「○○のように」という憧れは、とても大事なものだと思うんですね。何かを始めるきっかけとしてはもちろん、その後も続けていくモチベーションの源泉、または時々の自分と比較するための指標として。
それらがもっとも明快な領域はスポーツでしょうか。サッカーであれ野球であれ、スター選手のプレーを見て、まるで一目惚れの恋に落ちたみたいに「あんなふうになりたい」と思って同じ競技を始める。気付けばプレー以外の振る舞いまで気になっちゃって、そっちの真似が上手になったりする。本末転倒だろうけど、気持ちはよくわかります。
最近の話で言えば、「大谷翔平選手のようなホームランが打ちたい!」なんて記事が出ると、草野球をやってるオジサンたちが色めき立ちます。わかっちゃいるんですよ、どうあがいても無理だってことは。でも、「大谷のように」という憧れというか幻想は、ごく普通の暮らしに小さな明りを灯してくれます。それが大事。そうなれるか、そうできるかよりもはるかに。
あるいは、可能性が無限でも経験の幅が狭い子供より、あれこれ現実を知ってしまった大人のほうが憧れを失ってはいけないと思ったりもします。人に言えば笑われそうでも、憧れに背中を押してもらいながら今とは違う者になろうとしたり、違う場所に行こうとする衝動こそが、モチベーションの源泉になるはずだから。
僕であれば、少し前にも書きましたが、音楽のような原稿を書きたいという憧れを持ち続けています。ただ、どういう原稿が音楽のようなのかは、自分でも正しく説明できません。ひとまずのところ、センテンスの長短や読点を打つ位置でビートやリズムが出せるよう努めますが、それでメロディやグルーブを感じてもらえるかと言ったら、独り善がりになっているケースのほうが多いかもしれない。
それでも、僕がこの世でもっとも素敵な瞬発力を伴った表現と信じている音楽が授けてくれる感動に近いものを文章で表せたらと、奇跡を願うような思いを抱いているのです。そうなれるか、そうできるかは言及しないでくださいね。あくまで、僕にはそうしたモチベーションが必要という話ですから。

先月の終わりくらいからハロウィン気分で微笑ましい。
