誰がもっとも気の毒なのか

今月の初めあたり、4月から社会人になる学生の話を聞きました。おや、もう卒業式は終わったはずだから、今の彼女は旧学生なのか? それとも新社会人予備役になるのか? いずれにせよ何にも属さない時期というのは非常に貴重だから、もしくは人生最後になるかもしれない春休みを精一杯楽しんでほしいと思います。そんなこと心配しなくても、きっと遊びまくってるに違いないな。
さておき、聞いた話とはこうです。僕もその名を知っている会社では入社式を行わないというんですね。この場合の入社式というのは、今となっては注釈が必要な対面式のフィジカルなものです。ゆえに入社後のテレワーク用の機材、主にはPCも自宅に送られてくるそうな。なおかつ彼女の場合は面接を含めた入社試験もオンラインだったので、その会社には一度も足を運んだことがないらしい。だから「電車に乗って通勤する自信がない」と小さくこぼすことに対して、「そういうことになるのか」とため息交じりで応じるしかなくなりました。
いろんなことができなくなり、いろんなことができるようになった。これは、まだ収束が見えていないコロナ禍の、ひとつの結論だと思います。僕の領域にしても、直に会って話を聞き難くなったけれど、遠くの場所とオンラインでつなぐ取材は可能になりました。なので仕事機会の大幅な減少を避けることができた。できたのだけれどね。
損失と獲得の割合はまだわかりません。あるいはこの2年間毎日目にする感染者数のような数字によって損得のバランスがやがて判明しても、絶対値とされる数量に潜む価値の重さまで測定できるかと言えば、どうなんだろう。
層としてどれほどの厚みを持つかは不明ですが、自宅にいながら学生から社会人になる世代というのが確実にいて、そんな彼らと共に働くチャンスが巡ってきたとして、果たしてどんな仕事ができるのか、今はまだわかりません。できないことをできるようにするため新しい仕組やツールがつくられていくわけだけど、それで誰が損をし得をするかはもちろん、誰がもっとも気の毒なのかもね。ベテラン社会人のくせにわからないことだらけですみません。

お彼岸も明け間近で霙なんて、やっと咲き始めた桜がいちばん気の毒に思ったな。

 

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