こんな時代にそんな純愛

今月20日にお誕生日を迎えられ、数えで米寿になるというのは生まれ月も含めて自分の母親と同じと知り、ただそれだけの符号をもとに、実は上皇合のお気持ちを勝手に察してきました。
おそらく今もっとも気掛かりなのは初孫の結婚で、これが何だかこじれたりしたものだから、精神的な疲労に襲われているかもしれない。そして家族は、それが原因で体調を崩さないかとひどく心配しているかもしれない。ひとまず元気であれ高齢であることは否めないから。
そんなふうに可能な限り庶民的ワードを使って考えてみたのだけど、家系の歴史や伝統や、あるいは現在の生活環境が特殊すぎました。事実関係の羅列を頼りに擦り合わせようとしても、上辺の0.5ミリくらいしか共通項をなぞれなかったです。いや、もっと薄いか。
ふむ、時事の中でもこの話題には触れるべきではなかったかもな。
いずれにせよ、昨日まで連続したニュースにおいて僕がもっとも驚いたのは、3年間も離ればなれだった二人の気持ちが変わらなかったことです。そんな純愛、こんな時代にあるのかと。若い時分の僕にそんなことができるかと言えば、正直なところ自信がありません。いやぁ、辛いって。シェイクスピアですらロミオとジュリエットには死を用意したほどですよ。美しい思いを遂げるにはあまりに苦難が多すぎるんです。いやぁ、耐えられないって。
そのあたりをメディアなぜもっとフューチャーしないのか。たぶん、バッシング気味の報道をしてきたバツの悪さがあるかあらでしょう。オレの考えが甘い? いや、この件でも社会の不寛容さが露わになったと、僕はそう見ています。
最後に今一度、かなり強引に自分へ引き寄せますが、もし甥や姪が幾ばくかでも親に不安を残す結婚をするとしたら、伯父である僕はこう言います。二人が幸せに暮らすことで君らのばあちゃんを安心させてくれと。そうでないと明日にでもあの世行きだぞと。

線路脇に咲く名もなき花たち。いや、名はあるな。オレが知らないだけだ。

秋の貴方

この何年かぼやき続けてきましたが、今年に至り、やはりこの国から秋がなくなった実感が高まりました。となると僕らは、四季という世界に訴えかけてきた自慢を失うことになるわけです。由々しき問題だな。
元より秋は、夏と冬の緩衝材的な存在ではありました。熱せられた空気が徐々に冷め、だんだんと寒くなっていくという。何しろ気象庁でさえ夏日や冬日の規定はあっても、秋日の基準は設けていない。そういう曖昧さが僕は好きだった。
曖昧がゆえ、特に服装に関しては小さな失敗と成功を繰り返すのが常でした。長袖を着ちゃ汗をかき、半袖を着ちゃ肌をさすり、あるいは重ね着を試みた日に夏との決別を悟り、コートを羽織るタイミングを心待ちにする、とか。
でね、こうして急に寒くなっちまうと、必要に迫られて冬服を引っ張り出さなきゃいけなくなるじゃないですか。自分はまだいいんですよ。オシャレな人間じゃないから。でも、肝心なのはあなたなのです。薄着もよかったけれど、柔らかな生地を少しずつ重ねていく変化というのを楽しめないでしょ。ってか、こっちが楽しくない。いきなり厚手の無粋ったらない。
とは言えですよ。ここしばらく気候変動に関するややこしい原稿と向き合っていたこともあり、この国の自慢を失った責任なんかを考えたりすると、いきなり悲しい気持ちになります。そう、秋は日暮れ時のそこはかとない寂しさが肝だったんだ。それさえすっ飛ばされて暖房器具を点けなきゃいけなくなったから怒ってるんだ。
何はともあれ、秋のあなたを見られなかったのが残念です。この場合は、貴方のほうが風情かな。古臭い表現か。ああ、秋も過去のものになっていくのかな。薄ら寒い気分になるな。

名もなき稜線に日は暮れぬ。

天 < 地 < 人

地の利、という言葉がありますが、僕はそれ、ずいぶん前から疑っていました。むしろ、そんなもんないんじゃねえか? というくらいに。
たとえば、昨日のここで触れた45年前のF1日本大会。会場となったのは、国内主要コースの富士スピードウェイでした。それゆえ凄腕ぞろいの海外選手が乗り込んできても、走り慣れている日本人にだって勝ち目があるんじゃないか? マスコミあたりはそんな期待を書き連ねたものです。いわゆる地の利を根拠に。いやいや、世界各地を転戦してしのぎを削っているニキ・ラウダやジェームズ・ハントに叶うはずがないと信じて疑わなかった当時14歳の僕でも、そういう煽りには乗っかってみたくなったわけです。しかし結果は、レースが開催される週にだけ走った海外選手の独壇場でした。
あるいは、昨日のZOZOチャンピオンシップもそう。世界最高峰とされるアメリカのゴルフツーの日本開催試合でしたが、中継のテレビカメラが追いかける上位選手は外国人ばかり。つまりこの週にそのコースを回った人たち。
「松山英樹がいたじゃないか!」そうおっしゃる方もいるでしょう。けれど今の彼は、トップレベルの舞台で活躍する凄腕会員のメンバーなんですよね。地の利に期待するような選手ではないということです。
では、地の利は存在しないのか? オリンピックなどで自国開催の選手が活躍する例に鑑みれば、必ずしもゼロではないのでしょう。時差や言語や食事などの日常的習慣を変える必要がない部分で地の利が生かせるそうです。そのあたり、海外転戦の機会が少ないアマチュア選手にすれば、自国開催のアドバンテージになったらしいんですね。しかしプロ選手の出場が増えた昨今のオリンピックで、果たして地の利はあるのか? もちろん、日本人選手への期待値を高めたいメディアの意図は理解できます。へそ曲がりの僕にしたって、そりゃやっぱり日本人ですから。
「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず」
これは、中国戦国時代の思想家だった孟子の言葉。僕なんかがそれとなく考えていることを、紀元前372年に生まれたとされる偉人はすでに明文化されていました。タイミングも場所も、人の力には及ばない。おっしゃる通りですとお答えするのも憚るほどの解ですね。
何が言いたいかというと、いつでもどこでも最適の道筋を見つけ、最良のクォリティと結果を出す凄腕になりたい。なれないかもしれない。アウェーを悟ってビビったりして。けれど、ひっそり目指す分には誰の迷惑にもならないと思うのですが、どうでしょう?

スクラップ&ビルドの余地はいくらでもあると言わんばかり@高輪ゲートウェイ駅前。

当時の僕には遠かった

10月24日は、日本のF1(フォーミュラワンの略。クルマのレースね)史において記念すべき事柄が詰まっているようです。
ひとつは、1965年に開催されたメキシコGPでのホンダ初優勝。日本の小さな自動車メーカーが世界最高レベルの舞台に挑戦して2年目の快挙でした。たぶんすでにクルマ好きだったけれど、当時3歳の僕にはこのトピックのリアルタイムの記憶がありません。そりゃそうだろうね。
もうひとつは、1976年のF1世界選手権イン・ジャパン決勝。ややこしい名称になっていますが、要は世界各地を転戦するF1グランプリの最終戦でした。この日のことはよく覚えています。すでに14歳だったし、何しろこの頃はF1が大好きだった。
時代的に仕方なかったけれど、専門誌に掲載される2カ月遅れの海外情報でも喜んで飛びついていましたからね。そんなところに日本でF1レース開催でしょ。そりゃもう中学2年男子の感情は弾けそうでした。気になっている女子に好きと言われるより上のレベルで。いや、どうかな。
しかし、当時の僕にはレースが行われた富士スピードウェイがあまりに遠かった。今となればクルマで何のためらいもなくすっと出かけられるのね。あるいは、何があってもその目で見たかったなら、現地にたどり着くための手段はいくらでもあったのかもしれません。そこまでしなかったということは、そこまでの興味ってことだったのかな。そうは昔の自分に言えないな。
いずれにせよ14歳の自分には、時間であれ距離であれ、遠いものが多かったという話です。45年前の今日は、奇しくも今年と同じ日曜日。あれからいろんなものが近くなったけれど、今日はどこにも出掛けず部屋で原稿を書く予定です。

かと思えば、まだ咲いていたりする。ちょっと気恥ずかしそうね。

極めて公平な忘却

人に会って話を聞き原稿を書くというこの仕事をしていて、たまにこんなことを聞かれます。「これまでに会った人で印象深かったのは?」
何となく、求められている回答がわかります。いわゆる有名人の名前を挙げれば喜ばれるのだろうし、それで僕自身の価値すら一時的に高まるのかもしれない。
けれど僕は、一度原稿を書き上げてしまうとほとんど忘れてしまうのです。また、何かのきっかけがない限り、誰と会い何を話したのかを思い出すことはありません。脳のメモリー容量が三畳一間レベルなんでしょうね。狭い部屋なので布団を出したり仕舞ったりしながら日々をやり過ごすような、そんな感じです。
ただ、忘れてしまうことに関しては、有名人でも名もなき市井の人々であっても極めて公平です。綺麗事に聞こえるかもしれませんが、誰に会うかより、会えた人から預かった言葉をどう文字にするかのほうがはるかに重要と考えているからでしょう。そうして、文章にしたら記憶自体が頭の中心からすっと離れてしまう。それゆれ冒頭のような質問をされるたび、常に窮してしまうのです。「文章にするまではその人のこと以外考えられなくなるのに、自分でも不思議なんですよ」というような話をしても、たぶん気に入ってもらえないだろうし。
一方で、先に触れたように何かのきっかけがあれば、過去に会った人のことを鮮やかに思い出せる場合があります。直近では、反田恭平さん。先日、ショパン国際ピアノコンクールで2位入賞を果たしたピアニストです。僕は約2年前に彼と会い、こんな記事を書かせてもらいました。入賞を報じるニュース番組に映る彼を見て、11歳まではサッカー選手になりたかった等々、様々なエピソードが次々に立ち上がってきました。けれどあのインタビューではコンクールの話題が出なかった。インタビュアとしてはダメじゃんと、軽く自己嫌悪に陥りましたが。
この仕事を長くやっているせいか、最近は同じ人に二度会うチャンスも増えています。なので反田さんとも再びお話をさせてもらい、「何で言ってくれなかったの?」と拗ねてみようかと。それでも原稿を書き上げたら、また忘れてしまうんだろうな。物覚えの悪さは嘆かわしい限りですが、自分ではそのあたりの公平さが案外気に入っています。これも誰かに話したって「ふ~ん」で終わっちゃうでしょうね。

ようやく初利用@高輪ゲートウェイ駅。シンプルな印象を複雑な構造で醸した、みたいな。

 

 

新しい○○

新しい靴を履く日は、不安と期待を抱えて踏み出したりしませんか? 僕は案外大げさではなく、そうです。どんなに素敵に見えても、靴の場合は履いてみないとわからない部分が多いでしょ。足の形に合うのか? いわゆる靴擦れが起きないか? 歩き方に即しているか? そうした自分の肉体との物理的な相性は本当に気になります。もしそこで問題が発覚したら、すごく残念な気持ちになるから。
靴擦れに関しては、支障が生じる部分にバンドエイドなど貼って対処することも可能だけど、ある時に忘れて出かけてしまうと、「そうだった、やれやれ」と後悔の念が強まってしまいます。そういう靴とは自然と距離が生じたりして、下駄箱に仕舞いっ放しになります。履かないから綺麗なままなのに目を逸らしたりして、なのに捨てられないのは僕のダメなところかもしれません。
下したその日にトラブルなし。でもって何かいいことがあったりすると最高ですよね。「その靴、いい!」なんて言ってもらえたら、それがお気に入りシューズランキング1位に躍り出ます。そうして何度も履きたくなる。ただ、履くほどに痛んでいくのは止むを得ず。だから登板機会を考えなきゃいけない。しかし、気付けばまた履いてる。どんなに注意しても底は擦り減るし、不意に誰かに爪先あたりを踏まれることだってある。
では、履かないほうがいいのか? それが大事にするってことなのか? というような自問自答のループに陥ると、じゃ新しい靴なんて買わなきゃいいんだと自暴自棄っぽい気分が巡ってきます。
それでもいつしか新しい靴に出会い、また不安と期待を抱いて踏み出す。痛みを覚えませんように。お気に入りになりますように……。
靴を別の単語に入れ替えても成立するような文章ですが、今日のところはリアルに新しい靴を履いて出かけた感想を記しました。

流星群が見られると言われた夜空。

柿と父親

柿と父親の話。過去記事がすっかり消えたのをいいことに、以前にも書いたネタに触れます。主旨は、しばらく会わないでいると好みが変わるという、たわいのないものです。
父親は柿が苦手でした。秋になったからと言って我家の食卓にしょっちゅう上がる果実でもなかったけれど、まぁ食べませんでした。理由は知りません。たぶん子供の頃に柿の木からもぎったのが酷い渋柿だったとか、そんな程度のことでしょう。ただ、好き嫌いがなく、というか母親が出す食べ物を拒むことがなかったので珍しいなと、倅としてはそういう記憶を持っていたわけです。
ところが、自分が実家を出てだいぶ経ったある日、見るのも嫌そうだった柿を美味そうに齧っている父親を目撃したんですね。目撃と言ったって、やはり母親が皮を剥いた実をいつもの食卓で口にしただけのことですが、何だか驚いてしまいました。なぜ食べられるようになったのか、聞いたんだっけ? よく覚えていないな。「食えるようになった」とだけつぶやいたんだっけかな。
この件でしみじみ感じ入ったのは、たとえ父親であろうと倅が知らないことはあるという事実でした。当然ですけどね。ただ、いつの間にか柿が食べられるようになった話が衝撃を伴ってよみがえったのは、父親が亡くなる前後でした。父親が加入していた写真クラブの方々から、「あんなことがあった」「こんな人だった」と初めて聞くエピソードを伝えていただき、僕はただ頷くことしかできなかった。親子というだけで何でもわかっているつもりでいた不遜を悟られたくなかったからかもしれません。
そんなこんなで柿を見ると、父親を思い出すという話です。奇妙なのは、父親ほどではないにせよ特に好物でもなかった柿を、最近の自分はわりと買ってしまうことです。先週の新潟でも、ふと立ち寄った道の駅で見かけたいかにも柿色の3個入りパックを、気づいたら手に取っていました。今さら似るのかと、何かね。証拠写真を撮る前に一気に食べてしまったのも、まぁ何かね。

実に小春日和。

数千円で解決できる傲慢さ

アイデアよりはうんと容量が小さいヒントすら転がっていかない思考停止に陥ると、まったくもって情けなくなります。直近の例では、PCのカメラです。現モデルを購入以来、まず利用することがなかったせいというより、レンズ部分にステッカーみたいなもんを貼ってしまってから、まともに映らなくなってしまいました。まぁ、それでも特に問題はなかったのです。昨年の春までは。
もはや説明するまでもなくリモートってのが普及し、僕の仕事領域でも取材のオンライン化が進みました。もちろん直接会って話を聞くほうがいいに決まっているけれど、この手法は一つの選択肢として今後も活用されていくのは間違いないでしょう。移動コストがかからない分、たぶん制作サイドはうれしいんじゃないでしょうか。
さておき、自宅にいながらのオンライン取材が行われる場合、そんなわけでカメラが壊れていてすみませんとお断りするのが通例となっていました。無礼は重々承知。ただ、聞き手が前に出る必要はないはずなので、業務上はそれでいいと思ってきたのです。中には「天の声みたい」とおっしゃってくれる方もいて、そういう優しさに甘えてもきました。
だから、新規でお仕事させてもらう予定の方が望まれたオンラインミーティングでも、「カメラが壊れていますがよろしいですか?」と何の躊躇もなく告げられたのです。そして「音声のみでも構いませんよ」と言ってくださるのもこれまでと同じ。そこで僕の思考は2日ほど停止しました。
ふと考えたのです。これからお仕事をいただくのに、自分の我を通すってのはどれだけ傲慢なんだと。ましてや声だけでOKをもらえるほどの喉をもっているわけじゃない。そもそも喋りの仕事じゃない。このままじゃ話は立ち消えになるんじゃないか? じゃ、どうする?
答えは実に簡単でした。ウェブカメラを買えばいいだけ。数千円で解決できる方法に気づけなかった自分を殴ってやりたい気分のまま、近所の電気屋へ走りました。
でもね、この段階では先方様にカメラが使えることを伝えていないんですよ。実際のミーティングでちゃんと顔出しできたら、これはこれで話のフックになるんじゃないかと、今はそんな小賢しい企みを抱えています。さて、どうなるでしょう。いやでも、顔で嫌われる可能性も少なからずあるのかな? リモートが広まって久しい今頃になってそんなことに悩むオレって、どう思います? 大丈夫って言ってほしいなあ。

窓越しの景色はどう見えるのかなあって。ま、三角なんだろうね。

母親になった彼女たち

目の当たりにするたび感銘を受けるのは、母親になった女性の見事なまでの母親らしさです。妙な言い回しですね。伝えたいのはこういうことです。
独身の頃から知っている人が結婚して、やがて母親になるというのは特別なことではないけれど、それが初めての子供であっても、いかにも母親らしい仕草であやしますよね。抱っこするにしてもちょうどいい納め具合を心得ているというか。その自然さに、何というか畏敬の念を覚えてしまうのです。
しかし、そういう感覚は男側の、あるいは子供を持った経験がない僕が抱く一方的な幻想かもしれません。初めて母親になった人に聞けば、出産を通じた肉体の変化はどちらかと言えば喜ばしいものではなく、ましてや以前のように思い立ったら一人で行動できる自由が奪われ、父親には決してわからない母親なりの苦労が生じる点では、如何ともしがたい思いがあると言います。だから、「やっぱり大変」という言葉が口を突いて出る。ちょっと困ったような表情でそう言ってしまうのは、子育ては全面的に母親の役割と押しつけてきた古い社会に対する気後れかもしれません。そういう亡霊みたいなものは、まだ確実にこの地上を漂っていますね。
けれど彼女たちは、そんな大変さを上回る幸福があると付け加えます。やはり子供は無性にかわいいと。それを聞くと安心します。男の自分がそれでいいのかどうかはよくわからないけれど。
そしてまた彼女は、子供を産んだ瞬間からある自覚が芽生えたとも言いました。
「母親はやめられない」
参ります。継ぐ言葉を失います。授乳とか、そういう類じゃないことくらいは僕にもわかるから。その自覚は、自分が母親の息子をやめられないという意識とは別物でもあることもわかります。上手く説明はできませんが。
むずかしい話はさておき、あやされる子供が浮かべる愛情を形にした笑顔をみると、そんな表情を育むのは母親だけなのだろうと、やっぱりどうしたって感動してしまうんですよね。そんな母子の姿を遠くから眺めるのが、実はけっこう好きです。絵画を鑑賞するのと似た心持ちなのかな。

先週訪れた新潟ではもう、このヤカンが湯気を立てているかもしれない。

ミニスカートの日に

今日はミニスカートの日なんだそうな。1967年の10月18日、丈の短いそれを着て有名になった英国のモデル、ツィッギーが来日したことに因んだらしい。
60年代の英国は、ファッションや音楽、映画などに端を発したロンドンのストリートカルチャーが世界的に注目されました。名付けてスウィンギング・ロンドン。何と素敵なネーミングでしょう。ミニスカートはそのムーブメントを象徴するアイコンで、小枝を愛称とするにふさわしい細身のツィッギーは、ミニスカートの女王と呼ばれたそうです。
当時の僕は5歳だったので、その前年に来日したビートルズの盛り上がりも、それからツィッギーの話題も、かなり後になってから知ることになります。僕の場合は、1959年に発売されたミニというクルマを軸に英国の歴史に触れたのですが、調べるほどに60年代のロンドンのオシャレぶりに感銘を受けました。
あくまで個人的な見解ですが、同時期のアメリカでは若者を中心にしたカウンターカルチャーのヒッピームーブメントが盛り上がっていたんですね。スウィンギング・ロンドンも同様の性質を帯びていましたが、ある程度英国らしい格式性、というか品を伴っていたところが洒落ていたと、僕はそう感じました。どの国にも素敵な時代がありますね。
あれこれ書いておりますが、本日第一義で発言したいのは、僕はミニスカートが好きということなのです。何か、ソワソワでワクワクでしょ。けれどこのご時世、そんなことを口にするとあらぬ方向から攻撃されそうじゃないですか。様々な事情は理解できますが、迂闊にスウィングできないなんてちょっと窮屈な時代じゃない? と思うのですが、いかがでしょう。

ある日のランチは、パスタ800gの超大皿ナポリタン。上がったなあ。