思い切り

誰かの経験談を聞くたび、自分にはできないと思うことが増えていきます。たとえば先日会った近畿地方生まれの人は、大阪で数年働いた後、この春から東京で働き始めたそうです。勤め先の辞令による転勤ですかとたずねたら、会社も辞め仕事も変えたというんですね。となれば、どうしたって質問したい衝動に駆られます。なぜそこまでして東京に?
「一度出てきたかったので、思い切ってみました」
想定内の返答だったけれど、そう鮮やかに返されると、そこから先は考え込むしかなくなります。なぜなら、僕にはその思い切りがないから。
様々なご意見おありでしょうが、日本の首都である東京は現在も、この国一番の物や情報の発信拠点であり集積地の地位を保っています。そんな街の見方は、少なくとも関東で生まれ育った人と、そうではない人で違うと思うんですね。強いて言えば憧れの抱き方とか。
首都圏育ちの僕は、仕事は東京で得る以外にないという、いわばごく自然な感覚を持ちながら生きてきました。ゆえに自分の生活拠点も首都圏から外す案を検討したことがなく、現に今は東京で暮らしているわけです。あるいは地方の人にすれば、幸運と思われかもしれません。しかしそれは、親以前の先祖が導いた流れに乗っただけの話です。
それを軸にして考えれば、あくまで僕にとっては故郷も仕事の場も首都圏ということになるのでしょう。だからよその土地に出るのをためらってしまう。慣れた場所を離れるのが怖いから。
とは言え、誰にとっても故郷を離れがたいなら、大阪勤めだった人にしても近畿から出られなかったはずです。そんな臆病さを吹き飛ばしてでも「一度は」と思い切らせるのが東京の引力なのでしょうか。僕にはその力の実際値がよくわからないけれど、それを体感できないということは、東京の引力に囚われたままなのかもしれません。
「けれど、家賃はクレイジーですよね。倍の額を払っても、東京では大阪より狭い部屋にしか住めないなんて」
この街で暮らしている人は、そうした狂気を諦めているのも事実です。考えてしまいますね。東京の価値を疑ってみる思い切りのよさが僕には足りないのかなあと。

おそらく舗道の拡張工事でこの位置になったポスト。こういう取りこぼしが多い街でもあるな。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA