーを降りた後に頭をよぎりました。あのタクシードライバーは、これまでの運転手時代とは異なる年末を過ごされるんだなあと。時節柄、酔客ばかりになるはずの一期一会に幸多からんことを、なんて祈ってみたりして。何かやっぱり、歳末ですね。

午後2時の河川敷。頭に浮かんだ言葉は、西高東低の気圧配置。

心が揺らぐ日付

日付からネタをいただくと、「今日は書くことがなかったな」と推測される方がいるようです。毎日読んでくれてありがとうございます。確かに、そういう日もある。というより、けっこう多い。でも、知らなかったことに触れるきっかけになったり、過去のトピックを現在の自分がどう感じるかを探る上で、日付に焦点を当てるのはかなり有意義だったりするのです。それに1年365日の中には、どうしたって心が揺らいでしまう日付もありますから。ふむ、言い訳にしか聞こえないかな。
1980年の12月8日はジョン・レノンが射殺された日。この件は、2021年の今日のここで書きました。「会ったこともない人の訃報を知ってあんなに驚いたのは人生で初めて」という理由のもとに。訃報を目にした状況についても、以下のように記しています。
「当時の僕は高校3年生。授業後に通っていた教習所の帰り、たぶん午後8時くらい。乗り換えの駅に到着したガラガラの始発電車の中で、床に落ちていた号外の新聞紙が目に入りました」
これを書いてから4年が経っても、あるいは18歳のあの日からまた少し遠ざかっても、その瞬間はまざまざとよみがえります。それはやはり、状況が記憶の定着を強めたからでしょう。有名な外国人ゆえ会ったことがなかったのは当然として、それほどの人物の最期を、床に落ちてくしゃっとしていた新聞紙で知ったのがあまりに衝撃的だった。そんな粗末な扱いが実在する事実は、免許取得だけを望んでいた呑気な高校3年生には受け入れ難かったんじゃないでしょうか。
記憶に尾ひれがつくのは避け難いことながら、ちょっと大げさに言えば、この世界の酷い部分を目の当たりさせられたんだと思います。それゆえ12月8日には、ある種のトラウマが刻まれているのかもしれません。
胸の奥の古傷が疼く日や、楽しい気分を思い出せる日は、世間一般の行事カレンダーとは別に、それぞれの記憶の中にあるはずです。その日が今年もやってくれば、どうしようもなく心が揺らぐ。その止めようがない揺らぎは、毎日何かを書く上で放っておけないものになる。だからと言って毎年書かれても、それこそネタなしを呆れさせてしまうので、来年はジョン・レノンの件に触れないようにします。約束はできないけれど。

三日月って、撮るとエッジが甘くなるんだよな。

本の話はなかなか難しい

原稿を書く仕事をしているせいか、本の話題を振ってくれる方がいます。たとえば「最近、何を読みましたか?」とか。この手の質問には毎度窮します。
なぜなら、文章書きに携わっている人間が必ずしも読書家ではないから。同業者の方々がどうかは知りませんが、僕は人に誇れるほどの読書をしてこなかったタイプです。なので、近所の飲食店情報をさらっと伝えるように、「これがおもしろかったですよ」と気の利いた返事ができません。
加えて、仮に最近読んだ本があったとしても、作品名を挙げるのは恥ずかしかったりもするのです。たくさんの本を読み漁っている人に、「それ?」とか首を傾げられたら、読書家の自負が持てない自負がさらに強くなるだけだし。
なので、「何を読みましたか?」系の質問を振られると、しばし口ごもってしまうんですね。そんな僕の態度は、業を煮やすのに最適な状態なのかもしれません。たずねた相手は、勿体つけたようにというか、満を持してというか、バッグの中から「実は今日、こんなの買ったんです」とまっさらの本を取り出すわけです。そこでようやく気付きます。オレの返事などどうでもよく、ただ自慢話をしたかっただけなのかと。
いやまぁ、その人が相手を選んで本の話題を振るのだとしたら、有難いことだと思わなければなりませんね。その感謝として、僕が伝えた最近の読書傾向は、本棚に収めてある本の再読でした。
2年前の引っ越し未遂で蔵書の半分を始末したものの、残り半分も一度しか読んでいない本ばかり。結局のところ僕の読書は、一度の完読で満足してしまう浅いものなのでしょう。本に限らずあらゆる作品は、繰り返し触れることで再発見があったり、深みが増すのは多くの方が体験されていると思います。ならば自分もと、ここのところは書店に行かず、自宅の本棚を物色するようになりました。現在は、いしいしんじさんの再読にハマっています。
というような僕の近況は、件の質問者にはかいつまんで話しました。詳細を好んでもらえるとは思えなかったし、あるいは実際は、彼の読書習慣を深掘りするべきだったかもしれないから。いずれにしても、妙な期待をされかねない職業柄、少なくとも僕にとって本の話はなかなか難しいです。あまり振らないでいただけると助かります。

これまたランニングコース中の、廃棄物と思っていた椅子。ラッピングが変わったのはなぜ?

 

場の支配力

今週の火曜日は、再び『立川志の太郎 落語会 ~二ツ目 最終章~』へ。10月末の会と、今回の会の2公演がセットになっていたので、志の太郎さんから「よければ」と再度誘ってもらいました。1カ月余りで延べ5時間の落語漬け。いきなり通ぶったりはしませんが、自分なりに語れる程度の経験は蓄積できたみたいです。
ぐんと感じ入ったのは、場の支配力でした。落語は、高座の上に敷かれた座布団の上で、一人の演者が物語を話して聞かせる芸。これって、極めて恐ろしい状態だと思うのです。5分程度ならまだしも、落語には1時間を超える演目もあるらしいじゃないですか。先日の志の太郎さんは、約40分の古典を2作披露してくれましたが、それですら一人語りを聞き続けるには相当の長時間です。
その視点を語る側に向けると、観客が聞き耳を立てるそれだけの時間と空間を、圧倒的に支配し続ける能力が不可欠に違いないわけです。そうでなければ、客が最後まで耐え切れるはずがない。
何が近いだろうと考えてみて、真っ先に浮かんだのはギターやピアノが1台の弾き語りライブでした。ただし、演奏形態としてはミニマムながら、歌と楽器の相互作用で成立しているところがあります。対して落語は、たった一人。しかも語りのみ。その場に集った全員を話に引き込む支配力がなければ、高座に上がる覚悟すら持てない世界なのかもしれません。いや、音楽ライブとくらべてどうこうという話ではないけれど。
真打昇進の試金石として、志の太郎さん自ら企画した今回の2セット独演会。千秋楽には師匠の立川志の輔さんがシークレットゲストとして登場しました。素人ながら、師匠の凄さはわかります。演目の特性が違うにしろ、志の輔さんの支配力はほぼ制圧。こっちから首根っこを差し出してつかんでほしいと思わせるほど圧倒的でした。
いや、これまた弟子とくらべてどうこうではありません。当然のことながら、師匠はすべてにおいて上回っているだけ。それに何よりも、落語経験が乏しい僕が最初に場の支配力を感じたのが志の太郎さんだったのは揺るがぬ事実。
そして、こんな期待を寄せました。出会って1年ほどだけど、志の太郎という落語家が真打となり、さらに支配力を高めていく様を見届けていけるのは、連続小説的な素晴らしい体験になるだろうと。楽しみでしかないですよね。

ランニングコースで見つけた、愛しくなるほど几帳面な親子自転車カバー。

誰かが鼻歌を歌っている世界

たくさんのヒット曲を世に送り出した音楽家が言っていました。メロディは鼻歌から生まれることが多く、なおかつ風呂に入っているとき突然鳴るという。だから入浴には録音装置が欠かせないらしい。水気を吸って壊れないかと心配になるけれど、名曲のためなら惜しくはないか。
人はどんなときに鼻歌を歌うのか? この問いについてAIあたりは、こんな回答を示しました。
●不安や退屈を感じているとき
●楽しい気分になったとき
おいおい、真逆じゃないか。結局AIは、ひとまずあらゆる答えを広げる悪賢いヤツだと思うわけですが、「心理学的には、自分の感情を整えるためのセルフセラピーとみなされている」といった前置きがなされています。それも何かズルいけれど。
さておき、鼻歌が自分の感情を一定に保つための無意識行動だったとしても、不安や退屈な場面で鼻歌が出るものだろうか。一種の自己暗示法にしている人なら別かもしれませんが、「こりゃヤバいぞ」と悟って意識的に鼻歌を歌うなら、それは無意識行動ではないですよね。だから僕は、負のストレスがかかっている状態と鼻歌はまったく無関係と断言します。
ここで音楽家の話に戻りますが、見落とせないのは風呂です。新しいメロディを求めてやまない人は、おそらく寝ても覚めても頭の中で音が鳴っているんじゃないでしょうか。それらを拾い集め、たとえば8小節程度につなげようとするとき、様々な方法を試してきたはずです。楽器を頼ってみるとか、机の上で唸ってみるとか。
しかし曲作りに意識が向いていないとき、向こうのほうから鼻歌となってメロディがやってくる場合も少なくない。風呂場であれば、湯気の奥から。
何が言いたいかというと、鼻歌が出るのはリラックス状態限定。あるいは楽しい気分のとき、自分の感情を一定に保つため鼻歌を歌うとしても、それは過度な楽しさをあえて落ち着かせようとする状況を示しているのだと、鼻歌を聞かされる側はそうであってほしいと思うのです。
誰かが鼻歌を歌っている世界。これは、本日最初に閃いた一節です。楽しい気分に満ちた世界じゃないと困るので、必死でAIに抗ってみました。この時期の鼻歌ヒットチャートに入るのは、王道の『ジングル・ベル』でしょうか。となりでフンフン歌われると、「今ここで?」と呆れながらも、不思議と幸せな気持ちになると思うのですが、いかがでしょう。

鏡面仕上げは追突注意だな。

 

命日起点ではなく

その人が成し得たことを、その人の最期で気づかされるのは、常に悔やみがつきまといます。
2019年12月4日。アフガニスタン東部のジャラーラーバードにおいて、車で移動中のグループを何者かが銃撃。被弾で死亡した数名の中に、日本人医師の中村 哲さんが含まれている――。
このニュース、よく覚えています。世界各地の紛争地で医療支援を行っている日本人がいることは、それとなく知っていました。けれど、戦争の放棄を憲法で定めている国の人が撃たれて亡くなるなんてという、衝撃と戸惑いの記憶とともに。
しかし、中村 哲という人が何をしていたのかは、訃報に触れるまで何も知りませんでした。
1946年福岡生まれ。1973年に九州大学医学部を卒業し、国内病院で勤めた後、1984年にJOCS(日本キリスト教海外医療協力会)から派遣され、パキスタンのペシャワールに赴任。ハンセン病を中心にした医療活動を開始。パキスタン政府の意向で活動が困難になると、拠点をアフガニスタンに移行。
いずれにしても、長い紛争が続く土地は元より乾燥地帯。なおかつ2000年頃に起きた大干ばつは、貧困に苦しむ人々に絶望しか与えなかった。
そこで中村 哲さんは決意します。新たに井戸を掘る。加えて25キロ先の川から水を運ぶ用水路をつくる。水資源が確保できれば農地が生まれ、農業が栄え、土地の人々が戦争で稼がなくてもいい暮らしができると。そうして医師は白衣を脱ぎ、自らショベルカーを操作し、住民を巻き込んだ荒野の緑化に突き進みました。
「誰か他の人がいれば私がやる理由はない。やはり、見捨てちゃおけないからという以外に何も理由はない」
これは、中村 哲さんの活動を追ったドキュメンタリー映像の中で、ご本人が朴訥と語った言葉です。
中村 哲さんの行動に触れれば、一人の人間として、あるいは日本人として、賛辞を贈る他にありません。ただし、本当に大事なことは、死に様ではなく生き様を知ること。決して命日起点ではなく。そんなふうに思います。
彼の地にはナカムラという名前の追悼広場つくられ、用水路の維持や拡充は、中村 哲さんの活動を支援するNGOにより、現在も継続されているそうです。それらすべて、無知を恥じる自分を救ってくれる事実になっています。

この町のどこからでも見えるクレーン。どこからでも見える仕事を今日も頑張っているみたい。

「ですか? 事件」続報

3週間ほど前に起きた「大仁田 厚さんですか? 事件」。近所の飲み屋A店で遭遇した、その日が初来店と思しき中年ご夫婦の旦那さんのほうから、「似ている」でも「似ていると言われない?」でもなく、「大仁田 厚さんですよね?」と断定されてしまった、あの一大事です。これには想定外の続きがありました。
「この前、初めて来たご夫婦がうれしそうに話してくれたんです」
これは、近所の別の飲み屋B店の若い主人のタレコミ。
「大仁田さんにそっくりな人を見て驚いたって。それって、トナオさんのことですよね」
君もオレが似てると思ってたんだな、と気づいたのは後のこと。それよりも先に、あの夫婦がこの界隈を徘徊している事実に衝撃を覚えました。方々に有刺鉄線を張り巡らせているのか?
「ちょっと酷いかもしれませんね」
カウンターの縁から崩れ落ちそうになった僕に声をかけてくれたのは、C店で最近顔なじみになった、たぶん40代前半の男性。髪が長いので、僕に近い業界の人かもしれない。
「トナオさんにはインテリジェンスを感じるのに、さすがにプロレスラーはないですよ」
ふわぁと、天使が肩に舞い降りて微笑んでくれたような、うれしい気持ちになりました。その勢いで、オレのどこにインテリジェンスを感じるのか聞こうとして、「ああ、もうこの話は終わり」と自ら断ち切ったのです。こういうのって、自分ではどうにもできない類だから。
人からどう見られるかはコントロールできない。大事なのは、誰に対してもフェアな言動を心掛けること。これは、ずいぶん前に自分に課したルールです。守り通せていないかもしれない。でも、忘れないようにはしている。
であれば、自分の印象に関して何と言われようと、柳の枝が風にしなるように「そうですか」と静かに受け流せばいいはず。いちいち気に留めてしまうあたり、僕はまだ理想の自分に到達できていないのでしょう。精進精進。
けれど見た目はなあ、なんですよね。B店の主人によると、件のご夫婦は最近この町に越してきて、二人で馴染みになれる飲食店を探し歩いているらしい。ってことは、再会の可能性は極めて高い。また会ったとき、どんな顔をすればいいんだろう。あ、顔は変えられないのか。ふむ、なかなか厄介なことになったな。

午前8時半のベランダにアキアカネ。3秒ほどの出来事でした。

誰がどう言うか

「どうしますか?」
ボブで。
「ショートボブならできますよ」
3か月ルーティンが定着している女性の店長美容師とは、毎度こんな感じの会話から始まります。くだらないセリフを切り出す客への対応もさることながら、歯に衣着せないというか、おべんちゃらが言えないのが彼女のいいところです。
そんな性格で接客業が務まるのか、彼女がまだ20代前半だった頃には大いに心配しました。でも、それから20年以上が過ぎて、今や店長にまでなった。その経緯も含めて信頼しているので、もし後頭部の地肌が透けて見えるようになったら、必ず伝えてほしいと頼んでいます。
「いやぁ、トナオさんに向かって禿げたとは言えませんよ」
こういうことを、となりのお客さんに聞こえそうな音量で言い放つのです。薄毛で悩んでいる人がいるかもしれないのにと、こっちがおろおろするのも毎度のこと。そしてまた、彼女が持ち出す話題も美容師っぽくない。
「最近、夜になるとお尻やお腹が痒くなるんです。この前なんか、あんまりお尻が痒いので思い切りかいたら、子供が叫んだんですよ。お母さんのお尻、真っ赤でブツブツになってるって。こういうのって歳のせいですかね」
オレも40代後半くらいから肌の感じが変わったと伝えたら、こう返ってきました。
「そうか。やっぱりこの手の悩みは、加齢の先輩に聞くのがいいですよね」
そこは人生の先輩だろとツッコんだら、えへへッてな顔になりました。
何を言われても許せるし、笑いに帰結していく。それが彼女の人徳なのだろうけれど、相当に鍛え上げた結果だと思います。先に触れた通り、元来の性格が前面に出ていた若い頃は、素を出しても受け入れてくれる客以外は無口を通していたみたいなんですよね。大丈夫かなこの子と勝手に心配していたけれど、現在の活躍に僕が何かを言う余地はありません。誰がどう言うか。たとえばハラスメント方面も、そこが重要なポイントなのでしょう。
「相変わらず、髪の量がとても多いです」
これが禿げチェックの回答らしい。すべての作業が終わり、鏡で後頭部の仕上がりを見せながら、こんなことも言いました。
「襟足、気づきました? ちょっとだけ外に巻いて、ショートボブにしたんですよ」
彼女と会えるのは、また3か月後。

遠くに富士山が見えた、練習終わりの午後5時。子供の頃の気分がよみがえる。

 

寂月?

12月の別名は師走。その語源は、一般的に「普段は落ち着いている先生も走り回るほど忙しい月」とされていますが、師はもともと僧侶を意味しており、なおかつ「しわす/しはす」の本当の語源は、平安時代ですでに不明となっていたらしいんですね。
それはさておき、十二の月の中でもっとも別名が有名な師走に対して、個人的にはずっと違和感を覚えてきました。僕が12月に感じるのは、慌ただしさとは別のものだから。
そこで、他の別名を探ってみました。1年の終わりを意味する類では、極月(ごくげつ)/除月(じょげつ)/限りの月(かぎりのつき)。暮来月(くれこづき)という抒情的な匂いのする言葉もあるそうな。
しかし、どれも僕が感じるものを示してくれてはいないのです。ならばお前の感覚は何なんだと問われたら、やはり1年の終わりなので、余命宣告に対する諦観がもっとも近い気がします。実際には31日もあるから、やること、やれることはたくさんあるし、何もかも簡単に諦めるものではないけれど、いわゆる12月の声が聞こえてくると、終末という道理に抗う意欲がなくなるような気分が湧くのです。でも、諦観は悟りを意味する言葉なので、それもまたちょっと違うのかもしれません。
僕はよく、フリーランス稼業をキリギリス的と評しますが、楽天家の末路が自分の12月の感覚に近いのかな。ちゃんと冬支度したアリに救われるのが今日的イソップ童話のエンディングですが、大元のキリギリスはアリに見捨てられて死んじゃうんですよね。だからオレも、寒い時期になるとそうなるのか。先のことなど考えなかったから仕方ないなと、真面目な働き者たちを眺めながら終末を静かに迎える心持ちになる、みたいな。
ならば、キリギリス月。漢字なら螽?月。って、まず読めないし、字感が怖い。
ふむ、自分でも面倒臭くなってきました。要するに、何となく寂しい感じが漂うだけなのです。世間がそわそわざわざわするから余計に、孤独が浮き立つというような。どうですか?
じゃ、寂月(さびつき/じゃくつき)。わりといいかも。いや、寂は僧侶が亡くなったことを意味する言葉でもあるらしいから、師走の対抗案で出したら方々から叱られるだろうな。
そんなこんなで、僕の感覚などどうでもいいまま12月が始まります。風邪など召されませぬように。

秋の終わり。冬の始まり。

自分を戒めてくれるすべてのシチュエーションに

愚痴っぽくなるのは確実なのに、性懲りもなくランニングの話です。前回は、電池のマンガンとアルカリを引き合いに出して書きました。そんなことより重要かつ深刻だったのは、酷暑の時期に落としたペースが10月初旬になっても戻ってこないという事実です。
であれば、どうすべきか? 答えは簡単。体が痛まない程度に走り続けるだけ。しかし10月は、ランニングより優先すべき事柄が多かったという言い訳のもと、ほとんど走りませんでした。いやまったく、そんな体たらくを繰り返すばかり。
それじゃいかんぞと、空き時間が増えるのが早々に判明した今週は、珍しく2回のランニングを実施。しかし、間隔が空くと初期状態に戻るのも毎度のこと。そして走り出して1キロにも達しないうちに、「今日は距離を縮めちゃおうか」と、甘ちょろいオレが語りかけてくるのも毎回だったりするわけです。
それと戦うのは内なる自分、などというカッコいい話にはなりません。
僕が走るのは、昼前の住宅街。歩道に人の往来が少ないシチュエーションながら、それでも幾人かの人とすれ違います。その中には、歩みの遅いご年配や、足を悪くされている方が少なくありません。むしろ、すれ違う人の全体数に対して多いんじゃないかとさえ思います。お散歩するのに適した時間帯だからでしょうか。
そうした方々の脇を、当然のことながら十分な配慮をした上で走り過ぎるとき、やっぱりいろんなことを考えてしまうわけです。避け難い加齢や、または事故や病気などによって、思うように足が動かなくなるというのは本当に辛いことだろうと。すっかり膝が曲がってしまった自分の母親を見ていても、同じ気持ちが湧くのです。
そういうものが、大袈裟に言えば今の自分を戒めてくれる。まだ十分に足が動くなら、存分に使い、将来のために備えておけと。いや、褒められるモチベーションの持ち方ではないですね。でも、何というか、情けない魂は人の支えなしに奮い立たないものならば、自分を戒めてくれるすべてのシチュエーションに感謝せずにはいられなくなります。
今週2度目のランニングで、久しぶりに最低目標のペースを上回ることができました。走りやすくなった気候のおかげですけれど。

冬至まで1か月を切った、昼前の影。