相対的にバランスのよい癖って?

これに関しては明確な自覚を持っていますが、僕には聞き癖があります。よりよい取材の決め手となるインタビューを的確に実行するため身に着けた、いわば職業的な特性です。それを“ペンだこ”にたとえようとしてやめました。筆を持つ機会が減った今、誰も共感してくれないでしょうから。僕の“ペンだこ”にしても、もはや名残り程度の小さな膨らみでしかないし。
さておき、的確なインタビューを行う上で重要なポイントは、自分の話をしないことです。質問のフックとして個人的見解を織り交ぜるにしても、こちらのセリフは終始“問うニュアンス”を保ち、語尾には必ず「?」の余韻を添えなければなりません。
「あなたのことがどれだけ好きかをアピールしたほうが、相手もよろこんでくれるんじゃないですか?」
そう聞き返した編集者がいましたが、僕は反対派です。インタビューのミッションは、いかにインタビュイ(取材をされる側)を喋らせるかであり、その過程でインタビュアの個人的なアピールというか、聞き手を気に入ってもらおうとする行為は一切不要と考えるからです。若い頃に何度か失敗したんですね。憧れの人に会えたとき、いかにあなたのファンか語りすぎて、結果的にろくな記事が書けなかった。今でも恥ずかしい記憶です。
そんなこんなで聞き癖を身に着けていくには、喋り癖を抑制しなければなりません。その影響というか、普段でも問われない限り自分の話をしなくなりました。その反動なのか、聞き癖のスイッチは簡単に入ってしまいます。
たとえば、ふと出会った学生が耳慣れない資格を取る勉強をしていると話してくれたら、瞬く間に僕の中でパチンという音が響いて、「なぜそれ?」と聞かずにいられなくなる。けれど、そのたびスイッチの緩さを悔やむことになるのです。なぜか?
仕事のインタビューなら最後まで質問形態を保てばいいけれど、飲み屋などのフランクな状況であれば、問うて応えてもらった以上、こちら側も何かしらの感想を示さなければならないですよね。質疑応答ではなく、楽しい会話を交わすのが酒席の礼儀だから。
その際の言葉の選び方が難しい。それについて触れると長くなるので明日に回しますが、一つの特性しか磨けない不器用さを今さらながらに呪います。聞き癖と相対的にバランスのよい癖って、どんなものなんでしょう?

梅雨の晴れ間と言っても実は曇りがち。かつ高温多湿。どこまで冷房なしで耐えられる?

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