人生で今がいちばん

「人生で今がいちばん」なんて口にすると、「そう思って生きましょう」みたいな観念的標語を語り出すんじゃないかと身構えられるかもしれません。でも大丈夫。僕もその類は疑ってかかるタイプなので。
そうではなく、物理的に客観的に、これまで生きてきたなかで「いちばん」という状態を実感することが皆さんもおありかと思います。ただ、加齢による下限の「いちばん」については、僕にしても口をつぐみます。たとえば毛量やシミや体脂肪率とかは、聞かされるほうも困るはず。なのでどうせ話すなら、上限の「いちばん」がいいですよね。
などとたっぷり前置きしたのは、自慢にならないか心配だったから。まぁでも、大したことでもないので発表します。僕の人生で今いちばんなのは、股関節の柔らかさ。開脚ストレッチって言うんでしたっけ。脚はさすがに180度まで開きませんが、あれで額が床につくようになりました。
すべて我流。目覚めた後で取り組むのも不正解かもしれませんが、毎日ストレッチをやるようになったのは10年程前です。あるとき、歳を重ねたら筋トレよりストレッチが大事と聞いたんですね。確かに、関節の可動域が広がればケガ防止につながるんだろうと思えた。当時は毎週アイスホッケーをやっていたので、長く続けたいならやるしかないと、それで始めたわけです。
どうせなら、念願の“開脚で床ぺったり”を果たしたかった。なぜそれが念願なのかはよくわかりません。万病を防げるわけではなし、ホッケーで得点が取れる約束もない。けれど、何かこう、そういう自分になりたいと思ったんでしょうね。
そうして、最初はブラジルくらい遠かった床が、やがて関東くらいまで近づき、ついに自宅のベッド脇までやってきた。でも、いつ“床ぺったり”ができたか、実はよく覚えていないのです。少なくともこの1年以内。そう言えばつくようになった、みたいな、念願のわりに達成感が薄いものでした。
しかし、「これって人生で今がいちばん柔らかい」と一度口に出してみると、天使の呪文のように誇らしくなってくるのです。だからどうということはありません。野球でヒットがたくさん打てるわけでもない。ただしストレッチに関しては、あるいは何歳になっても、人生で今がいちばんを継続できるかもしれない。その可能性について、できるだけ小さな声でお伝えしたかっただけです。

旧式に肩入れしたくなるのは、郷愁ではなく、純粋な美感によるものだと思う。

手を焼く

5月18日は『ことばの日』なんだそうです。由来は五と十と八の語呂合わせらしいので、これに関しては言及せず、本日の話題の枕に使わせいただきます。
そんなわけで、最近心に留まった言葉が『手を焼く』。「ウチの長男は中学に入ってから部活ばかりで勉強せず、まったく手を焼いています」とか、僕の母親は近所の人に愚痴っていたかもしれない。
そんな感じで、扱いに困った様子を示す慣用句が『手を焼く』。『持て余す』と同義ですが、『手』という文字を使う点で、微妙にニュアンスが違う気がします。
なかなかに奇妙な表現なんですよね。あれこれ調べても、困窮の局面に対して肉体の一部を痛める状態を重ね合わせた理由がつかめなかった。ただ、ある語源解説では、火に手をかざす距離を間違うところから来たという解釈を見ました。
それを頼りに検討の枝を伸ばしてみると、まず火は、暖を取るありがたいものであり、同時に扱いを間違うと危険な代物でもあるわけです。だから手をかざす距離によっては火傷に至る。ならば手袋などで肌を保護すればいいのかもしれないけれど、あえて素手だからこそ適度な距離を測れるのではないか。または一度や二度は近寄り過ぎて痛い目に遭ったとしても、それ自体が生きるために重要な経験値になっていく……。
以上の考察をもとに一定の見解を導き出すと、扱いに困るもの自体は基本的に火と同じく天然の部類であり、その対処は生身の肉体で応じられると判断した場合、『手を焼く』という言葉を使うのが適切だと思うのです。人の世話はこれに該当します。
あるいは『手放す』も、『放棄』や『売却』などの場面で使う場合、別離の間際の人差し指あたりに名残惜しさが漂う感じがしますよね。ゆえに肉体の一部を用いた言葉には、人間の細やかな感情が込められているのでしょう。ひとまず物書きとしては、上手な使い分けを心掛けたいと思います。こちらの意図が汲まれないことに手を焼いたしても、決して諦めずに。

梅雨がデモンストレーションを始めたみたい。湿度がねぇ。

「いくつになっても」

ウチの野球チームの最年少から、奇妙な誘いを受けました。その名も『内野守備練習会』。野球に興味のない方には内容が伝わり難いでしょうね。野球という競技は、点を取る攻撃と点を取らせない守備がはっきり分かれているのですが、この会は、守備の中でも1塁、2塁、ショート、3塁の内野4ポジションのみ、2時間ひたすら打球を捕り続けるというものです。
そんなこんなで局所集中の練習会ですから、どれだけ参加者が集まるんだろうと思っていたら、野球を愛するあまり変態になってしまった人間は少なくありませんでした。まぁ、僕のその一人ってことですけれど。
実のところ、誘いを受けた当初は気後れしていたんです。変態ばかりが予想された参加者はスキルレベルが高いだろうから、そこに自分が混ざるのはどうなんだろうと。できればヘタクソな姿を見せるのは、気心知れたチームメイトの前だけにしたい。僕という人間には、そういう意気地なしのところがあるのです。
けれど、連絡をくれたのがチーム最年少じゃないですか。で、誘われたのがチーム最年長でしょ。であれば、年若の果たし状を袖にすることはできないと思ったんです。僕には、そういう無駄に意地っ張りなところもあります。かなり多分に。
実際の『内野守備練習会』は、想像した通り変態的で、なおかつたくさんの刺激を受けました。見渡した限り、平均年齢は30代前半くらいになるのかな。若くて切れのあるプレイヤーばかり。僕は1塁についたのだけど、どこからでも唸りを上げたボールが投じられてくるのです。これは自分たちのチームでは経験できないレベルでした。
それから、おそらくたいがいの参加者が初対面同士ながら、各々のプレーに対して声援を送り合う場面が多かったのは清々しかったです。これはスポーツのとても美しい部分ですね。
僕にとってもっともよかったのは、オープンな会に参加できたこと。何かと閉じた場所に居たがりなので、こういうのはあまりなかったな。「いくつになっても」なんて慣用句の意味を実感しました。けれど翌日は全身の倦怠感で「寄る年波」のリアルに苛まれましたけれど。

今一番欲しいものは、チーム最年少が使っているのと同じバット。呆れるでしょ。

一目散で逃げること

最近はあまり見かけないようだけど、テレビあたりで護身術が取り上げられると、つい注目します。あれはおおむね不意に襲われた女性向けとして紹介されますが、男であっても突発的な事態に対処するためには、なるほど初手はそうなのねと、覚えておいて損はない気がするからです。
しかしいつも思うのは、リアルに不意を突かれたとき、教わった通り動けるかどうか、なんですよね。たとえば格闘技に長けた人たちにしても、用意された試合ならともかく、満腹の余韻に満ちた夜道で後ろから襲われたら、瞬時に暴漢を退治できるのだろうか。結果的に追い払えるのかもしれません。でも、初手をかわすのは難しかったとしたら、大なり小なり怪我は避けられないと思ったりします。
何が起こるかわからない。これは現代を生きる僕らの常識です。とは言え、連続する凶行のニュースに触れるたび、じゃどうすればいいんだと嘆く他になくなります。「誰でもよかった」なんて、何かもう、理不尽という言葉では追いつかいない憤りが込み上げてくる。
僕はクルマを運転するので、高速道路の逆走事故を知るたび、「なぜ?」という疑念を上回る恐怖に苛まれます。でも、それはなくならない。ならば、実際に逆走車が眼前に飛び込んで来たらどうするか。理想は、そんな状況に直面する覚悟を常にもち、様々な事故映像から危険回避のシミュレーションを行っておくということなのでしょう。しかし、現実的じゃないかもしれません。
ずいぶん前ですが、僕も逆走車に迫られました。高速道路ではなく一般道の、立体交差の側道。こちらからは先の見えない一方通行の右カーブの奥から、そのクルマは突然現れたのです。二車線のうち、僕は左車線を。向こうも彼らなりの左車線を走っていたので、運よく接触は免れました。けれど一瞬の出来事だったので、逆走車がいつ順走に戻ったのかは確認できなかった。事故の報道はなかったので、誰も痛まなかったと思うけれど。
運よく? それ以外に現代を生き抜く術はないのだろうか。
護身術の大原則は、まずは危険な場所や状況に自分を置かないこと。そして、窮地から一目散で逃げることだそうです。何はともあれ、そう言われても困るけれど、気をつけていきましょう。

大規模改修工事に伴う黒いラッピング。メッシュであっても、息苦しい。

家にいたくない

未体験ゆえ、軽く考えていたようです。部屋の中にいるだけでこんなにストレスを感じるとは思いませんでした。マジ、なかなか苦しいです。
ゴールデンウィーク開け直後から始まった、僕の住まいの大規模改修工事。玄関先に大家さんと工事担当者が説明に来たのは、確か3月末でした。外壁を改めるというので、地上6階の建物の周囲に足場をつくったり、その後は塗装作業があったりすることは想像できたんですね。けれどそのときは、それはなかなか大変ですねぇと、かなり呑気に構えていたわけです。
ところが、工事着工から約1週間たった今日現在、あらゆる窓越しに鉄骨の足場が組まれてみると、監獄とは言わないまでも、衆人環視的な軟禁状態に陥ってしまいました。
目覚めてすぐは、明るい日差しを部屋に取り込みたいじゃないですか。けれど窓の向こうに作業員がいるかどうか確認しないと、カーテンすら開けられない。最初のうちはそれを忘れて、寝ぐせだらけの頭にTシャツ&パンツ姿を朝から働く人に見られてしまいました。どうしたかって、キャアと叫んだり、勢いよくカーテンを閉めるのもナニだから、そのまま会釈しましたよ。向こうだって見たくなかったに違いないよな。
この部屋、自宅仕事が中心ゆえ、作業気分を第一優先とし、広さや間取り以上に、日当たりの良さや隣接する建物がないことを理由に選びました。北東の角部屋なので、昼過ぎになると日差しは望めないものの、机を置いた北側の窓は1日を通じて思いのほか明るく、原稿に詰まったとき目をやると、相応の脱力感を与えてくれます。それらが快適なので、わりと長く住んでいますが、それらすべてが奪われた現状は最悪の環境という他にありません。牢屋につながれた経験はないけれど、囚人が受ける罰ってこんな感じだろうと思うほどに。
大袈裟に聞こえますか? そうだと思うなら、一度この部屋に来て確かめてください。いやいや、このタイミングでなくても誰かを招くのは苦手だけど、集合住宅にお住まいで同じ体験をされた方はどうだったんでしょうか。家にいたくないって、ほぼ初めて思いました。工事終了は8月初旬予定。最後まで耐えきれるか、心配。

完全包囲ってやつです。

 

 

今はもういない校長先生に

毎週月曜日だったか、月に1回だったか。いずれにせよ僕が通った中学校では、体育館で行われる全校集会が定期的に行われていました。始まりと終わりは、演壇の脇の階段に据えられた大太鼓が告げるのが習わし。理由は知らなかったけれど、僕が所属した男子バスケ部の主将がばちを握って叩くことになっていました。
その全校集会のメインプログラムは、校長先生のご講義。普通の悪ガキ程度では校長にお世話になることはなく、だから具体的な人物像もまたよく知らなかったけれど、たぶん専門教科は国語だったんじゃないでしょうか。ご講義では文学を軸にして様々な説法をされていました。
などと敬意とともに丁寧に記憶をたどっておりますが、生徒の大半にしてみれば退屈な時間でした。体育館の冷えた床に体育座りって、それだけで抑圧される感じだったし。そんなわけで、今聞けば興味深いお話も、当時は馬耳東風。ウチの部の主将が間違って早く大太鼓を叩かないか、常に期待していました。
けれど一つだけ、断片的ながら覚えているお話があるのです。大筋はこんな感じ。
「爺さんが死に、婆さんが死に、父親が死に、母が死に。ああ幸せ」
そして校長先生は、この歌が語る「幸せ」について、順番の正しさを説いたように記憶しています。なぜこの話を覚えているかというと、中学生に向かって朝から死を語ったこと以上に、家族が亡くなる順が幸につながるという概念が、あまりに衝撃的かつ斬新だったからでしょう。そして言うまでもなくこの記憶は、歳とともに確かな重みを増していきました。
そのお話は、僕が覚えている限り、斎藤茂吉という有名な歌人の一篇だったはずなんですね。そこでいつだったか、この歌にたどり着くため斎藤茂吉さんを検索してみたのだけど、該当作に出会えませんでした。記憶違いなのだろうか。普遍的なテーマだから、あるいは高名な僧侶の言葉だったのかもしれません。
この件を思い出したのは、今日が1882年5月14日の誕生日を由来にした、斎藤茂吉記念日と知ったからです。何かの縁かもしれませんね。検索ではなく、一つずつ作品を当たって確かめなさいと、今はもういない校長先生に言われたような気がしています。

そして今日は、さださんのニューアルバム発売でもあります。自身通算50作品目なんだな。

究極の親密感

原作と映像作品はどちらがいいか、という議論は尽きないのかもしれません。何にせよ対立構図を避けたいものですが、先月NHKで放送されたテレビドラマでは、原作でしか感じられないものが浮き彫りになったことが個人的な実りになりました。
ドラマのタイトルは『地震のあとで』。原作は村上春樹さん。元は文芸誌に掲載された短編連作で、書下ろしを加えた全6話を『神の子どもたちはみな踊る』という新刊に収録して、2000年2月に発行されました。NHKはその中から、4作をピックアップして映像化。「さてどうなりますか?」みたいな上から目線的に鑑賞した村上さんのファンは多かったでしょう。その一人である僕の率直な感想は、「結局のところ終始確認だった」でした。
ただし、どこがどう違うかという重箱の隅をつつくような仕打ちではなかったのです。たとえば各作品のキャスティングについて、その是非を問う気はありません。
とは言うものの、文章によって想起させられる人物や背景が、生身の俳優や実在するロケ地や人がつくったセットで具現化される時点で、強いて言えば何もかも違ってしまうわけです。この件に関しては、「それが嫌なら見なければいい」が僕のスタンスなので、文句は言いません。
それを踏まえて、原作と映像の違いについて語らせてもらうと、前者にあって後者になかったのは、親密さでした。書き連ねられた文字を自分なりのペースで読み、自分ならではの想像力で物語の解像度を上げていく読書という作業は、極めて閉鎖的なんですよね。だから没入感が高まるほどに、この世界には書き手と読み手しか存在しなくなるというか、小説が導いてくれる世界だけが目の前に開けているように思えてくる。
それを究極の親密感と呼ぶなら、それを存分に楽しませてくれるほぼ唯一の表現者が、僕の場合は村上さんなのだと改めて気づかされたのです。僕は何かにつけ、親密さを与えてくれるほうに傾くみたいです。
ところで『地震のあとで』は、10月に劇場公開されるそうです。テレビ版になかった新たなつながりを加えて。そうして映像が違いを覚悟して発展するなら、またしても確認作業に付き合いたくなりますね。

実はブラシノキって珍しくないのかな。文字通りブラシの穂に見えるのは、雄しべらしい。

素敵な社交辞令

僕は社交辞令の類を口にするのが苦手です。おそらく多くのインタビューを実行する過程で、それが邪魔かつ無益と感じたからでしょう。
社交辞令とは、人間関係を円滑にするための儀礼的な挨拶や言葉遣い、ひいては慣用句と説明されます。もちろん挨拶や言葉遣いはとても大事。とは言え、妙に褒めたり持ち上げたりするだけのやり取りに終始するのは、相手に怯えて切り込む勇気がない証に思えるのです。
そもそもインタビューは、限られた時間の中で親密な空気を醸成しなければなりません。でなければ、話すつもりがなかった核心めいたものを引き出せないから。そんな、顔で笑って心で汗かく局面で、どこにも届かない空砲を打つ余裕はないのです。
しかし仕事の現場では、僕の出番が来るまでの間、歯の浮くような賛辞が飛び交うことが少なくありません。たとえば、滅多に行けない地方の特別な場所だと、打ち合わせの段階で一度も目にしなかった、それとなく権力を態度に滲ませる人物が次々に表れ、取材対象者に向けて美辞麗句を結わいつけた社交辞令の矢をこれでもかと放ちまくります。そうして現場を荒らす惨事に気づかないのは、僕の知らない一般常識なのでしょうか。
というような文脈だと、社交辞令を敵視していると思われても仕方ありません。けれど現金なもので、自分に向けられると悪い気がしないというか、社交辞令によろこぶ人の感覚とはこういうものかと感じ入ったりするのです。
初めてお仕事をした方から、こんな返信がありました。「素敵な原稿をありがとうございました」
まずないですよ、そんな言葉をいただけるなんて。しかもそれは、某企業の取り組みに関する堅めの記事だったので、その内容と素敵という単語のアンバランスさが際立って見えたのです。
本心? 口癖? いやいや、例のヤツ? この際それはどうでもよくて、相手にすれば社交辞令の範疇であっても、センスある言葉選びは人の心を温めるのだと知りました。それこそが素敵。
このお仕事、2本で終了予定が4本に伸びました。また違ったセンスある褒め言葉をいただけるよう全力を尽くします。

素敵な空。

 

母の日々

毎年5月の第二日曜日は、母の日。この春に社会人となった方は、初任金でささやかなプレゼントを贈るという、心温まる機会に巡り合っているかもしれません。他方では、特定の日に限定して母親への感謝を示すのはおかしいなどと適当な理由をつけて、特に何もしない方もいるでしょう。僕はそのタイプ。なおかつ血縁に対しては奇妙な照れが先に立ってしまう人間です。
だから今年も平日と変わらず。ただ、感謝や慰労を越えて、あれこれ母親を心配するのは、まさに特定の日限定ではなくなってきました。90歳超の杖突く老人ですから、買い物やゴミ出しなど、無事に済ませているだろうかと、日々ふとした瞬間にそんなことを思います。
「なんで私が転ぶのか、わからない」
ついこの間は、そんな憤慨を口にしていました。周囲の人から杖を使うのが上手いと褒めそやされていることに加え、だいぶ膝が悪くなってきても健脚自慢を譲りたくない気持ちの裏返しなのでしょう。転倒の原因は、杖の先端に備わるゴムキャップの摩耗でした。露出した金属部分が地面を滑りやすくさせた事実がわかると、「ほうら、私のせいじゃない」みたいなことを言うわけです。へたったゴムキャップは弟が新品に換えてくれました。
そうした強気の発言は、子供たちに迷惑をかけたくないという、母親としての信条から出ているようです。でも、息子だからわかる意地っ張りなその性格に、僕はどこまで安堵し、いつまで甘えられるのだろうと、ここ数年はずっと考えています。ここ数年というのが80代後半から90代前半なので、何かもう訳が分からなくなっていたりしますが、“いつ”が今日や明日であってもおかしくないんですよね。
かつてほど自由に動けなくなった日々を母親はどう感じているのか。それについて息子の僕が照れや言い訳なしで向き合う日は、間違いなくそこまで来ていると思っています。いや、“どこ”や“いつ”や“そこ”ではなく、具体的な期限を設けるべきかもしれませんね。

踏切の脇でタフに健気に咲くアブラナ。強いて言えば僕の母親はこんな感じ。

好きの死角

「映画、嫌いなんです」
そう面と向かって言い切られると、死角からいきなり左フックを食らったみたいに腰が砕ける人が多いはずです。なぜ不意打ちになるかと言えば、映画は嫌いになるものと考えたことがないからでしょう。
それゆえ第1ラウンド開始直後の「映画、嫌い」は、ボクシングに竹刀を持ち込まれたくらい、あり得ない攻撃になります。いずれにせよ、想定外の打撃でダウンしてしまったら、何とか立ち上がって相手の様子をうかがうしかありません。ちなみにその方は女性です。
「子供の頃、父が毎日のようにテレビの○○ロードショーを見ていたせいなんです」
そう言えばかつては、曜日をタイトルにした映画番組が多かった。そこから察するに、テレビのチャンネル権を独占した父親に対する不満が根底にあるようです。何にせよ、嫌いになるには明確な理由があるってことか。
一方、同じ家で育った弟は、父親のチャンネル選びに異を唱えなかった結果、映画好きに育ったそうです。姉と弟、年齢や性別はたまた持って生まれた特質の違いがあるのかもしれませんが、ここでは言及しないことにします。
「ストーリーがあっちこっちに飛ぶのが落ち着かなくて、たとえばテレビのドラマなら、1話と最終話を先に見て興味が沸いたら、改めて全編を見るんです、でないと耐えられません」
導入から締めに至るまで、必死で知恵を絞って文字を連ねていく物書きにすれば、これもKOパンチに匹敵します。それをまともに受けてもなお、こう返しました。家事や育児や仕事に追われる毎日だから、映画やドラマくらいは安定感を求めたいんでしょうねと。
「その通り。さすがわかってらっしゃる!」
なんてことを無邪気なハードパンチャーがおっしゃるので、再戦を申し込むため、どんな映画が好きかたずねました。
「『ノッティングヒルの恋人』とか、若い頃のメグ・ラアインもいいですね」
なるほど、往年のロマティックコメディなら不意打ちのない試合をしてくれるってことなのか。
映画好きとしても、物書きとしても、固定概念が死角になる事実を教わりました。そんなこんなで次戦までに、働き者のお姉さんと良き試合をするためのロマンティックコメディを用意しなければなりません。でも、僕にはそっち方面の抽斗がない。どなたか最終ラウンドまで持ちこたえられる名作をご存じありませんか?

毎年同じ軒先で見かける、映画のセットみたいなブラシノキ。