外苑

1926年(大正十五年)の今日10月22日は、明治神宮外苑が完成した日。外苑と略されますが、であれば内苑もありまして、こちらは明治天皇を祀る明治神宮を中心に置いた、いわば宗教的な意味合いが強い広大な森。対して外苑は、絵画館や野球場などを設け、一般利用を目指した公園的要素が高い場所です。いずれも明治天皇の功績を讃えるため、崩御とほぼ同時に取り掛かった一大事業だったそうです。
それから97年後、現代の神宮外苑が注目されているのは、再開発問題です。ご存じの方が多いと思いますが、自分のために整理します。
東京都が2010年に外苑の再整備構想を発表。2015年に球場とラグビー場の入れ替え等の計画を発表し、JSC、伊藤忠、三井不動産などと覚書を締結。この再開発計画が公になる過程で、約1000本近い樹木の伐採がひとつのトリガーとなって反対運動が起きました。著名な音楽家や作家が反対の意思を表明したことで、全体的には「なぜ美しい場所を壊すのか?」という流れになっているわけです。
それでも2023年2月に都知事が事業を認可したことで、3月には工事がスタート。完成は、外苑のお披露目から110年後の2036年を目指しています。
確かに、いろいろ変わるみたいです。木を切る代わりにマンションやホテル、180メートルを超えるオフィスビルが建ち並ぶのも、反対派が懸念するところ。これから色づいていくイチョウ並木は残すらしいけれど、周辺の工事によって根が枯れる可能性を指摘する専門家もいらっしゃる。
この問題、個人的な観点では、大都市東京の中心部が宿命的に進めるスクラップ&ビルドについて、深く再考する機会なのだと受け止めています。地震が多い国なので、建築物に関しては最新の見直しが常に不可欠でしょう。ただ、外苑ないしは公園という空間はどうなのだろう。
昨日のここでは、4年ぶりの花火大会に触れました。コロナ禍を経ての開催ですが、あの閉塞を余儀なくされた期間、マスクをしながら無言のまま外苑を訪れ、季節ごとの表情を見せる木々に心を癒された方も多かったでしょう。何より安堵したのは、人間の営みが変わろうとも、その場所は何も変わらなかったことだったと思います。
というような様々な経験の中から生まれる感傷は、人々を幸福にするため設計された資本主義の前ではたいがい無力なんですよね。それが歯痒いと感じるのは、実は変化し続ける東京で暮らしている人ではないでしょうか。

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