母親になった彼女たち

目の当たりにするたび感銘を受けるのは、母親になった女性の見事なまでの母親らしさです。妙な言い回しですね。伝えたいのはこういうことです。
独身の頃から知っている人が結婚して、やがて母親になるというのは特別なことではないけれど、それが初めての子供であっても、いかにも母親らしい仕草であやしますよね。抱っこするにしてもちょうどいい納め具合を心得ているというか。その自然さに、何というか畏敬の念を覚えてしまうのです。
しかし、そういう感覚は男側の、あるいは子供を持った経験がない僕が抱く一方的な幻想かもしれません。初めて母親になった人に聞けば、出産を通じた肉体の変化はどちらかと言えば喜ばしいものではなく、ましてや以前のように思い立ったら一人で行動できる自由が奪われ、父親には決してわからない母親なりの苦労が生じる点では、如何ともしがたい思いがあると言います。だから、「やっぱり大変」という言葉が口を突いて出る。ちょっと困ったような表情でそう言ってしまうのは、子育ては全面的に母親の役割と押しつけてきた古い社会に対する気後れかもしれません。そういう亡霊みたいなものは、まだ確実にこの地上を漂っていますね。
けれど彼女たちは、そんな大変さを上回る幸福があると付け加えます。やはり子供は無性にかわいいと。それを聞くと安心します。男の自分がそれでいいのかどうかはよくわからないけれど。
そしてまた彼女は、子供を産んだ瞬間からある自覚が芽生えたとも言いました。
「母親はやめられない」
参ります。継ぐ言葉を失います。授乳とか、そういう類じゃないことくらいは僕にもわかるから。その自覚は、自分が母親の息子をやめられないという意識とは別物でもあることもわかります。上手く説明はできませんが。
むずかしい話はさておき、あやされる子供が浮かべる愛情を形にした笑顔をみると、そんな表情を育むのは母親だけなのだろうと、やっぱりどうしたって感動してしまうんですよね。そんな母子の姿を遠くから眺めるのが、実はけっこう好きです。絵画を鑑賞するのと似た心持ちなのかな。

先週訪れた新潟ではもう、このヤカンが湯気を立てているかもしれない。

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