もっと早く会いに行けばよかった

泣き言まじりで先日お伝えした、足の親指の巻き爪。その原稿を書いた直後に「巻き爪」であれこれ検索して、クルマで20分足らずの整骨院で診てもらいました。
そう、そこは巻き爪矯正にも自信を持つ整骨院なのです。いろいろ教えてもらいました。現在の巻き爪治療は、外科手術よりも専用の金属ピースで矯正する方法が広まっているそうな。とは言え民間療法に位置づけられるので、技術を習得した医療施設、今回の場合で言えば整骨院が専門として対応してくれます。難点は、保険が利かないので、矯正器具代を含めた診察料がちょいとお高めなところでしょうか。
しかし、こちらは藁にもすがる思いだったし、「1回の施術ですぐに痛みが消えます」と言った先生の言葉通りになったので、金額はもちろん、1カ月置きに様子を見て3回くらいで卒業になるという段取りにも納得しました。
それはさておき、患者の話を親身になって聞き、丁寧でわかりやすい説明をしてくれると、それが医療従事者の基本姿勢であれ、ファンになっちゃいますよね。その先生は、見るからに反射神経がよさそうな体型で、聞けば今でも時々バスケットボールをやっている運動好きでした。40歳くらいなのかな。とにかく人柄のよさがホームページの写真にも表れていたので、それで決めた僕の勘は正しいと思わせてくれました。
最初に足に触れたとき、「何かスポーツやっていますか?」と言われたのもうれしかったなあ。見る人が見ればわかっちゃうんだ、というね。それはプロの自尊心のくすぐり方だったのかもしれない。施術の最後に、なぜスポーツをやっているとたずねたのか聞いてみたら、「よく日焼けされていたので」だって。そっちかい! ってツッコミそうになりました。
そんな話もさておき、自分で勝手に爪の切り方を工夫してみたり、あるいは放っておけばそのうち何となかなるだろうと高をくくるのは、圧倒的に男性が多いと教わりました。僕も完全にその部類。爪は本来、巻くように生えてくるので、痛みを伴う巻き爪は放っておいても治らないそうです。なので「むむむ」な方は、1日でも早い治療をお勧めします。
けれど、爪の両側に引っ掛ける矯正器具は痛い個所に差し込むので、ひとときその我慢が必要です。それさえ乗り越えれば痛みは解消。まるで巻き爪矯正委員会の広報担当みたいだけど、もっと早く爽やかな先生に会いに行けばよかったと思いました。これは本当に。

ゴウゴウ唸りつつ、メリメリ光りながら、ザワザワ近づいてくる。

見るじゃなく、観る

「オリンピック、みますか?」
これは近所のバーのマスターが、その晩最初に投じてきたセリフ。この場合の「み」にあてる漢字は、「何か日本じゃイマイチ盛り上がってない感じじゃないですか?」と言葉を続けたマスターの意向を汲めば、何気なく目に入るケースで使う「見」が妥当と思われます。
そして僕の返答は「ふむ、みるかな」。ここでもまだ僕の感覚的には「見」でした。ちょっと醒めたマスターに同調したわけではありません。それは最近のオリンピックに対して興味が低下気味の本心を表した、わりと素直な反応でした。
「柔道、楽しみじゃない? また兄妹が金メダルを獲りそうでしょ」
僕の曖昧な態度に業を煮やしたのか、カウンターから話しかけてきたのはインド人の男性でした。見た目の印象は完全に外国人だけど、日本語が流暢で、なおかつ日本のオリンピック選手をよく知っているので、かなり日本在住歴が長いのでしょう。
「そう言えば、男子サッカーの予選はもうすぐ始まるんじゃなかった?」
これまたインド人の言葉。するとマスターは、「開会式前から試合があるんですね」
僕は、その試合の中継が25日の午前2時くらいか始まることを知っていました。ライブで見るつもりはなかったのだけど、スポーツ関連の情報は無意識のうちに目にしてしまうのです。
「でも、バレーボールも楽しみですよね。男女とも強いし」
今度は、語感的に「見」を選んだはずのマスターが食い込んできました。そしてついに僕も「バスケも興味深いよね」と口にしてしまった。その流れでいろんな競技が頭に浮かんできたのです。水泳、体操、卓球、レスリング。バドミントンにゴルフに陸上。それから普段あまり目にしないアーチェリーや自転車やカヌーも、テレビでやってたら見ちゃう。あるいは新競技のブレイキングも、どんな展開になるのか気になる……。
それって見るじゃなく、観るじゃん。これはバーの中で誰にも知られず行った自分自身へのツッコミ。結局のところ、何のかんの御託を並べても、スポーツ好きとしては観察・鑑賞に値する視点でオリンピックを観てしまうんです。なのにこのねじれた感覚って、何なんでしょうね。思わずあふれる母国愛を悟られるのが恥ずかしいのかな。
この話題を絞めるようにしてインド人が教えてくれました。「パリとの時差は7時間ね。みんな寝不足になるね」
おっしゃる通りになりそうで怖いです。でも、バーでの話題は当分事欠かないんだろうな。

新札はじめまして。すぐに使えない気がする。

 

名もなき人々の労力によって

関東地方の梅雨が明けたのは、確かちょうど1週間前の木曜日。おそらくその日から、サーモスタットが壊れたヒーターが暴走するような暑さが始まりました。連日35度越えはニュースで伝えるべき話題となり、情報番組は熱中症の危険性を繰り返し伝えている。それでも容赦なき日差しが降り注ぐ屋外で働く人はたくさんいらっしゃいます。
ベランダの下の、近所の噂では病院が建つという工事現場。盗撮魔のように毎日一度は進捗状況を眺めるわけですが、この炎天下の仕事ぶりには頭が下がります。そんな方々の姿に変化を覚えました。
空調服って言うんでしたっけ。電動ファンが送る風で体の熱を下げるという画期的なギアです。僕はそれ、身に着けたことがないのだけど、夏になると工事をされる方がこぞって着用されているのを見て、1枚まとってもそのほうが涼しいんだろうなあと思っていました。
その主流はベストだったはず。ところが眼下の人々は長袖だらけ。なおかつフードまで被っているスタイルが多数。本当に失礼ながら、見た目はメチャクチャ暑そうなんです。または恐ろしい事故現場の映像に移る防護服みたいで、なかなかに異様な光景に映ります。それでもこの異常な気候では、真冬のダウンジャケットみたいに膨らんだ服を全身にまとうほうが涼しいのでしょうか。いや間違いなく、そこまでしないと耐えられないんでしょうね。
一切調べず書いておりますけれど、あの長袖&フードの空調服は、けっこうな値段がしそうです。それぞれ色味が違うので、会社支給のユニフォームや標準装備ではないみたい。となると、個人が自腹で用意するのかな。目の前の仕事を倒れずこなすために。
厚生労働省の審議会が過去最大となる最低賃金の引き上げを検討。一方で企業は賃金の引き上げ分を価格転嫁できない状況に戦々恐々。そしてメディアはひたすら屋外活動の危険性を放送中。
なんて情報など気にしていられないんでしょうね。工期が迫る現場で働く人々は。そんな名もなき人々の労力によって、今日も工事は進みます。

盗撮のそしりは免れないけれど、こんな感じで完全防備なんですよ。

 

 

 

体に関することを考えると

体に関することを考えると、何でも加齢に結びついてしまいそうで、つい切なくなります。まだ若い人はならないかな。まぁ、だから、先日話を聞いた同世代の人のように、目的は違ったのに筋トレしたら気になっていた別の個所の痛みが解消したというような、常に光が射す方向に話題が向くことを願いたいものです。
歯医者通いを再開しました。痛みではなく、小さな違和を覚えたところを診てもらったら、予想通り放ったままにしたあそこやここの治療をしましょうねってことになり、いよいよ毎週ペースの通院に。昔から苦手なんですよね。目にタオルをあてがわれて、次に何をされるかわからないまま、不意に来るかもしれない痛みに構え続ける時間が。あれは肩に相当な力が入っていると思う。それは女性の歯科衛生士さんに気づかれているはず。ふむ。
ここのところ悩ましいのが、足の親指の巻き爪。爪の端っこが食い込むので、靴を履くと圧迫されて、なかなか痛いです。何も触れないビーサンなら大丈夫だけど、それで仕事には行けないし。野球をやるのもしんどいし。
左足だけなんですね。その親指の爪は、ずいぶん前になぜか一度ペロンと剥がれて、そのあと生えてきた爪がカールするようになりました。それを直したくて、爪を切る際に爪切りを奥まで挿し込んだのがよくなかったみたい。歩行に支障が出た今回は、それも原因の内だと思います。
なんて詳細な事情を、巻き爪を治してくれる専門医に伝えるつもりです。でも、人生初の巻き爪治療をしてくれるところが見つかっていません。何よりも、治療を含めた巻き爪対応に時間を取られるのが億劫なんだよなあ。世の中にはもっと深刻な身体的悩みを抱えて気持ちまで参っている方が少なくないでしょうから、歯医者や巻き爪程度で泣き言を口にするもんじゃありませんね。それはわかっていますが、どなたかお薦めの専門医をご存じありませんか?

この異様な暑さの中じゃ、クレーンだってまっすぐ立っていられないだろうな。

どちらも元気なおじいちゃん

だから時事に触れるなと、興味本位で暴れる内なる自分をいさめようとするのだけど、表面を担当する自分には止められない場合もあるようです。
彼の国の現役大統領が、次期大統領選からの撤退を表明しました。精彩を欠いているという周囲からの指摘を受け入れた形のようです。そういう声を耳にすると、そう見えていくものですよね。ちょっと咳き込んだり言い間違いをしただけで、かなりのおじいちゃん扱いが横行していく。階段を降りる際も手すり頼みだったのは確かで、僕は自分の母親を思い出して気の毒になりました。責任ある立場だから仕方ないけれど、老いを責める様子に触れると息苦しくなります。
だいぶ中身は違いますが、運転免許証の返納に似ているように思いました。そろそろ危ないからと、周囲は資格を失くすことを勧める。けれど当人は、自覚とプライドの狭間に立たされて決断できない。あるいは、クルマを運転しないと日常生活が脅かされる現実的な問題があれば、なおさら事態はややこしくなる。けれど、交通事故は他者を巻き込む危険性に満ちているので、社会全体で然るべきタイミングでの返納を求めているのが現状です。
本人が自主的返納に踏み切れないなら、誰が引導を渡すか。たいがいは身内になると思うけれど、伝え方が難しそうですよね。クルマ通勤を続け、退職後も趣味のカメラであちこち走り回っていた父親がもし生きていたら、僕はどの時点で「やめてくれ」と宣告できただろうか。それはまったくわからないな。あるいは歳を重ねていく自分は、誰の引導なら受け入れることができるのか、それも現時点ではわかりません。
ただ、自分のプライドを優先した挙句、ごく普通に暮らしている他者を、たとえば自分が愛してやまないのと同じ誰かの孫を傷つける可能性が高まっているんだよと、時間をかけて諭す他にないのかもしれません。まぁ、年寄りは人の話を聞かないので、近親者ほど説得が困難になりそうですが。
そう、年寄りの話。撤退を表明した現大統領は81歳。対立候補の前大統領は78歳。実は似たり寄ったりの年齢なので、どちらも元気なおじいちゃんだよなと再確認したところです。

やはり水辺は涼しい。水流の激しさですべての感覚がマヒするような気もするけれど。

 

許す機会を

なぜ辞退だったのか、それがわからないのです。いやいや、ここでは迂闊に時事に触れちゃいけないんだった。なぜなら、事が起きた直後に飛びついてしまえば、様々な意見を十分に咀嚼できないまま自分の考えを発してしまうことになるから。たいがいは激しく後悔します。より正確な情報を後に聞かされるまで、知ったふうな顔でいた自分の無恥さを。なおかつ時が過ぎて皆が事を忘れてしまえば、いちいち省みななくてもいいやと黙ってしまう卑怯さを見て見ぬふりしていくことも。
なので現時点では後悔確率90パーセントで書きますが、それでもやっぱりなぜ当人自らの判断で退く意思を示した辞退となったのか、そこが僕にはわかりません。え~と、どんな事に触れているかはすでにお気づきですよね。
このニュースが伝えられたとき、「彼女の今後はどうなるんだろう」と心配された方は少なくなかったと思います。無論、国の法律や、さらには特定の委員会や協会が定めたルールを破れば、相応の罰則が下されるのは止むを得ない。しかし、低年齢化が著しい体操界に19歳の彼女が再び戻ってくるのは、素人考えでも難しいでしょう。それだけでなく、人生100年と言われるこの時代、この先一般的な社会人として生きていけるのかどうか。
そんな一人の人間の将来を考えた末の決断が、当人ではなく他人が発表した辞退で本当によかったのか。そこが僕にはわからないのです。おそらく、発表に至るまで検討した他人たちも、よくわかっていないんじゃないでしょうか。
こんなことを考えました。当人が辞退を告げる場を設けてあげる手立てはなかったのかと。それじゃ針のむしろに座らせるようなものだと非難されるかもしれません。けれどこの国の成年年齢は18歳なので、大人として発言させてあげれば、何より当人にとって区切りをつけられたんじゃないかと思います。
誰でも罪を犯すと言います。それに対する罰を受け入れても、罪を許すのは自分じゃないんですよね。周囲がその機会を与えない限り、当人は悔いから逃れられない。そういう公式なチャンスがなるべく早く彼女に訪れることを願ってやみません。

表通りの裏にひっそりと@日光。

Ama diver!

先日の取材旅行のささやかなエピソードです。場所は、宿の喫煙ルーム。タバコを吸わない方には忌み嫌われますが、罪悪感を覚える者同士がひっそりと情報交換するには最適なスポットだったりします。
前夜もほぼ同じタイミングで煙を吐き合った外国人カップルと再会したのは朝食後。宿泊施設に備わる喫煙ルームは、致し方なく設けられた留置所みたいに狭いんですね。そこは廊下の角の外気に晒されたスペースで、椅子も4脚のみ。先に僕らのグループがぷかぷか。そこに男性が「Excuse me.」とつぶやきながら入ってきた。彼の表情には、「済まないけれど混ぜてもらっていいかな」という遠慮と、「昨晩もここで会ったね」という親しみが浮かんでいました。
「ベルギーから3週間前に」
これは、僕の横に座った男性にどこから来たのかたずねた際の答えです。「ほお」と声が出てしまいました。どこからだって日本に来ることはできるのに、ベルギーという国名になぜか意表を突かれた気持ちになったからです。
「まず東京に着いて、大阪や京都を巡ってからここに来たが、いちばんの目的はドウォバ」
ドウォバ? お台場? それどこ? みたいな顔を僕が浮かべたら、男性は首を小さく振りながら不慣れな地名を絞り出してくれました。「ミエのドウォバ? いや、トバ」
三重県の鳥羽? これも意外。だから聞き返さずにはいられなかった。Why Toba?
「Ama diver!」
海女さんに会いたかったそうな。彼はシェフをやっているらしく、日本の海産物とその漁獲法に興味があったみたいです。でもね、関東あたりから鳥羽まで出かける人って、そんなに多くないと思うんですよね。なのにはるか彼方のベルギーに暮らす料理人は、三重県の志摩半島の小さな町を目的地に選んでやってきた。現地ではどんな紹介をされているのか、めちゃくちゃ知りたくなりました。何しろAma diverですからね。どんな印象を持ったかも聞きたかった。
そのあたり突っ込んでみたかったけれど、僕の英語力はカサカサだし、喫煙ルームでの対話時間はタバコ1本分が紳士協定的。「よい週末を」と言い合って別れました。
外国人観光客のオーバーツーリズムが取り沙汰されているけれど、日本に寄せる個々の関心まで十把一絡げで語ってはいけませんね。それにしても鳥羽か。取材で一度だけ訪れたことがあるけれど、東京からでもずいぶん遠いと感じたんだよなあ。

表通りの裏手の家々のそこここに。

 

 

アポロから修学旅行まで

7月20日は、後に記念日の由来となるような、大きな出来事がいくつも起きた日みたいです。
アポロ11号が月面に着陸。人類が初めて地球以外の星に降り立ったのが1969年の今日。ライブだったかどうかは忘れましたが、夏休みを直前に控えた小学1年生だった僕は、テレビでその様子を見た覚えがあります。当時はアメリカとソ連の冷戦時代で、宇宙開発競争を代理戦争に見立てていたとか、そういう重い話はまったく耳に入ってきませんでした。そんなことより、人が月面に立ったという事実に鳥肌が立つような高揚感を覚えたんですよね。それ以降は月の眺め方が変わったりして、あらゆる未来は満月のように輝いていると思えた。今となっては懐かしい感覚です。
そしてまた、山梨女子師範学校の女子生徒22人が京都・奈良・伊勢に旅立ったのが1899年7月20日だったことから、今日は『修学旅行の日』でもあるそうな。実際には修学旅行という名称ではなく、「体力養成実地修学」。めちゃくちゃタフそうですね。山梨から徒歩で往復したのかな。そんなはずはないか。
クラスメイトたちとお泊りするってのは、ワクワクとワサワサが交錯しますね。でも、ワクワクは中学までだったかな。男子校だった高校時代のそれは、ワサワサした記憶しかありません。それぞれいろいろお考えはありましょうが、やはり思春期は相応に異性との接点を持ったほうが後々の人生を過ごしやすくなると僕は思います。理由について詳細に述べるのは、別の機会に譲りますが。
1971年、やがてスマイル0円を記載するマクドナルドの1号店が銀座で開店。1981年、郵政省が東京・名古屋・大阪の三都市間でファクシミリ電送業務を開始。それらも7月20日。初めてマクドナルドを口にしたのはいつだったかな。ファクシミリは、1980年代半ばから2000年代の初め頃までしっかり活用しました。締め切りぎりぎりの手書き原稿を何十枚も送ったりとかね。
当然のことだけど、すべて過去の、今の若い人にはお伽噺みたいな出来事ばかり。新しい話をしたいですね。呑気にやり過ごすのではなく、今日起きることに注目せねばと思います。

梅雨の最後の日。

もてなすとは

「もてなす」とはどういうことなのか、あれこれ調べてみると複数の説明が出てくるので、そもそも意味合い自体が曖昧な言葉なのでしょう。なおかつ日本人の精神みたいなものまで関わってくるので、かなりややこしくなります。
「ごちそうする」という意味があるそうです。となれば、タダのものなのか。確かに、たとえば家族や友人など親しい間柄の家に招かれ歓待された場合は、そのもてなし自体に直接的な対価を払いませんよね。招待の繰り返しで仲を深めていくことが目的でもあるから。あるいは通例でもあるから。
他方で「世話をする」という意味もあるので、客商売では優れたもてなしを売り物にします。しかし、もてなし自体には値段をつけられない。ゆえにもてなしを品書きに加えることもできない。なぜなら日本人的感覚のもてなしは、料理の手法や素材や、店の設えと言った物理的投資ではなく、世話に代表される(無償に換算されがちな)人の行為に他ならないから。
ふと思い出したのが、「スマイル0円」。メニューの端っこにそんな表記をしたのはマクドナルドでした。あれは笑顔をもてなしと判断する日本ならではのギャグですよね。なおかつ、それがタダでなければ納得されないのも実に日本的。海外でもやっていたのかな。どうなんだろう。
そんなこんなでもてなしは、割引や値下げ、もしくはタダと混同されるくらい、客が求めて当然の世話と思われがちな風潮が根付いています。でも、それは改められるべきです。お品書きにもてなし料が記載されない現実は、自分が一方的なサービスを強いられたときに実感するだろうから。その報復感情を別の場所や相手に向けてしまうのかな。
話がぐしゃぐしゃになってきました。この値段なら当たり前と思う以上のもてなしを体感させてくれた宿泊施設に行ってきました。しかも一人だけではなく、従業員のほとんどから同じレベルで。それを、企業の方針に則った教育が行き届いているというような、有体の評価に留めたくないんですよね。
あえて、心がこもっているとは言いません。そのもてなしは、確かな満足が得られる上に、もう一度訪れたい気持ちにさせるだけの優れた売り物になっていると、そう言わせていただきます。あれはタダじゃない。まぁ、僕は取材なので無償で経験させてもらいましたが。

鬼怒川です。

 

家を建てるなら

風光明媚な場所でランニングしたい願望がゼロの僕が走るとすれば、自宅をスタート&ゴールにした住宅街を周回するしかありません。目新しさはないけれど、1年を通じてコース周辺の些細な変化に気づけるのは、それなりに楽しいものです。
中でも目を引くのが建築。これも、古い家屋が取り壊され、平地になり、そこに新しい家が建っていくという町の変化ですから、走る際の些細な楽しみになります。
そうした新築物件って、案外木造が多いみたいです。自然災害の凶暴さが取り沙汰されているので、懐かしい『三匹の子豚』を思い出せば、藁の家より木の家よりレンガの家のほうが安心できるんじゃないかと思うわけです。しかし地震大国の日本には当てはまらない常識というか、間違った認識なんだそうな。
他の材にくらべて軽量。これが木造建築のメリット。ある資料によると、木造の住宅を1とした場合、鉄骨造で1.5~2.5倍。鉄筋コンクリートで3倍の重さになるらしいんですね。地震が発生したときに建物にかかる力は建物の重さに比例するというので、ならば軽い木のほうが安全なのだと。硬そうなら堅牢というわけじゃないんだ。
材料が安価。断熱性の高さと調湿作用を有する点。そして増改築のしやすさも木造のメリットですって。対してデメリットは、天然素材ゆえばらつきが出ることと、白アリ対策が不可欠なこと。なるほど。
そうした説明を知らずに生きてきたのは、僕が自分の家を建てようとする経験を持たなかったからです。なぜ家を欲しがらなかったのだろう。これは我が人生最大の不思議でもあるな。
一方で、人様のお宅が出来上がっていく様子には多大な興味を覚えます。おそらく家を建てる人は、建築の様子を眺めながらどんな暮らしをしようか想像するのでしょう。けれどそこに住むはずもない僕は、無垢の木の柱の美しさに足を止めます。このままでもいいんじゃないかなあと勝手な思いを抱きながら。
そういうときって、「自分が家を建てるなら」という発展的な考えが浮かばないんですよね。生まれついての根無し草性か、キリギリス症候群の最たるものかもしれない。あるいは、もはや養育は無理と世間に出されて我が家を建てようとした、あの有名な豚の三兄弟の足元にも及ばない生活意識の低さが災いしているのかもしれません。

無垢の木材が組み合わさって構造物になっていく姿が好きなんです。