メモは大事

講演会などで、最初から最後までメモをとっている方を見かけることがあります。ご苦労様と思うんですね。僕もインタビュー取材ではひたすらノートに書き殴っているので、それがどれほど疲れるかよく知っているからです。
けれど仕事ならともかく、一言も逃すまいとひたすらメモを取り続けて、あとでどれほど見返すのかなあと、そんな意地悪な考えが頭を過ったりもするのです。
僕は仕事でない限り、まずメモはとりません。なぜなら、手元に視線を落としてしまうと話している相手の顔を見逃してしまうから。人の生の言葉は、声のボリュームやトーン、そして表情の組み合わせによって真意がこもるものだと思っています。だからインタビュー中も、できればずっと相手を見ていたいんですね。ボディランゲージも含めて。そこで時々手元ノールックを試してみるのだけど、これが難しい。それでなくても汚い字がさらに解読しづらくなるので、そのあたりは技術の限界かもしれません。
ただ、声のボリュームやトーンに変化を感じた場合は、メモ書きした一節に丸や線を引くなどして、後々原稿を書く際の参考にします。
でも、相手がどう話したか、けっこう覚えているんですよ。そもそも僕の取材ノートは、原稿を書く上で外したくない発言の断片を記しているので、なかなか忘れるものでもないのです。
そう書いてみて、僕が揶揄しかけた講演会でメモする人も、同じような手法なのかしらと思いました。体の部位をより多く使って話を取り込んだほうが記憶の定着率が高くなる。それは僕自身が実践し、効果の程をよく知っていることでもあるし。あるいは人の生の言葉を何倍も楽しむための手段にもなるだろうし。
という文脈で大事なのは、あくまで自分の話ですけれど、さして記憶力がよくないからメモをとる事実なのです。なのに、これくらいは覚えておけると過信して失敗する場合が多い。たとえば日常生活の必需品。あれとそれとこれの不足を買わなければいけないのに、売り場に行くと他に気を取られるのか、または家を出た瞬間に忘れるのか。翌朝にはこれまで何度もドレッシングなしのサラダを食べる羽目に陥りました。
やはりメモですね。紙切れを握りしめた子供のお使いみたいと恥ずかしがってはいられません。記憶の定着を高めるなら、やはりメモは大事な習慣なのでしょう。家に戻って「忘れた!」と叫ぶ瞬間の腹立たしさったらないもんなあ。

お月様は思ったように撮れないというのも、どこかにメモ書きを残さなければ……。

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