名前があることで

過日、あるコンテストで優秀賞を受賞した、14歳の少年にインタビューしました。僕の取材対象者としては稀な世代ですから、そりゃもうワクワクです。いい大人が浮かれているのを悟られまいと努めるのに必死になるほどに。
気掛かりはもうひとつ。受賞作品の脇に添えられた彼のプロフィールに、「フリースクール」とありました。それを取材チームのメンバーも目に留めたようで、インタビュー後の僕にふんわりとたずねてきたのです。「どうでしたか」と。
僕の答えは「特に」。そもそも与えられた時間で汲み取るのは、受賞の感想と作品への思い入れだけで十分。ゆえにその場面で彼のバックボーンは関係なかった。それに何より、自ら授賞式まで足を運んでくれた時点で、その少年には語る用意があったと思うのです。だから僕は、聞くべき事柄だけに集中しました。すると彼も、14歳らしくはにかみながら応じてくれました。
いやもちろん、僕にしても、あるいは彼にしても、互いの接点に「フリースクール」が何らかの影響を及ぼすのかもしれない。けれど、まず僕自身がそれについて詳しく知りませんでした。知っているのは名称と、それに付随する一般的な情報のみ。何にせよ名前は必要だけど、それがあることでどうでもいい先入観を持ってしまうのはよくないと、それは彼に改めて教わったことかもしれません。
他方、ここのところは全国的にうすら寒い雨続きで、何となく鬱陶しい気分にさせられています。しかし気分なんてのは実にいい加減なもので、春先のこの時期の長雨を「菜種梅雨」と呼ぶと聞かされれば、それも風情と思えてしまいます。類語には「菜種梅雨」に転じた「菜花雨」や、同音の「催花雨」という言葉もあり、要するに植物が開花を催すのに雨が必要なのだと諭されるわけです。
名前があることで、ものの見方は偏った固定をされたり、それまでとは違った見え方になったりする。命名には責任が伴うなあと、暗い北の空を眺めながら考えました。とは言え明日は外の取材があるのでぜひ晴れてほしいと、風情など皆無の身勝手な願いを消せぬままに。

見事なまでに15分置きなんだなあと思って。

 

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