嫉み妬み

「自分と向き合え」などと諭されることがありますが、相当にしんどい作業じゃありませんか? 僕なんかは、向き合うほどにろくでもない自分が出てくるので、できれば避けて通りたい。中でも抑えきれないのが、嫉み妬みです。そねみ・ねたみと読みますが、二つを合わせると嫉妬になるんですね。よくできてる。
自分にないものを持っている人や、それを持ち得るのが自然なクラスに直面すると、この歳になってもまずは嫉み妬みの感情が湧き上がります。ですが、それを必死に抑えこもうとしなくなったのは、いわば自分と向き合った結果かもしれません。
そういう人間だからどうしようもない。だからひとまず思う存分湧き上げさせて、「もういいだろ?」と震える肩に手を添えるもう一人の自分を心の中に飼っておく。これが嫉妬に向けた僕の対症療法です。できることなら根絶治療が望ましいでしょう。けれどそこには、両親それぞれが育った家庭環境に始まる、僕にはどうにもできない出自が絡んだりもするので、根絶からの完治は無理だと思います。
いずれにしても、「自分と向き合え」と諭そうとする方は、その先でどうすればいいかまで示す覚悟とともにこのセリフを使ってください。でないと、向き合った末で途方に暮れたりしますから。
僕はこれまでの取材の中で、雲上と呼ぶしかない世界に住む人と会ってきて、自分の嫉妬が簡単につぶされる現実を見てきました。それでも嫉み妬みの感情が湧くのであれば、放っておいてあげるしかない。すべて押し殺したらかわいそうですから。ただ、「もういいだろ?」とつぶやく係の登場を早くする。セルフコントロールできるのは、そのくらいですね。
ここのところ歳に関する話が続いていますが、長く生きてきてわかったのは、僕は負の感情をどうしようもなく抱いてしまう人間であること。それを理解できただけでも、まぁ何とか生きていけるもんだなあということです。そしてまた、嫉み妬みという言葉があるおかげで自分の感情が整理できるのも、大きな救いになっているわけです。

午後4時でもかろうじて野球ができるくらいには日が伸びた、ような気がする。

 

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