11月15日。さて……。
古い暦の日付なので、あえて十一月十五日と記しますが、この日は坂本龍馬の誕生日と命日です。奇しくも同じなのが何ともこの人らしい。個人的には命日の印象が強いのですが、すべて消えてしまったここの過去記事で、龍馬が刺客に襲われ絶命した慶応三年十一月十五日は、今の暦に直すと1867年12月10日に当たるので、現代を生きる者としてどちらに思いを傾ければいいか微妙だと、どちらかと言えば後者のほうがいいような気がすると書いたことがあります。
その理由の一つは季節感です。最期の時を龍馬は、宿にしていた京都の近江屋という醤油商の屋敷で迎えました。その頃の京都は底冷えが酷く、龍馬は風邪をひいていたそうな。という史実を踏まえると、秋の終わりの11月より冬に入った12月のほうが現代的感覚に合っているなあと思うのです。
でも、坂本龍馬という人物を僕に教えてくれた司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』文庫版全8巻を何度も読み返した身にすると、思い入れの強さはどうしたって十一月十五日になります。当たり前だと失笑を誘うかもしれませんが、何度読んでも龍馬は、いや竜馬は慶応三年のその日に帰らぬ人となってしまうんですよね。それゆえ恨みや悔やみが伴う形で十一月十五日の記憶が濃くなったのでしょう。
そんなことを考えながら、この壮大な小説を最初から最後まで何度も(たぶん8回は)読み返した理由にも思いが及びました。つまるところ僕は、自分の志のために東奔西走したこの男の生き様に触れたかったのです。ということは、死よりも生に惹かれたわけですよね。そこで思い立って本棚の8巻を引っ張り出してみたら、筆者もこのように小説の終わり、つまりは主人公の最期について記していました。要約です。
――その死は主題と何のかかわりもない。主題とは、ことをなす人間の条件である――
この小説を始めて読んだ10代の終わりより今のほうが、人生の主題について身近に親密に感じ取れます。自分の命日はいつになるんだろうとか、そんなことも含めて十一月十五日は、僕にとって忘れ得ぬ日付になっているみたいです。

言葉では説明し難い季節感を表してくれる空だなあっと思って。
