風呂の思い出

今日11月26日は「いい風呂の日」。いやもう11月は「いい」の連発だな。毎日が記念日すぎる月かもしれない。
で、風呂に関して何か書こうと思ったのですが、自宅ではもう何年もシャワーのみだし、温泉に行きたい気分を抱かないタイプでもあるので、まぁ、何もないんです。嫌いではないけれど、ゆっくり浸かるのが面倒なんだなきっと。とは言えお題にしちゃったので、とりとめもなく記憶を巡らせてみることにしました。
たぶん3~4歳までは内風呂がなかったんですよね。内風呂って、死語か? 温泉なんかで部屋に備え付けの露天タイプをそう呼ぶのかな。僕は泊まったことがありませんが、あれはかなりいやらしいよね。
内風呂がなかったからどうしたかというと、銭湯に通っていました。それから、近所の家の風呂にも入らせてもらったんですよね。昭和中期の庶民生活では当たり前の風呂事情だったと思います。たぶん。
古臭い話を続けると、幼稚園時代に引っ越した家には内風呂があったのですが、これが最初は薪をくべるタイプでした。その薪割りとくべるのが幼い頃の僕の役割。しょっちゅうサボってたかもしれませんが。そんな僕に父親はよく言っていました。「それはボイラーマンって仕事なんだぞ」と、ウルトラマンにでもなった錯覚を与えようとしたんでしょう。おだてなんかに乗るもんかと思いましたけど。
公衆浴場で前を隠さなくなったのはいつくらいだったのかな。おそらく中学校の修学旅行ではまだで、高校時代に友達と銭湯に行ったときはフリーだった気がします。互いに生えそろっちゃうと、「なに隠してんだよ」って勢いになったのかもしれない。女性はどうですか?
それから……時々話すのは、越後湯沢で中越地震に直面した瞬間はホテルの大浴場で真っ裸だった件。あとは、そうそう。都内の銭湯の取材に行ったとき、そこのおばちゃんが「大きな風呂は水圧が高くてマッサージ効果があるって偉い先生が証明してくれたから、それ書いといてね」と念を押されたことを思い出しました。やっぱり風呂っていいんだなと改心しかけて、いまだにシャワーのみ。おばちゃん、ごめん。おそらく今夜も風呂には浸かりません。お湯を溜める時間が待てないのです。
今日は出版関連の会社が位置づけた、「いい付録の日」でもあるそうな。雑誌制作経験がある身として、「本の中身で勝負しろよ」と頑固な発言をしそうなのでやめにしました。

1週間も間を置くと、池の公園は真っ赤と真っ黄になるのね。

しつこい中毒

僕が何かの中毒になるとしたら、それ自体の成分ではなく、僕の性格のしつこさが原因になる気がします。
井村屋の『北海道あずきバー』ご存知? コンビニとかで扱っている、たぶんマイナーじゃない棒のアイス。この類、僕はあまり食べませんでした。時には甘いものが欲しくなるけれど、実際に口にするとたいがいは「あっまぁ~!」と後悔するからです。
ただし、アンコは別。特につぶあんは、いわゆる別口の別腹なんですね。それでも件のアイスは手に取らないようにしていました。おそらく予感があったからでしょう。
たぶん1カ月くらい前。あれは何ていうんだろう。一瞬だけ魔の時間に陥ったというか、気がついたときには近所のコンビニのアイス売り場で『北海道あずきバー』をつかんでレジに並んでいました。今の売り場って上に蓋がないじゃない。あれはよくないよね。
何で買っちゃったんだろうと思いながら久しぶりに食べたら、美味かったんです。甘さ控えめでさっぱりしていて、それなりに小豆の風味もある。で、翌日から大人買いですよ。一度にまとめて3本。コンビニの人にも、「何だアイツ?」って訝しがれたかもしれない。それさえ気にしないで、きっちり中2日でまた3本購入。1日1本と決めたからね。そう言えば、1本いくらするのか知らないままだな。
その時点では、こんなこといつまで続けるのかなと漠と考えているだけでした。中毒は、数日前に発覚しました。
冷凍庫のストックが1本となったのでいつものコンビニに行ったら、あるはずの場所には目当て以外ばかり。そんなはずはないだろうと、多少の自制心を発揮しつつ周囲をまさぐっても、すでに馴染みとなったパッケージは発見できませんでした。見つけたのは、売り場近くの「商品の入れ替えをします」という張り紙。あれは僕だけに向けたメッセージだったのだろうか。
そこで我に帰ろうとするんです。忌まわしい性格が顔を出すのを知っているから、他のコンビニやスーパーを探すんじゃないぞと暗示をかけようとする。探したと思います? 探しちゃったんですよ。でも、ないの……。
今どんな気分でいるかと言いますと、『北海道あずきバー』を食べられなくなった無念さより、消し切れないしつこさに対する恨みが強いです。こういうのはいくつになっても変わらないんですね。しつこさ自体が中毒なのかもしれないな。どうでもいいことをここまで書けるのもそうだな。

ボックスのほうじゃないんだよなあ。って、また気づかぬうちに買ってる。深刻じゃない?

フレディ

今日はフレディ・マーキュリーの命日。彼の地に旅立ったのは1991年11月24日。30年前なので、昨日のことのようにとは言い難いけれど、大きな話題になったのはよく覚えています。死因というか病名が衝撃的でした。HIV感染によるエイズ発症。最期は肺炎。当時はHIVもエイズも正体不明の恐ろしい感染症という認識で、なおかつ同性愛者に患者が多いという大きな誤解がありました。ちなみにHIVはウィルスの名称で、エイズはHIVの感染で起こる病気の総称です。僕なんかは今もって違いが曖昧だったので、改めて調べたほどでした。
メディアがフレディにエイズ疑惑を持ちかけたのは80年代半ば以降。ひとつの理由は、体調不良が顕著になりかけたこと以上に、男性のパートナーがいるとわかったから。酷いもんですよね。今じゃ許されないプライバシーの侵害です。けれど昔は、煌びやかなロックスターには常にセンセーショナルなゴシップがつきまとっていた。それがまた新たな誤解や偏見を普通の人々に与えることも、古のマスコミは気に留めなかった。まぁ、時代ってやつでしょう。
そうしてフレディは嫌疑のままに亡くなってしまうのだけど、ある意味では生身の肉体が重い病気や周囲の憶測から解放されてからのほうが自由になれたのかもしれません。それが真のアーティストであることを証明する唯一の手段、と言えば悲しくなりますが、歴史が物語るところではありますね。彼亡き後でも彼の歌声はこの世界に響いているわけだし。
元気になれる歌を誰かに聞かれたら、僕はフレディ・マーキュリー全部と答えます。何だかよくわからないけれど、フレディの声を聞くと体がちょっと膨らんで地面から浮き上がるような錯覚を起こすのです。いわゆるアガるってことなのかな。そんな機会はまず訪れないでしょうが、僕に入場曲を与えてくれるならクィーンから探したいですね。何を選ぶか考えるだけでワクワクする気持ちは、フレディの命日が何度訪れても薄れない気がします。

久々の町は目がチカチカ。

感謝感謝

そんなわけで、勤労感謝の日です。元々は旧暦のこのあたりで、天皇が今年の収穫物を神々に供えて感謝を伝える新嘗祭が行われたことが起源らしいです。戦後になり、新たに国民の祝祭日を決めるとき、新嘗祭の主旨を尊重しつつ、収穫に対する感謝を示す意味合いで現在の名称になったそうな。
となると、得られることなのか、得るための労働なのか、労働した人なのか、果たして何に感謝すればいいのか曖昧ってことにはなりませんか? いやいや、全部に感謝すりゃいいじゃんって話ですね。
そんな気持ちになれない不寛容な僕は、時々で感謝の矛先が変わります。仕事が立て込んでいる時期は働く自分への感謝を求めがちになり、仕事がないタイミングでは働けることへの感謝を味わいたくなる。何と傲慢なこと。
それでも働かなければ得られませんから、忙しい、もとい人気があるほうがいいに決まっています。だから今日は何に感謝すべきかと言えば、勤労させていただける幸の他にありませんね。まあ謙虚だこと。
連日の原稿書きで頭の芯がふらぁっとなって嫌気が差しそうになると、マジで呪文のようにつぶやくのです。仕事がなくて不安になった自分を思い出せと。ああ、感謝感謝。

雨降りなのに窓が曇るのは気温が高いのかね。南風のせいかね。

進化の謎を解きたいという人間の欲求は

数日前の昼間にたまたま見た『東京ロストワールド 秘島探検の全記録』。あとで調べたらBSのそれは、2018年あたりにNHKスペシャルとして放送された番組の総集編みたいでした。DVDも発売されているらしい。
さておき僕がつい見入ってしまった『全記録』のあらすじはこうです。1973年からの火山活動によって突如陸地を形成した西之島。それを島の始まりとして、約4千万年前にできた父島列島、約3万年前の南硫黄島。そしてリンゴにたとえるなら芯しか残っていない2万年前の孀婦岩(そうふがん)を訪ね、島に宿る生態系の進化経緯を調査。その記録というわけです。
どの島も東京都に属しているのがまず驚きでしたが、中でも南硫黄島。海に浮かぶおむすびみたいな素っ頓狂な形ながら、標高約900メートルの中腹には常に雲がかかり、ここには太古の生物が棲んでいるとか、世界征服を企む秘密組織の隠れ家だと言われたら信じてしまいそうな、いかにもミステリアスな島なのです。
そこへの上陸も困難なら、海からいきなり切り立つ山というか岩を登るのも困難。しかも確か2週間だったか調査隊が滞在するための水や食料も運ばねばならない。さらには外界からの異物混入を避けるため、島に入るには全員が一度海を泳いで物理的に体を清め、上陸後は新品の衣装で活動。排泄物はどうするのかと思っていたら、それもすべて持ち返ったのだとか。なんとまあ大変なこと。
そうした科学系のプログラムがけっこう好きです。事実の一端が明らかになっていく瞬間はもちろん、科学者たちの無邪気すぎる好奇心が高まっていく様子も興味深いから。そう、ほぼ垂直の岩山を登るのにプロのロッククライマーが調査団に参加していることにも感銘を受けました。
その一方で、「放っておいてもいいんじゃない?」という思いも沸くのです。進化の謎を解きたいという人間の欲求は、たぶん自然にとっては迷惑でしかないだろうと。現に僕らは自分たちが住みやすい形に環境を変え、その改造によって自分たちの未来を危ぶむようになった。
ではなぜこの星は、あるいは神は、人間をこの地上に降ろし給うたのか? 生命の誕生という壮大な謎解き役を任せるため? どうなんだろう。ただ、進化というものに素直な興味を覚える感覚が僕にもあり、あれこれ考える機会を与え給うとするのがそれら科学の役割なのかもしれません。さて、どう思います?

赤くなる途中? それとも赤くなれない途中?

家に持ち込んじゃいけないもの

家に持ち込んじゃいけないもの。その筆頭は、まだいまのところウィルスの類になるのでしょう。その厄介者を引き入れないために、仕事を自宅に招いた。けれどかつては仕事も家に持ち込まないようにしていた方が圧倒的に多かっただろうと思います。
会えなかった人との交流が戻り始めたところで話を聞くと、僕の周囲ではテレワーク継続中の人ばかりです。さすがに慣れましたかとたずねると、難しい面は解消し切れていないと答える人もまた少なくありません。
お子さんがいる家庭は特に大変らしいですね。学校から帰ってくると、まず静寂が破られてしまい、安定的な業務の遂行が叶わなくなる。でも、子供側にしてもたぶん迷惑な話なんでしょうね。親がいるのに話しかけてうるさがられるなんて、そんなことなら家に仕事を持ち込まないでほしいと文句の一つの言いたくなるはず。テレワークが始まって1年以上が過ぎても家庭内の齟齬が消えずにいるということは、家族の誰にとってもフラットな安寧を保たれるべき自宅と仕事は絶縁したほうがいいのかもしれない。
一方で僕はと言えば、長いこと自宅仕事を続けてきたので、世間が異なるモードに入ってもほぼ支障がありませんでした。が、前にも書きましたが、ここに来てオンライン取材が増えています。これは、人に会えるようになり取材が可能になってきただけでなく、テレワークの一般化に伴って「互いに距離が離れていても会話はできるじゃん!」という発見が功を奏した結果だと思います。時間や経費のコストも節約できるしね。
確かに便利です。僕にすれば取材と執筆が一つの場所で完結するわけですから。しかし、最近気づいたのは明らかなストレスの発生でした。人と話すときにはそれなりの緊張感を発動するのですが、それが自分の部屋に漂ってしまうことに違和感を覚えたわけです。「何でそれがウチに?」という戸惑いと言っていいかもしれません。カメラで部屋の一部も相手に晒しちゃうのも、自宅なのに見映えの悪くない服に着替える非日常的行為も、その違和感や戸惑いを増長させていきます。
まぁ、仕方のない話です。きっとオンライン取材という発明は今後も重宝されるでしょうから。他方では再発見もあったと思うんですね。家に持ち込んでいいものとそうでないもの。できるけれどやらないほうがいいこと。そのあたり、少なくともメンタルの部分で正しく分別したほうがいいように感じています。どうすればいいかは、まだ見つけられていませんが。

JR四ツ谷駅。たまに訪れてもこのあたりのホームは変わってないみたいで落ち着きます。

大人気を邁進

大谷翔平選手が満場一致でメジャーリーグのア・リーグMVPを獲得しましたけれど、日本人としてはイチローさんに次ぐ二人目なんですよね。それ以外にも記録の話になると必ずICHIRO SUZUKIの名前が出てきますから、改めて背番号51位の偉大さを思い知るわけです。
背番号と言えば17ね。大谷選手の。彼がエンジェルスに入りこの番号のついたユニフォームを着た瞬間からそれまで以上に親しみが沸いたのは、僕にとっての背番号は17以外にあり得ないからでした。しょうがないのよ。名前が十七なんだから。何しろ子供の頃から他の数字を寄せ付けたことがないし。でも、ささやかれるんでしょうね。憧れてんでしょって。反論するほどに自己顕示欲の強さをアピールするような気がするので、「そうです」って言うようにします。相手はMVPだもん。しょうがない。
そんなこんなで、ここのところは個人的に大人気と呼称している仕事の山が続いております。標高2000メートルを超える尾根をひたすら歩き続けている感じ。酸欠気味ながら、何とか締め切りに追いつかれない状態を保っていますが、それでも日々は無音のドミノ倒しのごとく静かに確実に過ぎ去っていき、気付けば今月も20日。この先で誰かがMVPに選んでくれるなら、もっと頑張れるか? いやいや、賞をもらうために頑張るのではなく、頑張った結果で賞をもらおう。何だそれ? よくわからないけれど、大人気を邁進します。

ほぼ皆既月食。手持ちのカメラではこれが限界。ほぼほぼ写ってるかな。

 

などと思案している瞬間にも

高齢者の運転操作ミスによる事故のニュースが続いていますね。あるいは操作ミスによる事故は他でも起きているのでしょうが、高齢者の場合は死傷事案になってしまうことが多い点で、もはや見過ごせない社会問題と化しているのかもしれません。
先日は被害者も加害者も80代でした。身につまされるんです。母親がまさしく同年代だし、生きていれば父親もそうですから。父親は亡くなる70歳まで、やがて入院する病院への通院も当初はクルマを利用していました。もし病気にならなかったら、いつまで運転していたんだろう。写真が趣味であちこち出かけていたから、免許の自主返納はだいぶ渋ったかもしれませんね。
でも、最後まで乗っていたクルマはMTだったっけ? なら大丈夫か? いやいや、どうしたって歳と共に反射神経が鈍っていくから、どこかで怖い思いをしたらそれを機会に諦めたかもしれない。いずれにせよ、「やめろ」「やめない」というような親子間の切迫した会話をせずに済んだのは幸いの内に数えていいかもしれません。
対策……。AT免許講習の実際を知らないで書いていますが、右足だけでアクセルペダルとブレーキペダルを踏むのではなく、アクセルは右、ブレーキは左と操作を完全に分けた指導は大事かもしれません。てなことを昔に免許を取った人に言っても今さらですね。ヒューマンエラーをゼロにする完全自動運転化もまだ未来の話だし。免許取得に年齢の制限があるなら、免許返納にも年齢の義務を設けるべきという意見もあります。ただ、足腰が弱ったご老人こそクルマが必要という実態もあるわけで、どうしたものでしょう。
などと思案している瞬間にも、悲惨な事故が起きてしまいかねない。元から免許を持たない母親が、そんなクルマによる被害に遭ったら僕はどんな気持ちになるのか。あるいは、自分はこの先いつ運転をやめようとするのか。答えが見えないまま書いてみいて、今は情けない気持ちでいっぱいです。

地震が来たら軒下までダッシュしようと思いながら見上げてる。割れ落ちないんだろうけど。

 

持たなくて済むなら

「このクルマ、何キロ出るの?」と突然たずねられ、せいぜい120キロと答えたら、およそ7割の落胆を感じさせるような「ふ~ん」という音が返ってきました。劣等感はないです。そもそもA地点からB地点まで少しでも速く到達することを目的にしたクルマじゃないし、すでに生産から四半世紀が過ぎているオンボロだし。そして何より、他者・他車に対して迷惑になるほど遅いわけでもないから。ゆえに僕は自分のクルマの性能に何の不満も感じていません(旧式ディーゼルエンジンの環境性能の低さは別ですが)。
むしろ、遅くてよかったと思っているんですね。まぁこんなもんだよなと諦められれば、少しでも前に行こうとする焦りから解放されます。図体のデカいクルマががむしゃらに速いってのも、見た目の暴力性が高いですからね。
逆に、こんなもんじゃない、まだまだいけるだろうという切迫した期待感を持ってしまい、それに応えるスペックをクルマが有していたら、あれこれ何かと厄介なことになりそうです。まるで自慢にならないけれど、これまで何度か速度超過を取り締まられてきましたが、そのほとんどは借り物のクルマに乗っているときでした。いやいや、クルマに責任はありませんね。すべては乗り手の自制心の問題です。
でも、とあえて言わせてもらえるなら、速いクルマは速く走らせたくなるものです。クルマのほうからも「こうじゃないなあ」と急かしてくるようなこの気持ち、わかってくれます?
持たなくて済むなら持たないほうがいい。これはひとつの結論ですね。刀を持てば斬ってみたくなるし、拳銃を握れば打ってみたくなる。それと同じ理屈で。
とは言え、そんな考え方に負け惜しみの成分が含まれているのは自覚しています。まともに売られている工業製品のスペックを武器にたとえたらメーカーの人々も嘆くだろうし。
そこで、速くないというより遅い僕のクルマの誇れる部分を探してみるんですね。不整地を走るのは得意だから、仮に災害が起きたら救援・救助に幾ばくかは協力できるかもしれない。そんなメリットを冒頭の質問者に伝えようとして、やめました。何気ない問い掛けにむきになるより僕が持つべきは、安全なドライブに不可欠な技量を支える安定した精神に他ならないから。それ以外は持たなくていいというのも、揺るぎなきひとつの結論ですね。

お天気のいい夜も続いているようで。

 

い続けてほしい町

何となく好きな町、というのがありますか。この場合、街ではなく町としたのは、字感的に後者のほうが狭くてとっつきやすくて親しみやすそうという個人的な感覚に基づいています。
さておき、僕のそれは御茶ノ水です。不思議なもので、正式な住所にその地名ないんですよね。界隈の通称。それゆえ、どこまでが御茶ノ水かはよくわかりません。個人的には、住所で言えば神田駿河台一帯。詳しく言うと、東西は聖橋から御茶ノ水橋。南北は靖国通りからJR御茶ノ水駅までの、およそ長方形のエリアになります。
かつては、というか高校生までは、何となくをはるかに超えてとても好きな町でした。お目当ては楽器屋。たぶん日本でもっとも集中的に幾多の楽器屋が軒を並べているところではないでしょうか。
夏休みのバイトでギターを買おうと思ったのが高校1年生の一学期。その頃から毎週土曜日は学校帰りに千代田線で御茶ノ水へ。夏休みの間はバイトのない日曜日だけ向かい、あれやこれやと品定め。二学期に入ってすぐに現金を握りしめ、定価5万円のヤマハをケース付き4万5千円で買いました。あれは下倉楽器だったな。
ギターを手に入れたならもう用はないはずなのに、それ以降も月に一度は学校帰りに通い続けました。新しいギターが欲しかったわけじゃないのにしつこかったのは、ただ単純にたくさんのギターを眺めるのが気分良かったことと、ちょうどいい賑わいを保ったこの町の雰囲気が好きだったからです。
今となっては付近で仕事がない限りは出向きません。もしギターが欲しくなったなら、飛び込みで店に入るのとは違う、より具体的な他の方法を獲得していますから。嫌らしい言い方だな。でも、何かの用事で近づいたら、やっぱり昔のように楽器屋巡りをしてしまいます。ネコが特別の目的もなく縄張りをパトロールするみたいに。とは言え試し弾きはしません。あれは店員さんや他のお客さんに腕前を試されるような圧迫感を覚えるから。恐る恐る試し弾きしている人を眺めるのは好きですけどね。高校生の頃の自分を見るような懐かしい気持ちになるから。
他の町と同様に、お茶の水もいろいろ変化しているのだろうと思います。高校時代、ただのハンバーガーとチーズバーガーの2個を食べたマクドナルドもすでにないし。それでもたくさんの楽器屋と、駅前の丸善がある限り、そこは僕の何となく好きな町でいてくれます。い続けてほしいです。

ニコライ堂も何となく好きな建物だなあ。