何はともあれ労いの言葉を

先週は電話で。今週はメールで。それぞれ別の会社に勤める二人から退社の報告を受けました。こういうお知らせはたいがい、「この前会ったときはそんなこと……」みたいに突然なんですよね。「実は……」なんて切り出されると思わずぎゅっと身構えたりして、相手に罪はなくても精神的にいくらかしんどい状況に陥るのが常です。
そうした報告を受けた場合、僕には一つのテンプレートがあります。って、偉そうに言うほどのものじゃないのですが、言葉であれ文字であれ、まずは「これまでお疲れ様でした」と伝えます。あまりに定型で常識的な雛形なので、あるいはまるで響かないかもしれませんが、とにかく相手を労う気持ちを最初に表す。それが人として大事だと思い知った、古い記憶があります。
僕が社員編集者をやっていた頃の、あるフォトグラファーの女性アシスタントの話です。確か20代後半。小柄で華奢ながら重いカメラ機材を担いで懸命に働く、自分でも撮りたい意志をはっきり持っていた人でした。なので師匠に断りを入れた上で、彼女にもこまごまとした撮影を依頼するようになったのです。いわゆる親心的な感情でした。おこがましいけれど、僕がチャンスを与えることで彼女の独り立ちが早まればいいなあと。
そうして単独発注が増えていったある日、その彼女からしばらく撮影できないという報告を受けました。妊娠がわかったそうです。僕はしばらく言葉を発することができませんでした。「未婚で?」という本当の親がするような心配からではなく、「フォトグラファーとしてこれからなのに?」という僕の期待が折れた衝撃が絶句を招いたのでしょう。
極めてセンシティブな内容であり、なおかつあらゆる点で未熟だった当時の僕は「そうなんだ」としか返せませんでした。ずいぶん後になってから反省したのです。なぜ最初に祝福の言葉をかけられなかったのかと。それに気づいたときはかなり落ち込みました。
そんなわけで、退社や退職の報せを受けると、今もって度量の乏しさに目を覆いたくなる記憶がよみがえります。何はともあれ、現状を変える大きな決意をした人に労いの言葉を。その勇気に賛辞を。これは本当に大事なことなんですよね。

今日は今年最後の満月が昇るらしいですよ。

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