「今日は君」「明日はお前」

これも昨日までの続きっぽくなりますが、新しいギターを手に入れたことで一つだけ問題が生じました。それは「今日はどっちを弾く?」という悩み。贅沢な話でもあり、聞きようによってはイヤらしい感じもしますね。けれど憧れの2本目は運命的に出会ってしまったので、こんなことになるとは思わなかったのです。
ふむ、ちょっと違うな。20年前に買ったギターこそ「我が生涯これ1本」と思い込んでいたんですね。それもまた、いろいろなことが一気に押し寄せ、人生について深く考えたタイミングの出会いでした。もちろんギター自体が素晴らしかったから、「我が生涯」などと大それた約束を交わすのにふさわしかった。それに、ギターという木工製品は弾くほどに深みのある音に変わっていくらしいから、この1本を育てるのも素敵だろうと思ったのです。
物との付き合い方において、僕には「我が生涯これ一つ」と決めたい癖があるようです。他ではクルマが顕著な例。気づけば27年目。こんなに長く乗り続ける決意などせず買ったけれど、簡単には手放さない予感がありました。この夏に手放した所有歴30年超のオートバイも同様です。
たぶん特定ジャンルの選択で譲れないのは、時間が経っても満足し続けられる、あるいは時間の経過で固有の味わいのようなものが現れてくる、「これでアガリ」という条件なのでしょう。
ただしクルマの場合、アガリを引き当てたつもりでも、いつまで動いてくれるかが最大の懸念。何しろオンボロだからなあ。なので、今はコイツに乗れなくなる将来を考えないようにしています。できれば、僕が免許返納するまで頑張ってほしい。
その対極に位置するのが、2本目のギター登場による悩み。それぞれ異なる音色や弾き味があるので、「今日は君」「明日はお前」みたいな愛し方はできるだろうけれど、「我が生涯これ二つ」って、不信感が募りますよね。多くの人には嫌われると思う。
ギターやクルマをたくさん持てる人って、どうしているんだろう。どれにも平等に思いを注げるほど愛情の泉が深いのでしょうか。それとも所有欲の満足が最優先なのでしょうか。どちらのタイプでもなさそうな自分が最近になってわかったのは、思いがけず優柔不断で、計画性が乏しい性格でした。何が起こるかわからない運命が教えてくれたのがそれって、どうですか?

名もなき深夜の小径と我がオンボロ。ただの迷惑駐車か。

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