天災

人知が及ばない天が起こす災いだから、天災。そんな言葉をつくらざるを得なかったのは、受け入れるしかないという諦めを肯定する以外になかったからだと思います。だとしても、天は相変わらず気まぐれで無慈悲。
昨日4月20日午後5時前の地震は、震源地の三陸沖から遠く離れた自分の部屋でも感じました。緩やかだけど確実な揺れで、これは眩暈じゃないだろうとテレビをつけてみたら、画面に満ちた警告の圧にたじろいだ次第です。
その2日前の18日午後1時半頃には、長野で最大震度5強。そのときも、微細ながら気持ち悪い揺れを体感しました。別の場所とは言え短期間で大きな地震が起きることに、どんな関係性があるのか僕にはまるでわかりません。油断するなと天が諭したのかと考えてみて、だとしても身勝手すぎると恨んだりもしました。
今月の話をすれば、4月1日午前10時頃にも、茨城県南部を震源とする最大震度5弱の地震がありました。このとき僕がいたのは病院。膝の手術入院で中断していた母親の、内科系診察の再開に付き添ったタイミングでした。
病院がある場所は、茨城県のとなりの千葉県。なので待合室は、スマホが発する警報音が大共鳴。あの一瞬にして不吉な気分にさせる音を聴いたとき、僕は母親のそばにいることに安堵したのです。いつもと違ってすぐ近くなら、一人暮らしの母親に向けた自分の心配が膨らまないと思ったから。
幸いにも病院での揺れは小さく、診察にも影響は出ませんでした。しかし、僕は新たな不安を覚えることになったのです。耳が遠い母親には警報音がまるで聞こえず。ゆえに待合室に漂った緊張感も関知せず。人知が生み出したシステムを天が嘲笑っているように感じました。
この件には、僕をさらに混迷へと招く続きがあります。自信を失くすといけないので、緊急地震速報の件は黙ったまま診察の順番を待っていると、遠くのほうで幼い子のけたたましい泣き声。病院で耳にするのは切ないと思っていたら、母親がぼそりと言ったのです。「赤ちゃん、泣いているね」
それは聞こえるんかい! とツッコみたくなったものの、母親はそれがどれか不明なのでぐっと堪えました。あれは天が授けた母親の本能なのでしょうか。もはや泣き声で訴えないほど成長した息子としては、人知のシステムにこそ反応してほしいのだけど。
天災という危機に対して、甘すぎるエピソードだったかもしれません。いずれにしても、揺れが大きかった地域の皆さんのご無事を祈るばかりです。

何かをついばむのに忙しいヒヨドリ。これは、撮らせてくれた写真と呼ぶべきですね。

 

上や下や横や斜めがあるでしょうけれど

「なんで上ばかりがお金を持ってるんですかね」
気心が知れているせいか、打ち合わせの電話では雑談が多くなりがちな、若い担当者のつぶやきです。この愚痴というよりボヤキには、資金面だけではなく強引なスケジュール設定に対する嘆きが滲んでいるので、権限または上下関係に向けた不満が含まれているのでしょう。
あるいは、低予算かつ即納品を達成してしまう前例をつくれば、そこから抜け出せなくなる苛立ちもあるはず。気苦労が多そうですね。一方、そんな吐露をすればギャラも低めなんだろうと僕に予感させてしまう点は、気心として受け止めることにします。
金を稼ぐなら、人を働かせる。逆説的には、自分が働いているうちは金を稼げない。かなり乱暴ですが、これは資本主義社会の原理の一部だと思っています。とは言え、もっとも金を稼げるのが企業のトップだとしても、人を効率よく働かせる仕組づくりを考えなければなりません。ゆえに、トップが何もしないわけではない。
しかし、一人の人間による身体を伴った労働にはおのずと限界があるので、より大きな利益を追求するなら、表現はアレだけど人の働きから吸い上げなければなりません。それが、「上ばかりがお金を持ってる」理由じゃないでしょうか。
重要なのは、上と下のどちらを選ぶか。いや、上と下を選べるカードが道端に落ちてはいないので、どちらを目指すかという話ですけれど、僕はフリーランスの原稿書きで生きていく決断をした時点で、下を了承しました。優れた創造力でミリオンセラーを連発できる小説家はさておき、取材で聞いた話を著す個人仕事の生産限界値は著しく低いので、そもそも金稼ぎに向いている職業じゃありません。
けれど、人の話を聞くのも、それをしっかり書き上げるのも好きで、その成果で食べていけるならと期待して、何とか今日まで生き延びています。
という立場を踏まえて、冒頭のボヤキに応えてみました。僕らには無理難題を押し付ける上がいるけれど、同時に僕らには、取材で対面する上でも下でもない一期一会の人々がいて、その方々への責任を果たそうとするのが自分のモチベーションになっているよと。
相手は無言でした。別に納得してくれなくてもいいし、励まそうとも思っていないのです。とにかく僕らは、目の前の課題解決が最優先事項だから。
そんなこんなで、上や下や横や斜めがあるでしょうけれど、ともに本日やるべき仕事に向き合っていきましょう。僕も頑張ります。

躑躅という複雑な字感はさておき、よく咲いているなあと思って。

筋肉痛が好き

いきなりの告白ですが、僕は筋肉痛が好きです。体の一部が強張るのは不快だけれど、それすらも運動した確かな手応えとして、納得と感謝を感じられるから。
筋肉痛とは、普段使わない筋肉を使ったり、同じ動作を繰り返したりすると、まずは筋肉を構成している筋繊維に傷がつく。その傷を修復する過程で起こる炎症反応を指すそうな。そうした筋肉の破壊と再生のサイクルを利用して筋組織を強くしていくのが、いわゆる筋トレ。
一方、よく耳にするのは、歳を取ると2~3日後に筋肉痛がやってくるというボヤキ。嘆く前に思い返していただくと、久しぶりに体を動かした後だったりしませんか? その場合、実は鈍った身体ないしは筋肉に合わせた強度の低い運動しかできていないんですって。となれば、筋肉にかかる負担も小さくなる。そして筋肉には、低負荷だと筋肉痛が遅れるメカニズムがあるらしい。だから筋肉痛の遅れは、必ずしも年齢とは関係がないそうです。
じゃ、早いといつ来るんだ? という疑問が浮かびますよね。個人差ありつつ、運動強度が高めなら、数時間後から翌日には筋肉の叫びが聞こえてくるとか。今の僕は、野球の後だと夜までにはほぼ毎回、背筋が張ります。これは、投げる/打つの上体を使った回旋運動が及ぼす負担の結果でしょう。
そこから推測できるのは、僕の背筋は筋肉痛がなくなるほど頻繁に使えていないということ。対して下半身の痛みが薄いのは、鍛え上げられているというより、筋肉痛が来るほど動かせていない可能性が大。それは、ランニング改めジョギングでは太ももが張ることで実証できそうです。
筋肉痛が好きなのは、そういうところです。しっかり使えば、ちゃんと来る。その反応の正直さが精神的な自信につながっていくんですよね。僕が運動をやめられないのは、それが理由だと思います。
いまだにわからないのは、心のトレーニング。しっかり使うほどに動きが複雑になり、ともすれば闇へと駆け出しそうになるのが僕のメカニズムみたいなので、それは果たして心を鍛えていることになっているのか、筋肉のような良好な手応えがないのでしょっちゅう不安になります。
僕という不出来な者は心身同時の向上が難しいなら、せめて結果が顕著なほうだけは強くしようと、背筋をさすりながら書いてみました。

久しぶりのロールシャッハ的な雲。何に見えるか答えるのも怖い気がするな。

 

審判カメラの憂鬱

先週末、僕らの野球チームの今季初戦が行われました。残念ながら負け。理由はいろいろで、いいところも随所にあったけれど、僕のプレーも敗因の一部に含まれているので、個人的な悔やみが少なくありません。でも、落ち込んで取り返せるものではないので、何にせよ次ですね。
そうしてゲームがあった週には、メンバーが固定のスマホカメラで撮った映像が送られてきます。その真意は、もはや記念や記録ではなく、「己を見返すように」という訓戒が暗に込められていると、少なくとも僕にはそう感じられます。なので、可能な限り反省材料として生かそうと。
けれど、よろしくなかった瞬間を振り返るのは、「やっぱりなかなかどうしたもんだろう」ですね。映像記録は冷徹な客観的視線でしょ。我が身を甘やかす主観的記憶とのズレが大きいときは、「オレってこんなにダサいんだ」と残念な気持ちになります。まぁそれでも、落ち込んで記録が修正されるものではないけれど。
その試合映像、今回は審判カメラ版も送られてきました。説明しますね。草野球にはフリーの審判さんがいて、試合ごとにお願いする仕組が出来上がっています。もちろん有料で。その審判さんが、ヘルメットの上につけたカメラで撮ってくれたのでしょう。そう言えば試合中、何度も頭を気にしていたのは、カメラの調整や記録媒体の交換をしていたからかもしれない。そんな付加価値の高いサービスを提供してくれるのは、審判界での起用競争を勝ち抜くためなのかな。僕は審判さんを頼んだことがないので、よくわかりませんが。
さておき審判カメラは、キャッチャーの真後ろに立つ審判の目線を収めるので、ピッチャーやバッターの動きだけでなく、打球の行方と守備の様子まで確認できる、臨場感ある映像になります。プロ野球中継では見たことがありました。しかし僕らの試合で実現できるなんて、テクノロジーの進化は草野球レベルまで浸透しているってことなのでしょう。ふむ、この審判さんはたぶん人気だろうな。
そんなわけで、技術の発展は反省用の素材が増やすことにつながりました。重要な問題は、個人の生かし方。正直なところ今回の試合は、自分のダサさを直視するだけになりそうで、あまり気が進まないなあ。

こちらがチーム初の審判カメラ映像。この打者が当日2度目のデッドボールを受ける直前です。

文化に触れた記憶

1923年4月18日は、旧ヤンキー・スタジアムが開場した日だそうな。旧とするのは、2009年に新しい球場ができて、メジャーリーグのニューヨーク・ヤンキースの本拠地がそちらに移ったためです。ちなみに旧は、2008年いっぱいでお役御免。解体跡地には記念公園があるらしい。
いずれにしても遥か彼方の古い話なので、たいがいは「へぇ~」で終わるのですが、僕にはその旧スタジアムでヤンキース戦を観たという、ちょっとばかりの思い出があるのです。
ありがたいことに仕事で訪れた2003年の、たぶん9月の終わり。ニューヨーク州のとなりで取材を終えた後、「飛行機の都合で」と説明され、ニューヨーク市に2泊した中日にスタジアムを訪れました。3カ月くらい経ってからわかったのだけど、同行編集者は日本を立つ前にヤンキーズ戦のスケジュールを確認した上で、ニューヨーク市に滞在するつもりだったみたいです。
そんな姑息さが福音となって、海外でスポーツ観戦をする初体験を楽しむことができました。2003年にヤンキースに入った松井秀喜さんを初めて見たのもニューヨーク。それも含めて、噂に聞いていたアメリカの球場の美しさに感動しました。歴史を感じさせる建物の古めかしさはもちろん、何より格子柄に刈られた芝生の緑のまぶしさは、決して大げさではなく、今でも瞼の裏に焼き付いています。
海外スポーツ観戦は、カナダのバンクーバーでもあります。街がクリスマス気分に包まれた、たぶん2018年頃の12月半ば。アイスホッケーのNHLの試合を見たくて、地元カナックスのアリーナへ。このときは試合予定を知らなかったのだけど、運よくホームゲームが開催。けれど当日のチケット入手は難しいだろうと、最初はダフ屋を検討しながら、ダメ元でアリーナのチケット売り場に行ったら、リンクから遠い席ながら観戦可能になりました。
その平面図では遠かった席は、気を許したら転げ落ちそうなほど高い場所。日本の建築基準では無理そうなスケールの違いを目の当たりにしました。おばあちゃんを交えた家族が応援していたり、ハーフタイムではサンタの衣装を着た女の子のスケートショーがあったり、それもまた本場ならではと深く感銘したのです。
要するに、文化に触れた記憶です。異国では観光地巡りも興味深いけれど、人が集まる場所でともに熱狂するのは、思い出の定着度が高いのかもしれません。そんな旅がしたくなった、という話でした。

2週続けて訪れた神谷町のゴッサムシティ感。

いろいろだよね

ここでは、可能な限り時事に触れないようにしています。その理由は前にも書きました。世間の耳目を集めている話題は、一定の経過を知った上で個人の意見を述べるべきと考えているからです。書いたことには責任を取りたいし、何より得体の知れない世間が発するデマや憶測に乗っかるのは愚か。ゆえにできれば、昨日自分の周りで起きたような他愛なき話ばかりを紹介したいと思うのです。
たとえば、久しぶりに会ったフォトグラファーが、前の現場の憤慨を隠せないまま現れた件とか。指示権限を持つ責任者の口ぶりが、我慢の限界を刺激するものだったそうです。
「言い方なので、言い返し難いじゃないですか。なおかつ指摘の中身が、ただの好き嫌いになっていた。いや、好き嫌いはあって当然だけど、そういうのは撮った後ではなく、撮影前に正しく伝えてほしかった……」
そうした憤りは、様々な場面で噴出していることでしょう。そしてまた、個人の職能を生かして働く僕にも、似たような経験がたくさんあります。だからわかるのです。彼が嘆いているのは、敬意がまるで感じられなかったこと。
いやまったく、そういう人はいろんな場所にいるものです。それが彼より年下の女性と聞けば、男性の僕にはいろんなバイアスがかかった人物像が浮かび上がってしまいます。それはいったん横に置いて、冗談半分でこう返しました。「じゃ、その仕事、辞めちゃえば?」
これは、僕らフリーランサーが有する仕事を選べる権利をもとにした、半分は本気の発言です。それは彼も理解した上で、「なんですけれど、4回中の2回目の出来事だし、撮影自体はおもしろいので、なんかねぇ」
そんなふうにして、誰もが個々のプライドをすり減らしながら、与えられた責務を果たそうと努めています。おそらく、態度は違えど年下の女性の責任者も。なので話を聞くほうは、憤慨を吐露する人を軸に同情を寄せていきます。いろいろだよねと、何の示唆もない有体の常套句とともに。
時事も、本質的には同じ。僕に直接的な影響が及ばないことがほとんどだから、いろいろだよねと受け流せばいいはず。にもかかわらず憤ってしまうのは、僕もまた世間に含まれる生き物だからかもしれません。

ハナミズキらしい。造花みたいな形や色合いだなあと思って。

羨望と夢見にまつわる睡眠の謎

睡眠についてたびたび触れるのは、謎のままのテーマが二つあるからです。まずは時間。
夜勤がシフトに組まれる仕事を始めた知人に、そりゃさぞ大変でしょとたずねたんですね。僕にもかつて夜勤の経験があるから。
「大丈夫ですよ。もともと夜型だし、4時間以上は寝られない体質だから」
ほおら、いました。うらやましい人。僕は最低7時間。できれば8時間。それだけの睡眠を確保すれば、眠気が大敵の机仕事で日中フルでパフォーマンスを発揮できる。これは、生まれつきの特性の理解と経験で得た知見ってやつです。
だから他の手立てはないのだけど、僕の睡眠時間の半分でも活動できるなんて、どうすれば可能になるのだろう。その謎は、しっかり寝る自分が愚鈍に感じられるコンプレックスにつながっています。
時間よりも謎というか問題っぽいのは質。これまたよく書きますが、僕は朝方の夢見が悪いみたい。昨朝もなかなかのものでした。
橋が途絶えた工事現場のような場所。真下には、コンクリのようなドロドロしたものが埋まった池があり、そこを飛び越えないと向こう岸に行けない様子。しかし池は、助走距離があったとしても届かないほどの幅。なのに僕の前にいた若者は、軽々と飛んで見せた。
すぐさま僕の順番になったとわかったのは、周囲からの視線。当然のことながら躊躇。ふと左側に目をやると、池の縁を覆うような盛り土があって、そこを伝えば安全に向こう岸へ渡れるはず。そうして再び周囲の目線を見渡すと、誰もが無言のまま、前者に続けと促している。
戸惑った刹那、僕の横にいたらしい男がうつ伏せでダイブ。飛沫さえ上がらないほど粘性の高いドロドロに半身を沈めて沈黙。その様子を僕は、男のすぐ脇で仰向けで確認。ということは、自分も埋まっているのか? 不安になって右手を動かそうとしても、ドロドロにはまっているのか動かず。これはマズいと必死に右手に力を込め……たところで、右手を跳ね上げた姿勢で覚醒するのです。嫌でしょ、こんな目覚め。しかもアラーム40分前だったりするから、もう一度寝ることもできない。
何と言うか、地上波で放送できない恐怖心理を描くネットフリックス作品みたいなんですよね。自分では気づけない精神的な支障がサブスク的悪夢を呼ぶのかな。ここで書くネタを得られる以上の成果が見当たらない、けっこうしんどい夢を見てしまうのはなぜか? これはここ数年の謎です。答えが解けるのも怖い気がするのだけど。

この風景で頭に浮かんだ言葉は林立。他にはないか。

日付に関係なく必ずお城へ

誰かに言われないと日付まで思い出せないのは、自分がまるで痛まないほど遠くにいたからだと思わざるを得ません。
熊本地震と呼ばれる災害が最初に発生したのは、2016年4月14日の午後9時半頃。最大震度7で始まった地震は、日が変わった翌日の未明まで、最大震度6弱から5弱の激しい揺れを数回繰り返しました。
となれば10年前の今日15日は、一夜明けて刻々と被害状況が判明する中、不安が拭えないまでも、いったん落ち着けた人が少なくなかったと思います。ところが、16日になってすぐの午前1時半頃に再び最大震度7の地震。それもまた日が昇るまでに、初日の倍近い数の強い揺れが襲ってきました。記録によると熊本地震の範疇に入る地震は、2019年1月まで続いたそうです。
この災害で驚かされたのは、一度大きな地震が起きれば当分は大きな地震が来ないという僕らの常識があっけなく覆されたこと。自然災害には相応のメカニズムがあって、すべからく起こるべくして起こるのかもしれないけれど、いずれにしても自然の無慈悲さを痛感せずにはいられませんでした。
コロナ禍前に仕事で熊本へ行ったとき、空き時間で熊本城公園を歩きました。震災前の熊本城も見ていたのだけど、かつての名残がないというより、多くの場所が地震直後から手つかずのようで、つまりはまったく別の姿で、見てはいけないものを目の当たりにしたような心持ちになりました。あと、とても暑い日だったので、公園を徒歩で一周した後でTシャツが汗まみれになり、そのまま洋服屋で新品のTシャツを買ったのもよく覚えています。
そしてまた、コロナ禍後に仕事で訪れたときも熊本城に行きました。かなり修復が進み、また、こんな表現は不適切だけど、隠すべきところは隠せているようでした。
そんな様子に触れてホッとしていいのかと思ったりもしました。復旧がはかどっていない場所がたくさんあるだろうと想像できたから。人の心の痛みもだって癒えているとは言い難いし。
それでも熊本城を見ておきたかったのは、余所者の余計な使命感みたいなものに背中を押された結果です。野次馬と揶揄されようと、現場に触れて何かしら考えることが、少なくとも僕には大事と思えたから。いつかまた熊本に行ける機会があれば、日付に関係なく必ずお城へ。

直感的な美意識だけで撮ったいつかの夕景。いつだったっけ。

然るべき振舞いについて話すつもりです。

具体的な事例に触れざるを得なくなりますが、3月末に報じられたベントレーによる玉突き事故。ひき逃げの罪で犯人が再逮捕されたようですが、この件で違和感を覚えたのは、車名ないしはブランド名がニュースのタイトルに使われたことです。
それについて話す前に、お断りを。僕もクルマを運転するので、不運な瞬間が事故に発展する可能性は理解できます。ただ、やはりその場から立ち去ってはならない。なおかつ今回の犯人がクルマの正式な所有者なのか、僕はまだ知りません。それらもろもろをいったん横において先を急ぎます。
ではなぜ事故報道に関して、単に自動車ではなく、わざわざベントレーと伝えなければならなかったのか? それは、「誰もが知る高級車だからでしょ」となりますよね。そこで考えてみたのです。どのあたりから車名ないしはブランド名が報じられるのか。
かつてなら、ドイツのメルセデス・ベンツやBMWはその枠に入ったでしょう。けれど国内でかなり浸透したので、現在なら高級車止まりかもしれません。一方でイタリアのフェラーリやランボルギーニは、いまだやり玉に挙げられそうです。英国発のベントレーもそう。新車で2千万円から5千万円台の価格帯は、報道の背景に潜む特筆点になるのでしょう。
となれば、一般には手の届かない高額なクルマだけが、車名ないしはブランド名が晒されるという図式になるわけですよね。気になるのは、その心理。さもしい魂を抱える僕なりの見解ですが、よく言えば庶民の感覚、逆なら貧乏人のやっかみが、そういう計算を成り立たせるのだと思います。
さらに考えを乗じると、一般的な感覚を超えたクルマを所有する人には、事故を起こすような運転をしない知性と、仮に事故を起こしても正しい判断ができる理性を有していてほしいという期待があるわけです。
これこそやっかみや痩せ我慢に聞こえそうだけど、いくら高くても値段がついている限り、モノだけなら僕でも買えます。しかし、高額・高級な品を上手に使える生活ができる自信はない。要するに身の丈に合わないから、手を出さない。というのは貧乏人らしい正当性の主張ですが、でもごく単純に、乗るはずのクルマに乗せられるのは、僕は極めてカッコ悪いと思うのです。
然るべき振舞いについて話しているつもりです。実際のところ、その基準は様々なんでしょうね。

見慣れてしまうには惜しいほど大胆なデザインだなあと思って。

『黒羽がもたらした道義的責任』の続報

約1週間前、『黒羽がもたらした道義的責任』と題してお伝えした件の続報です。その前にあらましを。
ベランダから見下ろす電信柱の頂上付近で、3月中旬からカラスが巣づくりを開始。件のスペースは彼らにとって立地条件がよいのか、毎年のように営巣を試みる姿を確認してきたけれど、卵を産み育てるところまで至ったケースは皆無。ゆえに今回も未遂に終わるだろうと高を括っていたら、見る見るうちに小枝の集合体が巣らしき形状に……。
その経過を定点観測してきた僕にわき上がったのが道義的責任。営巣による停電の可能性や、子育て中のカラスの過剰防衛を想像し、電力会社に相談。連絡した翌日には「巣を確認しましたが、すぐには機材に被害が及ばないようなので、ひとまず様子を見ます」という報告。いずれにせよ、予期せぬ厄介事に巻き込まれてしまった不安定感を味わう羽目に……。
ここからが本題ですが、電力会社から確認報告があった日あたりからカラスが巣に来なくなりました。1回か2回、数羽が大声で鳴きながら巣の上空を旋回した姿を目撃しただけ。営巣作業中は、このままだとヤバいかもと思ったのに、放棄されるとがっかりするもんですね。それでも観測を続けていたら、一度だけメジロらしき2羽の小鳥がその巣に降り立ったのを見ました。空き家物件の確認だったのかな。メジロには手に余るサイズだったのか、すぐに立ち去りましたが。
それにしても、今年のカラスはなぜ途中で営巣を諦めたのだろう。理由は彼らに聞く以外にありませんが、その電信柱の頂上付近は、おそらく何度試してみてもヒナを育て上げるのに不適切なのかもしれない。雨ざらしになるし、クルマや人の通りも少なくないし。
そんなわけで、卵を産んでからの撤去では気の毒かもと思っていたので、諦めてくれてよかったです。ただ、かなり出来上がった巣は手(?)が入らなくなったことで生気を失いました。まさに空き家ですね。人間界でも問題が生じているのに、カラス界ではどう対応するんだろう。まぁ、放置か。邪魔と思うなら人間が片付けろと。停電事故を引き起こす金属製ハンガーを一切使わず営巣したんだからと考えていたら、なかなかのものですね。さておき、多くの人が知らないまま危機が去ったのは確かみたいです。

営巣の顛末。観測してきた僕には、空き家の気配がつかめます。