生意気であるべき

インタビュー仕事の役得の一つは、短い時間ながら様々な世代の人と真剣に向き合えることです。この間は、2000年生まれの表現者と会いました。
果てしなく端的に言ってしまえば、かなり生意気でした。態度ではなく、発言に至る思考が。それ、限りなく大事だなあと思ったんですね。
相手を生意気と評するのは、間違いなく年長者です。年齢や地位などが自分たちに追いついていないのに、年上の自分たちだからこそわかるはずの言動をするから。けれど、わかっている若者もいるのです。時間をかけた経験で培われるものは別として、真理や本質は理解できる。あるいは年齢や地位を笠に着るだけの大人よりも鋭く。
彼は幼い頃から同世代の感覚に違和感を覚えてきて、そのせいで無鉄砲な反発はしなかった代わりに、ある程度の孤独を覚悟したそうです。その周囲とのギャップによって、真理や本質に目を向けることができたかもしれないというんですね。
そんな最中で芽生えた感情の発露に彼が選んだのは音楽。それは音楽がたまたま自由な表現を許してくれるツールだったからだそうです。
それこそ年長者のわかった風な発言になりますが、とてもよかったと思いました。若者は生意気であるべきだから。何も恐れない思い切った彼らの表現は、固定観念に縛られ精神の関節が固くなった年長者に老いの恐怖を与えることができます。一方で音楽家より若い世代にすれば少し年長の表現なので、生意気と映ることはなく、それどころか自分たちの代弁者のように見えるはず。自分が10代の頃がそうだった。
もっとも強く感じ入ったのは、普遍的な真理や本質を悟りつつ、その若さを伴って表現する人は、自ずと時代の中央ステージに立つということです。極めて生意気は、否応なく目立ってしまうから。
こんな質問をしてみました。年上と話が合うでしょ?
「何だか皆さん、ご馳走してくれます」
僕が若い頃は、あまり年上と話す機会がありませんでした。話す事柄がなかったというより、発言に至る思考が未熟だったせいなんでしょうね。

似合うか見たかっただけなのに、プロに撮ってもらうとこんなアングルになってしまう。

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