顔が見える

飲食や販売の接客業。医師。看護師。教師。保育士。介護士。美容関係やインストラクター等々。
以上は、僕が思いつく限りの、人と直接的に関わる職種です。別の言い方をすれば、自分の技術や知識を提供する相手の顔が見えている分だけ、効果が判明しやすい仕事だと思います。
対して、人の顔が見えない仕事もこの世にはたくさんあります。たとえば製造関連は、使用者を想定して生産しても、ユーザーひとり一人の顔を見る機会は少ないかもしれません。
僕の原稿書きもまた、読み手の顔がわからない点で後者に属する仕事です。初めからそういうものと了解しているので、今さら悔やむことはありません。それに、常に人と接することで効果がすぐにわかる仕事は、臆病者の僕には務まらない気もしています。
いずれにせよ、あくまで僕の場合は、直接的な手応えを得られない仕事に精を出していると言っていいかもしれません。その件については深く考えないようにしています。もし意識してしまえば、オレはこの世界に何の効果も出せていないと落ち込みそうだから。
ただしベテランなので、負の感情を呼び込まない方策は習得済み。まずは、原稿書きを依頼してくれた当時者たちのために書くこと。そして、どこかにいるかもしれない読者の存在を信じること。強いて言えば孤独な作業ですが、たぶん性に合っているのでしょう。
それでもごく稀に、「読みました」「読んでいます」と言ってくれる方に出会えます。これは腰が抜けそうになるほど、照れ臭くてうれしい。言うまでもなく、この仕事を続けていく励みになります。一方でそれは、不確かだった読者の顔が見えた瞬間でもあって、こう書いたらあの人はどう思うだろう」といった意識の発芽につながったりもします。気にならないと言えば嘘になる。
しかし、そうした懸念が「これならどう?」といった意欲に発展するのは、何より僕が天邪鬼であり、原稿書きが誰にも見られないまま完遂できる仕事だから。ゆえに僕の真の性は、人に会えない孤独ではなく、人に会わない密室に合っているのでしょう。そんな告白はさておき、どんな場合も人とつながってこそ仕事と呼べるものになり、それぞれ得意分野があるという話でいかがでしょうか。

旬の柄。

名店の誇り

月曜日は、連載の仕事で名古屋駅から春日井市へ。仕事が12時過ぎに終わったので、帰りの道すがら昼飯をと、同行の編集長が切り出しました。名古屋方面に来たら、どうしても食べたいものがあったらしい。それが鰻。
きっかけは約1年前。今回と同じ連載企画の取材で名古屋を訪れた際、先方の社長さんがお昼をご馳走してくれた鰻屋が気に入ったから。それ以降、すでに4回もその店に足を運んでいるそうな。
決裁権者が明確な目的を持つと行動が速やかになります。助手席のフォトグラファーも同調して、編集長お気に入りの駐車場付き系列店を即座に検索。そうしてたどり着いたのが、偶然にも本店でした。
後で調べたら、名古屋市内に留まらず、大阪・京都・東京にも支店を持つ、ミシュランのビブグルマンを受賞した有名店。僕らが予約なしで到着した平日13時過ぎも数組が入店を待っていたのは、それが理由だったんですね。
その本店は、マンションの1階の、間口が狭めの、内外ともに味のある古さを感じさせる造り。それとは関係なく、太い鰻と大きな肝と値段はかなり立派でした。もちろん、とても美味しい。けれど、料理だけがこの店の強みではなかったみたいです。
「特に本店が受けているのは、創業者がここにいて、日々味を確認しているからだと思います」
僕らの卓を世話してくれた従業員の女性が、そんな説明をしてくれたんですね。その優しめの口調には、静かで確かな自信が漂っていました。なおかつ、初来店の僕らに対して、「来月のこの日、よかったら来られませんか? もっと大きな鰻を通常価格で出す催しがあるんです」なんて情報まで教えてくれたのです。そのために名古屋へ来られるか、思わず手帳を確認しちゃったな。
店を出るときも入口の先まで見送ってくれて、さらには昼の仕事を終えた他のおばちゃんたちも店の外で手を振ってくれて、何だか食べ歩き番組のロケをしているような気分になったりして。
そういうのは、ごく普通の接客なのかもしれません。けれどホームページを見る限り、立地も店構えも豪奢な支店ばかりの中で、ちょっと外れた場所にある本店が心温まる接し方をしてくれると、そりゃもう一気にほだされます。働く人が誇りを持っている。それが名店になる大きな要素かもしれません。
僕以上に編集長が再訪を企むはずの店は、『炭焼 うな富士』といいます。

こちら、肝入り上うなぎ丼。無作法と思い、普段は滅多に料理写真を撮らないけれど、このときばかりは盛り付けの迫力に圧されてしまいました。太い鰻を使っているから肝も大きいそうな。

「ですか?」

「○○に似ている」や「似ているって言われない?」というセリフ、特に初対面の会話で使われがちなのは、親近感を手繰り寄せる糸口にするためらしい。このケースでは、キレイやカッコいいイメージを持つ有名人を挙げるのが通例ですよね。それは、相手も同じイメージを持っているだろうから、よろこばれはしても嫌がられたりはしないという決めつけが根拠になっているはず。そして実際にその糸口から、良い手応えを感じた人が多いんじゃないかと思います。
しかしこの世界には、そもそも誰かに似ていると言われてよろこべない、自己の独立性が強い人間もいるのです。そんな者たちが憤るのは、そちらの「善かれ」がこちらの「有難迷惑」になる可能性に気づかない無邪気すぎる言動。そう言われて困惑しても、「強そうだからいいじゃないですか!」と返される。価値観の一方的な押し付けがどれほどげんなりするか、ぜひ一度どこかで体験してほしいものです。
由々しき事態が起きました。これまで少なからず経験してきた「似ている」「似ているって言われない?」を凌ぐ衝撃とともに。
「大仁田 厚さんですか?」
いつもの飲み屋。カウンターの奥にいた僕の帰り際、初来店と思しき中年の男性が、わざわざ席を立って声をかけてきました。酔いのせいか何なのか、ちょっと瞳を潤ませながら。
プロレスラーとして、電流爆破デスマッチなどの派手な試合で人気を博し、参議院議員にもなられた大仁田さんは、人生を立派に生きておられる方だと思います。ただ、彼のパブリックイメージと自分の顔立ちや雰囲気が通じるのは、正直なところうれしくありません。言葉を選ばずに言えば、怖そうとか乱暴者っぽく見られるのは心外だし残念。何しろそもそも、誰にも似たくないと思っているから。
けれど、たぶん大仁田さんに好意的なその方は、僕の心情や経験などまるで知らないわけです。「店に入ったときから、ずっとそうじゃないかと思っていました」だって。
「似てる」を多用する皆さん、有刺鉄線で人の心に迫りかねない会話術を改めてください。それにしても、ついに「ですか?」とはね。本人かどうか、まずはこっそり店員に確認してくれてもよかったのに。

JR名古屋駅桜通口午後3時。強めの風に冬の気配。

Unknown

1920年11月11日は、イギリスとフランスで世界初の「無名戦士の墓」がつくられた日。イギリスは、ロンドンのウェストミンスター寺院に。フランスは、パリのエトワール凱旋門の下。ウィキペディアによれば、同年同日にはアメリカのバージニア州のアーリントン国際墓地でも「無名戦士の墓」がつくられたそうです。
各国が同じ日付を選んだのは、その2年前の1918年11月11日に第一次世界大戦が終結したことに由来しているのでしょう。
「無名戦士の墓」とは、身元不明の戦没者を祀るもの。それを第一次大戦後に設けたのは、その戦争が名前の判明しない膨大な戦死者を出したから。
ウェストミンスター寺院では2名を埋葬しました。その遺体は、いくつかの戦地から相応な亡骸を掘り起こしてきたそうです。かなり強引です。遺体に限らず、遺品や、あるいはそれすらなくても弔意を示すことはできるはずなのに。
いずれにしても、何十万人もの帝国戦死者を代表する彼らには立派な棺が用意され、国王も出席する盛大な葬儀が行われました。フランスやアメリカでも、同様のセレモニーが行われたのではないでしょうか。
ちなみに日本には、靖国神社を始めとする数か所に「無名戦士の墓」的なものがあります。的としたのは、この国の無名戦士は有名戦士を含め、みな英霊と称するからです。死者の魂に美しい名称を与えるのは通例なのでしょう。「無名戦士の墓」の英訳は、The Tomb of the Unknown Warrior. そこでも兵士のsoldierではなく、戦士のWarriorに戦士に呼び改められています。
こうした件については、様々な考えがあるでしょう。僕が憤りを覚えるのは、侮辱的な「無名」に他なりません。死亡確率が高い地上戦を強いられる兵士であっても、そもそも誰一人として無名であるはずがない。そんなことはわかっていながら、国のために戦ってくれた人々を弔わずにはいられない、というのが「無名戦士の墓」の発想の原点なのでしょう。けれど、国のために戦うなんて状況さえつくらなければ、元より墓など不要でいられるのではないか。
日々それぞれには、戦争にまつわる悲しみや怒りの事実が刻まれているという話でした。

ゴルフ場は、麗しき箱庭。

「10年後」

「10年後」と打ち込んで検索すると、GoogleあたりのAIは、「AIによる代替が進み、単純作業や定型業務の多くが自動化されると考えられます」と答えてきます。お前の世界になるのかよと言い返せば、また当たり障りのない返事をくれるのでしょう。そんなものは読みたくないので、彼とのやり取りは1回で終了。
とは言え先を見越すときは、まず現状を把握するのが鉄則。その上で将来的な展開を予想するわけです。しかしその未来図は、突然の天変地異や疫病の蔓延などを除外して描かれるはず。なぜなら、それらの事態は予測不能だから。
あるいは、個々の年齢から始まる10年後も、社会情勢の変化とは関係なく、予想し難いものじゃないですか? たとえば、7歳の子供の10年後は17歳。現状の教育制度が維持されていれば高校2年生。そこまでは単純計算で導き出せるけれど、小学1年生では発露していない成長の結果は見越せませんよね。どんな顔つきになるのか? 身長と体重は? はたまた一般ルートから外れて高校には行かないと言ったりするのか? そうした個別の10年後は、誰にも、そしてAIにも確かな答えは出せない。
僕の人生で初めて「10年後」が刺さったのは、19歳のたぶん今頃。どうしようもなかった長男を見かねた両親が伝手をたどり、なんとか受け入れてくれた会社を半年で辞めてしまったときです。引き止める社長の奥さんが言いました。「10年後を考えてみて」
その言葉に対して、反発する意識はなかった。ただ、その時点ではどう考えても29歳の自分をイメージできなかったし、それ以上に、何かが違うこの場所から出なければという焦燥感が強かった。
この業界に入って40年以上が経過していますが、あのときの判断は間違っていなかったと自負できます。だからと言って、奥さんの言葉に対して勝ち誇るつもりはありません。むしろ現在も、わからないという答えしか見つからないあの一言が、僕をこの場所に留める虫ピンになっている気がします。
そんなわけで僕の「10年後」は、多分に情緒的です。そんな状況をAIに詳しく伝えて個別の10年後を引き出すより、思ったまま書くほうが僕には合っている。73歳になっても、そこだけは大して変わっていないといいですね。

歩道橋から。近所なのに、ここを登るのは初めてだった。

最終的に2足

「歳を取るって、嫌だね」
これは母親の最近の口癖。耳が遠いけれど、できればちゃんと伝わるように「おいおい!」とツッコみたくなります。
10月で91歳。その10年前くらいからすっかり婆ちゃんになっているのに、今さらかよって思うわけです。他方、90代になって歳を感じるなんて、そりゃ元気な証拠だと褒めそやしてくれる方がいらっしゃるかもしれません。確かに、僕も自分の親ではなかったら、凄い感覚と率直に驚けるでしょう。
しかし、これまで口にしなかったことを言われると、息子としてはいろいろ気になるのです。口癖になった理由はわかっています。足がますます思い通りにならなくなっているから。それが加齢のせいだという自覚を、強いて言えばようやく持てたことで、歳を嫌うようになった。まあ、健康が自慢だったので、諦めがつかないのでしょう。
そうではなく、たとえば老いの自覚を持つ前から正しいサポートができたんじゃないかとお叱りを受けるかもしれません。それに対して返す言葉はないのだけど、本人が頑張れると言い続けるうちは、プライドを尊重しようと思いました。親として、子供に迷惑をかけることは何としても避けようとしているみたいだし。
高齢の親を持つ方々はどうされていますか。そのあたり、さすがにしっかり聞かなければいけないタイミングに入っているのでしょう。いや、遅いのか。
そんなこんなで先日は、定期の病院付き添いがありました。こっちのほうはよくなっているので、足以外はわりと健康を保てています。その帰り道、ちょっと寄ってほしいところがあると言い出したんですね。どこかとたずねたら、靴屋。今履いているのが重めなので、軽めのスニーカータイプが欲しいと。
ここ、ツッコミどころですよね。まだまだ歩く気、満々じゃんって。
最近は、かかと部分に靴ベラのようなパーツを仕込んで、しゅっと脱ぎ履きできるタイプがあるでしょ。「そんなのあるんだ!」と盛り上がり、各種用意してくれる店員さんに甘えて、サイズ違いで5~6足は試し、最終的に2足も買いました。はしゃぐ姿を見て、僕は救われた気分になっていいのかなと、そんなことを思った次第です。

黄に色づいているのか、赤く枯れているのか。

ワーク・ライフ・バランスと修羅場

1カ月前ですが、高市早苗さんが新総裁に選ばれたときのスピーチがなかなか興味深かったんですね。特に、「私自身、ワーク・ライフ・バランスという言葉を捨てます」と言い放ったときは、一人テレビの前で、「おお」と感嘆の声が漏れそうになりました。なぜなら、僕自身がワーク・ライフ・バランスに懐疑的だったからです。
僕が賛同に傾いたのは、世代によるところが大きいでしょう。昭和の高度経済成長を支えた親たちを見て育った僕らゆえ、これまた高市さんが発言した「働いて(×5)参ります」も受け入れられたし、すべからく仕事を優先させた親を真似ることで、一定の立場や収入を得られるものと信じていた。
ただし、それは時代のシステムがもたらした考え方です。今は異なる構造となり、昔のスタイルを反面教師とする働き方が出てきた。その過程で、労働と生活の釣り合いを考えるためのカタカナ語が広まったのだと理解しています。
とは言え、古い世代であっても働くばっかりは嫌なんですよ。ただ、労働の目的や意義は様々であれ、自分の仕事が修羅場を迎えても、ワーク・ライフ・バランスを盾に現場を離れてしまうのだとしたら残念に思うわけです。修羅場という表現が悪かったですね。今風なら、自分を大きく成長させる機会と言えばいいかな。
あくまで僕の話ですが、30代は毎日が修羅場、ではなく成長機会の連続でした。そんな日々をむしろ好んだのは、そこへ飛び込む以外に仕事が上手くなる道はないと思ったし、実際に上達していく手応えを感じることができたからです。そんな時代にワーク・ライフ・バランスという言葉や概念を教わっても、僕はなびかなかっただろうな。振り返れば30代は、仕事以上におもしろいものはなかったんですよね。そんなふうにがむしゃらになれたのも、ただの幸運かもしれなし、すでに過去となった構造が与えてくれた恩恵なのかもしれません。
高市さんの話題に戻りますが、件の発言の「言葉は捨てます」は、額面通り言葉だけで、概念までは放棄されなければいいなと思います。午前3時から働いているらしいじゃないですか。年齢は僕より1歳上で、学年なら2個上なんですよね。大丈夫かな。でも、修羅場なら仕方ないか。少なくとも健康面に関しては、同世代としてエールを送りたいです。

今年最大のスーパームーンの、翌日の月。大きかったんだろうなと思うだけでした。

短歌って凄い

先日の朝、運転中のラジオで短歌が取り上げられました。恥ずかしながら短歌についてはまるで疎いのです。俳句の5・7・5=17音に対して、5・7・5・7・7=31音が基礎構成といった程度の知識しか持ち得ていません。なので最初は、右から左に流れる音声として聞き流していたのだけど、ゲストの方が話した短歌の核心にビクンと反応してしまいました。おおむね、こんな内容です。
「生活の一瞬を観察し、解像度を上げて伝える」
伝統文化と思い込んでいた短歌の説明に、IT方面で頻繁に登場する解像度という単語を用いたのが斬新でした。そんなこんなで、あれこれ調べてみたのです。
同じ31音を基礎構成とする和歌は、漢語や外来語ではなく、古来の口語だった大和言葉を使うのが原則。対して短歌は、使う言葉に制約がなく、むしろ日常的な個人の感情を平易な言葉で表してこそ、とされているそうな。ふむ、例を挙げるとよくわかります。
はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る
これは、1910年(明治四十三年)の夏ごろに詠まれた、石川啄木の有名な短歌。【猶=なお】ですが、読みを知らなくても、確かにオレだって手を見ちゃうなあと。そんな共感を呼ぶのは、観察した生活の一瞬が高解像度で示されているからなんですよね。さらに付け加えれば、普遍性。115年経っても労働者の思いは変わりませんよと、どなたか啄木さんに伝えていただけないでしょうか。
もう一例は、ぞくっとなる短歌。
柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君
これも有名ですね。1901年(明治三十四年)に発表された、与謝野晶子さんの作品。意訳すると「私の熱く柔らかな肌に触れもしないで、人生を語るあなたはさびしくないのか」となります。その場で口にしたかはわからないけれど、そういう悲しさに苛まれた瞬間があったのではないでしょうか。
そんな感じで、身震いするように短歌って凄いと思いました。何しろ文字通り、極めて短い。わずか31音で心の機微をつかまえるなんて美し過ぎる。対して僕は、900字くらい使っても核心を突けず、今日もまただらだらと書いている。短歌の連続みたいな文章を綴れたらと、いやもう本当に心の底から思いますよ。

夏に限らず、地面の乾燥を抑えるスプリンクラーは1年中使用。この様子から短歌つくれる?

この世に面倒が多いうちは

今日は【面倒】について。一般的に「手間がかかること」や「煩わしいこと」を意味し、厄介の言い換えになっています。世話の代用にもなるので、「半日だけうちの子の面倒を見てください」という慣用句を耳にしたりもします。
ではなぜ面と倒という漢字が使われたのか?
例によって語源には諸説あり。検索でもっとも出てくるのは、「目どうな」から変化した説。「どうな」は、無駄や無益を表す古い言葉で、そこに「目」を加えたのは、見るだけでも無駄という、「どうな」を強調するためだったそうな。後ろに「臭い」をつけて嫌な気配を増す、今日的なパターンと似ているのかもしれません。
その「目どうな」が多くの人の口を渡り歩く過程で、原音の響きを残しながら「めんどう」になった。そこまで達してしまえば、充てる漢字は何でもよかったらしい。やれやれ。日本語には、そんな面倒な言葉が少なくないから厄介。
こんな話になったのは、自分にとっての面倒とは、手間や煩わしさを許容できるレベルのどの辺に位置するのか考えたからです。たとえば誰かに何かを頼まれた場合、すぐにできることなら即OKを切り出せます。しかし、内容に反応して「面倒」の字が浮かんだら、おそらく許容の上限近くに達しているサインなのでしょう。
さて、問題はここから。もし瞬時に許容範囲を超える頼みと判断できたら、「無理」と言って拒絶するはず。なのに奇妙にも、「無理」レベルに「面倒」のサインが点灯する一定のケースが存在するのです。
「無理」が「面倒」に収まる一定のケースについて、こんな仮説を立てました。「面倒」は、「無理」と断じ切れない情が湧く相手限定。手はかかるがかわいい子供の世話を面倒と同義にするのも、つまりそういうこと。ただし、情が皆無の相手なら何を言われても「無理」。これ、極めて重要なポイントじゃないですか?
だから、面倒は困ります。厄介な奴ほど愛情が湧くのを悟られてしまうから。翻って、こんな面倒なことに頭を巡らせる僕の場合は、自分自身で愛してやらなければなりません。そう考えると、この世に面倒が多いうちは、わりと平和なんだろうなと思ったりもします。

首都高速都心環状線の、10年後には地下に潜っているあたり。

遅延報酬志向って

好きなものから手を伸ばす先手派か。または、好きなものほど残す後手派か。これ、食事だと判明しやすいですよね。
僕は後手派。心理学では、遅延報酬志向や満足遅延と呼ばれるそうな。将来の利益のために待つことを選ぶタイプで、自己制御の高さや意志力の強さを備えているらしい。自分がそうであるなら、まんざらでもないです。
対して先手派には、即時報酬志向や現在志向バイアスという名称があり、後手派とは逆の、目の前の快楽を優先するタイプ。一方で先手派には、報酬を得るまでの時間が長くなるほど報酬自体の主観的な価値が下がると判断する、遅延価値割引という考えが作用するようです。なるほど。わからなくもない。
しかし様々なテストによって、遅延報酬志向のほうが、学業や仕事や健康でも将来的な成功を得やすいという結果が出ているらしいんですね。我慢は大事ということだろうから、道徳的にも教育的にも与しやすい流れです。
じゃ、長いこと後手派のオレは成功しているのか? まったくわかりません。食事に関しては、さして好きではないものを先に食べれば、とても好きなものをゆっくり味わえるという思考しかなく、そこに我慢は介在していない。食事以外となれば、確かに面倒臭い作業から片づけようとする傾向はあっても、腹が減れば後先考えず何かを口に運ぶし、短命を諭される喫煙や飲酒もやめられないまま。
あるいは先手派は、食事のときだけ即時報酬志向が強くなるのかもしれない。それ以外の日常生活では我慢の連続。だからこそ食べ物は、自分の価値観に従って好きな順番を優先させたい。そうであるなら、誰にも否定する権利はありません。
つまるところ、人の個性は先天的な部分とともに、後天的な影響を受けて構築されていくものなのでしょう。それを踏まえても、作法や遠慮を必要としない誰かと同じ卓につくと、食べる順番に個性が現れるのは明らかだと思っています。おそらく食事は、人生の本質が滲み出てしまう場面かもしれません。
さておき本日お伝えたしたいのは、後手派が先手派と食事すると、実は怯えがちになるということのみ。後で食べるのに、「それ、嫌いなの?」と目をつけられそうでヒヤヒヤするのです。特に好みが似ていると、後手派は防戦一方。遅延報酬志向って、恨めしくないですか?

いつかの早朝渋谷の背中側。混沌の露出に違いはないですね。