嫌な言葉

親ガチャ。最近耳にした中ではいちばん嫌な言葉だなあって思って。
子供にとっては貧富も容姿も親次第。一度決まってしまえば何も変えられないってことなんでしょ?
ふむ。
自分では決められない運命というものがあるとするなら、この世はガチャだらけじゃないかと。であればガチャを言い出したところで何も始まらないだろうと。ましてや子供だけが親をガチャ扱いしていいものかと。
あるいは、仮にハズレクジを引いたとしても次はアタリを引き出せるよう運の強さを鍛えたらいいじゃないかと。
以上のような考え方は、いろいろあってもここまで生きてこられた世代の経験値から来る古い概念だと諭した文章をネットで見つけました。この世のすべてに外れはないという意見も、見方によっては同類なのでしょう。
もっとも恐ろしいのは、どうあっても親ガチャによって人生が好転しないと諦めている特に若い人たちが実際にいるかもしれないという想像です。
だからぜんぜん笑えないなあと思って。音の響きに相反するものが潜んでいるなら。
少なくとも僕は、自分がそうであっても親がハズレと考えたことは一度もありません。そんな当たり前の思いが抱けること自体が幸福なのだと言われたら、いやまったく返す言葉はないです。

黄葉が多勢の公園ですが、紅葉もいよいよ気合いを入れ始めたご様子です。

忘れ得ぬ日付

11月15日。さて……。
古い暦の日付なので、あえて十一月十五日と記しますが、この日は坂本龍馬の誕生日と命日です。奇しくも同じなのが何ともこの人らしい。個人的には命日の印象が強いのですが、すべて消えてしまったここの過去記事で、龍馬が刺客に襲われ絶命した慶応三年十一月十五日は、今の暦に直すと1867年12月10日に当たるので、現代を生きる者としてどちらに思いを傾ければいいか微妙だと、どちらかと言えば後者のほうがいいような気がすると書いたことがあります。
その理由の一つは季節感です。最期の時を龍馬は、宿にしていた京都の近江屋という醤油商の屋敷で迎えました。その頃の京都は底冷えが酷く、龍馬は風邪をひいていたそうな。という史実を踏まえると、秋の終わりの11月より冬に入った12月のほうが現代的感覚に合っているなあと思うのです。
でも、坂本龍馬という人物を僕に教えてくれた司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』文庫版全8巻を何度も読み返した身にすると、思い入れの強さはどうしたって十一月十五日になります。当たり前だと失笑を誘うかもしれませんが、何度読んでも龍馬は、いや竜馬は慶応三年のその日に帰らぬ人となってしまうんですよね。それゆえ恨みや悔やみが伴う形で十一月十五日の記憶が濃くなったのでしょう。
そんなことを考えながら、この壮大な小説を最初から最後まで何度も(たぶん8回は)読み返した理由にも思いが及びました。つまるところ僕は、自分の志のために東奔西走したこの男の生き様に触れたかったのです。ということは、死よりも生に惹かれたわけですよね。そこで思い立って本棚の8巻を引っ張り出してみたら、筆者もこのように小説の終わり、つまりは主人公の最期について記していました。要約です。
――その死は主題と何のかかわりもない。主題とは、ことをなす人間の条件である――
この小説を始めて読んだ10代の終わりより今のほうが、人生の主題について身近に親密に感じ取れます。自分の命日はいつになるんだろうとか、そんなことも含めて十一月十五日は、僕にとって忘れ得ぬ日付になっているみたいです。

言葉では説明し難い季節感を表してくれる空だなあっと思って。

知らないってお得かも

知らないことだらけの僕ですが、中でも決定的な知の弱点と認知しているのは、マンガとゲームです。それらの文化との接点が極めて薄いんですね。経験がないわけではありません。30代の前半までは週刊マンガ誌を購読していたし、気に入った作品なら単行本もまとめ買いしました。けれど、少なくともこの20年くらいはどんなマンガが流行っているのか、まるで知りません。
ゲームに至っては、何代目かわからないけれどプレステを買ったことがあります。クルマのレースのソフトを楽しみたくて。でも、喫茶店のインベーダーゲームや友人の家で遊んだ創世記ファミコンの体験が繰り返されるようにして、まるでのめり込めなかった。指先で何かを操作するってのが根本的に性に合わないみたいです。飽きるというより諦める感じ。笑われるかもしれませんが、スーパーマリオはかじった程度で、ファイナルファンタジーは人がプレイしているのを見ただけ。
まぁ、仕方ないです。自分の興味が及ぶ範囲内でしか知識欲が育っていかない性質ですから。それでも何とか生きてこられたのは、たとえば何かを創る人に話を聞く場合、その人の創造物は知らずとも、僕が知っている領域の創造エピソードをベースにして、創ること自体の思いを想像することができたからです。具体的な事実は聞けばいい。これ、かなり有効です。この世界には、知らないと言えば教えてくれる人がとても多いんですよ。
それでもマンガとゲームだけは知の弱点とするのは、いずれも時代または世代の地層に広く分布しているからです。先方の専門領域を問わずインタビューさせてもらっていますが、さすがにマンガとゲームだけは「知らないじゃすまないかも?」という恐れを感じるのです。
先日は、人気ゲームの開発に携わった方に話を聞きました。さてどうしたものかと心の中で腕組して臨んだのだけど、担当者がゲーム好きで、ゲームの核心に触れる部分は前のめりで聞いてくれました。助かったなあ。知は共有してこそ価値が出ますね。知っていることをくすぐるとどんどん溢れてきますから、世代の地層の外れ者はそこを有効活用させていただきながら、これからも生きていこうと思います。知らないって、けっこうお得かも。

そうね。気付けばこういう時期よね。

リーズナブルなエモーション

達成感、充実感、満足感。意味合い的にはそれぞれ微妙に異なるけれど、そうした“感”を覚えると「やっていてよかった」とうれしい気持ちになりますよね。そしてまた“感”をより味わうには、どちらかと言えば長い時間・期間を要したほうがいいのでしょう。もちろん日々のそれぞれを得るため頑張ることもある種のルーティンとして、または課題として大事ですが、たとえば「半年かかったプロジェクトがようやく……」なんて場合は、たぶん打ち上げのビールの上手さも格別なんじゃないでしょうか。
あるいは、僕には未知の領域ですが娘が嫁ぐ日の父母も、何をどう勘定していいかわからないほどの“感”を受け止めるのかもしれませんね。感無量って、そういうときのためにある言葉なんだろうな。
とまぁ、もっともらしいことを書き連ねておりますが、僕がそうした“感”を味わうのは、ずいぶん前から使っている青のボールペンのインクが切れたときです。皆様においてはスマホまたはPCの多用により、かつてほど筆の類を走らせなくなったと思います。しかし僕は取材時にひたすらメモを取るタイプですから、インクの消耗が非常に激しいんですね。なおかつしっかり書けるよう筆先1.6ミリの太いペンを選んでいるなので、大げさでなく青がドボドボとノートにこぼれていきます。
そんな具合なので、インクを収めた芯を最後まで使い切るなんてしょっちゅう。それを差し換えるときに、何とも言えない達成感と充実感と満足感が体に染み渡るのです。あるいは原稿を1本書き上げるよりも。ボールペンも換え芯もめちゃくちゃ安いので、我ながらささやか過ぎて苦笑しますけどね。リーズナブルなエモーション。実にオレっぽい。

まとめ買いの換え芯が届いたのを自慢しています。うらやむ人などいないか?

けれど20代後半の“彼”は

若い人、たとえば20代ならみんなデジタルが得意だろうと、僕ら世代は思うわけです。ところが実際の20代に話を聞くと、10代には叶わないと真顔で言うんですね。その理由を聞いて、驚きながらも納得してしまいました。20代後半の“彼”は、こう説明してくれたのです。
「iPhoneが日本で発売された2008年は14~15歳で、自分たちが持てるのは早くても高校生の終わりか大学生になってからだった。これが10歳下だと、下手すれば小学校高学年からAppleユーザーになれたわけです」
これはハード面でのジェネレーションギャップの話。より深刻なのは、ソフトというかアプリ面だそうな。
「LINEが2011年からで、TikTokが2017年から。この数年の違いで世代差が生じていると言っていいですね。TikTokに至っては自分が社会人になってから流行りましたから、高校生とは使いこなし方が違うんです。僕らにはもう若いという感覚も、デジタルネイティブという実感もありません」
なかなかにショックでした。思い切りアナログネイティブの自分にすると、スマホが出てから話題になったアプリが登場するまでの約10年はほぼ十把一絡げです。時系列の記述を拾い上げることはできても、細分化にリアルな実感が伴わない。けれど20代後半の“彼”は、数年単位で起きた世代交代の明確さに苛まれている。これはキツいでしょうね。“彼”がというわけではありませんが、若い人たちが妙に老成して見えるのも、そんなところに理由があるのかな。
それほどにコミュニケーションツールの進化は人の暮らしを変えるものなんだと。あるいは若者の流行なんて放っておけばいいじゃんみたいな感覚が通じない時代なんだと思い知らされて、けっこう怖い気分になりました。マジで。

燦燦と黄葉中。

あなたと私の今日が順境に満ちていることを

上り坂で向かい風。いわば二重の逆境ってやつですね。
風が強くなるという天気予報を聞いた後で走り出したものの、コース前半の住宅街ではフォローもアゲインストも感じなかったから予報のことなど頭からすっかり抜け落ちました。ところが全体の半分あたりで差し掛かる、コース内のもっとも長い上り坂で足の動きが鈍くなり……。ここで正面から吹いてくるとはね。
とは言え強と呼べるものではなく、おそらく中よりは弱の範囲に収まる風なんです。にもかかわらず足が止まりかけるのは、そこが坂道だったというより自分自身の脚力に問題があるのでしょうね。それでもやっぱり苦しい局面でのネガな追い打ちには、マスクの中で思わず「なんだよぉ」と愚痴がこぼれてしまいます。どうせ吹くなら追い風でいいだろうとか。
ただ、奇妙なことにその長い上り坂では、毎回タイムが落ちないんですよね。場合によってはそこでのラップが区間最速になったりする。地形的に避け難い逆境なのに。
考え得る理由はこうです。スマホのアプリが1キロ単位でラップタイムを弾き出すその区間には、件の長い上り坂と、上り切った先に訪れる長い下り坂が詰め合わせになっているんですね。下りというのは勝手に速度が出る順境なので、そのスピードが相殺される形で好記録になるのだろうと。だからずっと上り坂だったら区間最速が出るはずはない。しかし、ずっと上り坂なんてコースが存在するのか?
というような体験が何かの教訓になるかなと思ったのですが、なりませんね。何しろ僕はそこに長い上り坂があるのを知っているし、なおかつその先の下り坂と合わせてラップタイムが向上する経験を毎回しているし。あるいは、そういう予定調和の逆境は本当の逆境とは言えないだろうし。
身構えるべきは、初めて見る今日のどこで長い上り坂に遭遇するかでしょう。そこでは向かい風にも襲われるかもしれない。そんな場面で普段のランニングが功を奏するものは、たぶんないんだろうなあ。いやまったく、あなたと私の今日が順境に満ちていることを願うばかりです。

正午前でこの日暮れ感ってのは、やる気を削がれませんか?

どんな自分になっていたいですか?

インタビュー取材の定番質問の一つに、将来の展望や期待があります。「今後どうなりたいですか?」「何をしてみたいですか?」みたいなね。
未来像を明確に抱いている場合なら簡単に応じられるかもしれません。けれどそうではない人だと回答に窮してしまうでしょう。それでなくても世間は「夢を持て」と圧をかけがちなので、何も答えられないでいるのはいけないことのように思わせてしまうのも、聞き手としては申し訳なくなります。
なので、未来や将来という言葉を使わず、「5年先、または10年先はどんな自分になっていたいですか?」と切り出すようにしています。明日のことは誰にもわからないにせよ、わりと近い年数を提示すると、現在の自分の年齢に照らし合わせて比較的答えやすくなるみたいです。
でも、聞いといてこんな発言をするのは無責任極まりないのですが、僕がその質問をされたら、「う~む」と唸りそうです。相手が納得するようなビジョンを持ち合わせていないから。いや本当に、将来こうなりたいという具体的なイメージがないまま今日まで生きてきちゃったんですよね。現在の生業にしても、どちらかと言えばなりゆきで選んでしまったところが多分にあるし。それはやっぱりいけないことですかね。
ただ一つ、もっともらしい回答があるとすれば、生涯現役でいたいということでしょうか。それは展望や期待というより一方的な宣戦布告に近くて、敵次第ではあっけなく返り討ちに遭う可能性はデカいです。問題は、何が敵になるか? 考えると怖いな。
昨日のインタビューでは、定番質問にこう答えてくれた人がいました。
「50代まで仕事があれば」
胸がうっと詰まったけれど、バレなかったかな。でも、そういう返答が僕にはリアルに感じられました。意外にできちゃいますよとは、おこがましくて言えませんでしたが。

カメラ越しにどんな印象を与えるかわからないまま、オンライン取材が始まる。

 

コロナ禍は止まず

機械の故障は、使いときに発覚するのが常です。たぶんそれなりの予兆はあるのでしょうが、それに気づかないのも、また「何で今!?」と苛立つのも常だったりします。
ペーパーレスが叫ばれて久しくても、押印した請求書の郵送が求められたり、あるいはPCの画面より印刷したほうが取材現場で重宝する資料があるので、プリントアウトのためのプリンターはいまだ必需品です。そいつの調子がここんところ芳しくない。でも、今の機種は購入して8年くらいになるので、まぁそんなものかと思わなくもないのですが、ひとまず黒インクが切れかかったので近所の電気屋に走りました。
「およそプリンターの寿命は5年なんですよ」
これはプリンター売り場の笑顔が素敵な男性スタッフのお言葉。ですよねぇ、と知ったかぶりで返しつつ、手頃なモデルならこの機会に買ってもいいなあと思い、その場に並んでいる20種くらいのプリンターを眺め回したら、思いがけない助言をいただきました。
「コロナ禍で工場が稼働していなかったので、ここにある機種のほとんどが在庫ゼロです。今ご注文をいただいても1カ月、中には2か月待ちのモデルもあります」
これも?
「ええ」
こっちも?
「はい」
少しだけ笑顔を曇らせたスタッフのとなりで僕は、溜め息をつくしかありませんでした。感染者数が減り、医療従事者の負担が減っても、それでコロナ禍は終わりじゃないんですね。プリンター以外にも実は品薄の製品って他にもあるのかな。そういう情報を知らないのは僕だけかな。
ひとまず、黒インクだけ買って帰りました。これまで購入してきたちょっと安い互換カートリッジではなく、メーカー純正品を選んで。少しでもトラブルが減ることを願って。現時点では無事に作動していますが、もし明日壊れたら新品の入手まで最低1カ月先かと思うと、ねぇ。

祠と呼ぶに大きく、中には観音様もいらっしゃる、ぱっと見るとドキッとするタイプ。

ヘタクソなオンライン・インタビュア

感染者数も一気に減りましたから今さら過ぎる話題でしょうが、オンラインミーティングとか、たぶん皆さんはもう慣れたもんですよね?
僕は最盛期に数をこなしておらず、それがここに来てなぜか急に増えて、何だか慌てておる次第です。職業上、相手が楽しく話せる場づくりに努めるべく、時には先方の言葉が終わる直前にこちらの発言を被せたり、あるいはあえて間を置いたりするという技を繰り出したいのだけど、時に画像がぎくしゃくして、にもかかわらず音声だけがリアルタイムで送られてくると、間を潰される感じでひどく迷惑します。
しかも複数参加となると、今誰が喋って誰が受けるべきなのかわからなくなりませんか? そんな中で上手く対応できずにいると、ヘタクソなインタビュアって思われるんじゃないかって、それが心配。
であれば、音声のみのほうがいいですね。その場の空気感がつかみやすいから。コロナ禍になり僕は電話取材が多かったのですが、そこで問題はあまり感じなかったな。でも、この先まだまだオンラインが続くなら、オンラインなりのインタビュー術を身に付けなくちゃいけないかもしれません。これまた今さらですが、どうしたらいいかよくわからない。そう言っている時点で、他の誰かに遅れを取っているんだろうな。大丈夫かオレ?
先日は初めてお仕事する方々とのオンライン面談を体験しました。通常のインタビューと異なり、要するにおおむね聞かれる立場になったわけですが、これはこれで苦手です。嫌よね、自分のことを話すのは。それが心理面に作用するのか、攻撃は最大の防御と言わんばかりに余計なことまで喋ろうとしてしまうのです。間を潰すオンラインだけに余計にその傾向が強くなるというか。
そこでまた気に病むのです。自分から話し過ぎるインタビュアって思われるんじゃないかって、それも心配。

東京タワーとクレープなおじさんたち。気分が上がっちゃうんだね。

理解しない理由

あなたを理解しないと言ったら、相手はぽかんとしていました。すみませんでした。
こういう話です。非常に若い女性のギタリストにインタビューしました。最近なぜかそういうケースが増えているのだけど、みんな抜群の腕前なんですよね。僕なんかにしたらついこの間知った奏法をすでに身に着けていて、開いた口が塞がらないというか、開いたままの口から「ほぇ~」ってな感じの溜め息しか出なくなるのです。
若くして達者なのは、幼いうちから楽器に触れていることがひとつ。そんな環境を親が与えているのもひとつ。とは言えピアノ等々、クラッシクの世界では特に珍しい事情ではないのですが、いわゆるポピュラー系で特筆すべき事由に挙げたいのは、音源および興味獲得の果てしなく広い自由度なんですよね。YouTubeという底なしのライブラリーで、最新ヒットチャートよりはむしろ古い音楽を拾い集める。本当に驚くのは、というより実はまだ疑っているのは、若い世代は昔の音楽を今のそれと比較することなく、ただシンプルに好むらしんですね。だから古い音楽をそのままなぞったり、あるいは今風の感覚でアレンジしたり。もう無茶苦茶ですわ。
そのあたり僕ら世代にすると、新しい流行に飛びつくなり受け入れるなりする一方で、過ぎ去った流行をいくつも捨ててきた経験があるわけです。だから古い音楽を懐かしく感じても、新しいとは思えない。そこがもう今の10代20代はとまるで違うんですよね。
理解しないと言い放ったのは、彼らと僕らの状況の著しい差異だけが理由じゃないんです。下手に理解しようとすると、どうしたって自分の理解力を支える要素の範囲でしかジャッジできなくなるから。あるいは、そもそも彼らはジャッジなど求めていないから。それを悟ったならただただ大人しく、若い表現を楽しむ他にありません。縁側でお茶をすするようなポジションに追いやられた気がしなくもないけれど、いやまぁとにかく、今の子たちの渋好みったら驚くばかりですよ。

そっちは線路! と声に出せば驚かせそうで黙るのは人間の、何だろ?